第四話 -鳥月 敬-
敬と白い紙とのにらめっこは、三時間以上の長期戦に突入していた。
「羽瀬 時乃」に手紙を出そうと思ったのまでは良かったが、何をどう書いて良いのかがさっぱりわからない。
生まれてこの方、書いた手紙は学校で書かされた両親への感謝状程度。それがいきなり見知らぬ人間に出そうなどと、ハードルが高すぎる。
しばらくすれば容体が快復するのではないかと思っていたが、清四郎の意識は依然危うい線を辿っていた。目覚めては眠り、眠っては目覚める。これの繰り返しであったが、近頃は意識のある時間が減ってきている。
敬の中で、一刻も早く出さなければという思いと、自分が出さなくても良いという思いが競いあっている。その争いがまた、筆の進みを遅らせた。
「草子に書かせるか……」
頭がショートしかけて来た頃、そんな選択肢がふと浮かんだ。
女子ならば、手紙を書いた経験も少なくないのではと考えたのだ。同級生の女子も、学校でやたらと手紙のやり取りをしている気がする。
「やっぱダメだな……」
くしゃくしゃと頭を掻き回して、その案を捨てた。時乃からの手紙は、あまり大勢にみせて良いような内容ではないだろう。草子のような年代に見せては、最悪、変な好奇心を出して時乃を傷付けるかもしれない。真摯な思いを、無邪気な好奇心で荒らすことは避けたかった。
引き出しから、そっと手紙を出す。
女性らしい線の細い文字。短いながら、必死さの伝わる手紙。祖母思いの、優しい女の子。
同い年ということもあってか、彼女に妙な親近感を抱いてしまう。面倒臭がりな敬が、慣れない手紙を書こうと思ったのも、そのせいだった。
何をどう書けば、彼女に応えられるだろうか。
宿題は二〇分程度で終わったのに、目の前の課題は未だ手付かずであった。
「とりあえず、伝えなきゃいけないのは……」
作業をしている最中、独り言が多くなるのは、敬の癖である。
メモ用紙に、箇条書きで項目を記していく。行き詰まった時は、状況整理をきちんとしなければならない。
まずは、敬自身のこと。次に、清四郎が倒れたこと。それゆえ、面会も返信も不可能だということ。
「待てよ……」
ここまで書いて、ペンを止めた。
そもそも、清四郎は時乃に返事を出したのだろうか。それによって、手紙の内容も異なってくる。
病院の近くにはコンビニも、郵便局もある。入院中の身であっても、返信は容易だった。倒れる前の清四郎は、外出許可が降りる程に快復していたのだ。それが、急に何故……。
苦しい思いを、頭を振って追い払い、再びペンを取る。出していないと仮定しておくのが無難だと、項目を追加していく。不足しているよりは、重複している方がマシだろう。
状況を整理してからは、スラスラと書き上げることができた。三時間に及ぶ長期戦が、無駄だったとしか言いようがないほどに。
拝啓 羽瀬 時乃様
突然の便り、お許し下さい。
私は、鳥月 敬と申します。清四郎の孫にあたります。羽瀬さんと同じ、この春に高校に上がったばかりの学生です。
清四郎宛に頂いたお手紙を、眼の悪い祖父に代わり、私が代読させて頂きました。申し訳ございません。すでに祖父からそちらへお便りさせて頂いているかもしれませんが、していないことと仮定して、この手紙を送ります。
この度は、お伝えしたいことがあり、筆を取らせて頂きました。祖父の容体についてです。
祖父は胃がんを患い、闘病生活を送っていました。羽瀬さんからのお手紙が来た時点では、だいぶ快復していたのですが、先日病状が悪化し、今も現実と無意識の境をさまよっています。したがって羽瀬さんの望むように、樋野様の元へ会いに行くことも、手紙を出すことも叶いません。
そのような事情がございますので、お許し下さい。
樋野様と祖父が、どのような間柄であったのか、私は知りません。しかし、手紙を読んでいる時の表情から、今も祖父は樋野様を大切に想っているのだということはわかりました。また、羽野さんの思いも、きっと祖父に伝わっていると感じました。
自由な身であったならば、羽瀬さんの望む通りになっていたと思います。
一日も早く、二人が快復し、貴女の願いが叶うことを祈っています。
敬具
平成二二年 五月一五日 鳥月 敬
読み返してみると、かなり気恥ずかしい。文章はあちらこちらおかしいし、何か自分が時乃を慕っているように見えてくる。
「手紙って、こんなもんなのか?」
納得はいかないものの、これをどう変えていけば良くなるのかがわからなかった。下手にいじって、余計におかしくなることだってある。誰かに添削してもらうこともできないし、そもそも他人に見られること自体御免であった。
結局、敬はそのまま手紙に封をした。
明日の朝、ポストに投函できるように通学鞄へ丁寧にしまう。折れ曲がらないように、そっと、大切に。まるで、込められた想いと同じように。
顔も声も知らない受取人。遠く住む彼女へ、どうか届きますように。
胸の奥にむず痒い緊張感を覚えながら、敬は眠りに就いた。
時乃の為、慣れない手紙を書き上げた敬。彼の想いは、彼女に伝わるのでしょうか?
手紙をポストに入れる時の、何とも言えない緊張感。何年経っても慣れません……。
少しずつ動きだした二人のカンケイ、これからどうなっていくのか――乞うご期待☆