第八話―鳥月 敬―
「お、に、い、ちゃんっ」
敬は妹をチラリと見て、煩わしげに溜息を吐いた。草子が機嫌の良い時は、大抵何か企んでいる。
その大抵の場合の被害者である敬としては、溜息の一つも吐きたくなるものだ。
「…何だよ」
一〇〇パーセントの義務感をもって問う。
「恋のキューピッドですよ」
「はぁ?」
「もう、つまんないなぁ。そんなんじゃコレあげないよっ」
草子がひらひらとさせたのは、一枚の封筒。
ほぼ条件反射といえる速度でそれを奪い取ると、鋭く睨み付けた。草子は明らかに不満顔で頬を膨らませる。
「草子が取ってきてあげたのに」
「ドウモアリガトウ。ついでに勘違いしてるみたいだから言うけど、この子は別にカノジョでも何でもないからな」
「隠さなくたって良いじゃん」
「だから、違うんだっての」
「じゃあ何なの?その子」
「……」
草子の質問に、敬は口ごもった。
何かと聞かれても、敬自身わからない。友達でもないし、言うなればほぼ赤の他人に等しいのだ。
しばらく二人は睨み合っていたが、敬の方から視線を逸らす。
「ただの……知り合いだ。ちょっと用事があって連絡取ってるだけだよ」
「ふぅん? 別にメールで良いじゃん。今時手紙って」
妹の失笑を背に、足取り重く部屋へ向かう。
改めて考えると、自分が何をしているのかわからなくなる。
見知らぬ少女に自分と祖父の情報を与えて、その割にこちらは事態もよくわかっていないというのに。
関わらない方がいいのか――。
ふと頭を過ぎる警告。だか、素直に従う気は不思議と起こらない。
よくわからない状況に、よくわからない感情。自分らしくないこの曖昧な状態に、敬は戸惑っていた。 今までならば、他人にあまり関わろうとしてこなかったはずだった。それが、今回は考えるよりも先に動いてしまっていた。
「……何でだろう」
窓を閉め切った蒸し暑い部屋に、ぽつりと独り言が落ちる。
名古屋の夏は、驚くほどに湿度が高い。気温がさして高い日でなくとも、じっとりと肌にまとわりつく空気にげんなりする。
空気を入れ替えようと窓を開け放ったが、あいにく風はなく、仕方なしにエアコンを入れた。人工的な冷気が、汗で濡れた肌を撫でていく。
しばらくその感触を楽しんだ後、時乃からの手紙を開けた。
軽く眼を通して、ふっと忍び笑いが漏れる。これまであんなにも精一杯堅苦しい文章で送ってきていたのが、急に砕けて少しおかしかった。
「初恋、ねぇ」
ベッドに横になり、もう一度しっかりと眼を通す。
正直彼女には悪いが、いまいち事の重大さがピンとこない。清四郎の態度から情絡みの問題だろうとは察しがついていたが、初恋の相手との再会がそれほど高尚なモノには思えなかった。
「女子って、そういうの好きだよな」
特に恋愛沙汰に関心がない敬にとっては、どうしても冷めた目で見てしまう。
さて、どうしたものか――。
返事は、気が向いた時で良いという。清四郎の容体も相変わらずで、今の所新しく彼女に提供できる情報はない。
草子とのやり取りが、頭の中をぐるぐる回った。
一〇分程考えた後、敬は立ち上がって時乃の手紙を机の中へと閉じ込めた。
無理に返す必要はない、そう判断を下した。彼女が自分からの返信を待ち望んでいるであろうことを知りながら。
試してみたいと思ったのだ。
赤の他人に、どこまで肩入れできるかを。
これきり返信する気が起こらなければ、それまで。
またこの引き出しを開ける時がきたら、それは自分が変われる時だ。
無関心を決め込んで、面倒臭がって、一人を好んできた嫌な自分。
己を見詰め直す機会を与えてくれた少女に、敬は「ありがとう」と呟いた。
その声は小さくて、まだ誰にも聞こえない。
時乃への返信を見送ってしまった敬。
彼が引き出しを開ける日はくるのか……?
敬はちょっとひねくれてて可愛げないですが、本当は素直で優しい男の子です……多分(笑)