いざさらば廃村
固よりきわめて内向きの言語をしか持たない私が、その外を目指してきたことは、よんどころない事情に拠った。書籍以外の頒布がゼロ時間・ゼロ距離で可能になったこの時代における文学の商業化への抵抗は可能であるかに思われた。批評が何らかの権威を後見人にしておこなわれない、最小単位の批評の応酬、その集合。一人一人が随時作者から、評者へと裏返る、文芸復興運動。それは理論上、充分に、可能である。
しかし最早それもどうでも可いことだ。批評の存在しない場に於ける作品の発表は、妄想語りの域を脱しない。しかしそれで結構ではないか? 発表する場に恵まれた。それで充分だ。私も象牙の塔に立てこもり、一方的な妄想語りに徹しよう。
私の妄想語りは断じて文学などではあり得なくなった。文学は批評が存在している場に於いてのみ可能だ。それは身自らも批評に応ぜねばならないと云う準備と覚悟のある者だけが口にすることのできる、場をもち上げようとする、責任ある言葉だ。重い責任だ。私のは単なる妄想語りだ。断じて文学などではない。私はそこまで恥知らずではない。
文学と云う言葉から解放された。
文学的営為と云う理想から解放された。
文学の担い手であることから解放された。
批評的活動の筆をここに擱く。
さらば私の尊敬すべき同時代人よ。
令和八年五月五日 脱稿




