第十一話 ━羽瀬 時乃━
二学期が始まる。
どんなに嫌でも、蒸し蒸しした陽光の下を制服を着て歩く季節。肌にべたつく制服が何とも恨めしい…。
「おはよっ、時乃」
「おはよ~、安理ちゃん」
朝の教室はざわざわとしていて落ち着かない。
夏休みの間の会えない時間を埋めるように、彼女たちはいつにも増してお喋りだ。
「手紙はきたか~?」
「……」
カバンを机に置いて安理が尋ねると、その後ろで時乃は黙っている。どうしたものかと思い“時乃?”ともう一度名前を呼ぶと、ようやく彼女の眼は安理を捕えた。
「どしたよ?」
「ううん。何でも無いっ」
慌てて首を振る時乃に安理は“ふ~ん”と頬杖をつくと、何かを思いついたように意地悪な笑みを浮かべ微笑む。
「告白でもされたか?」
「なっ!?…なに言ってるの!!」
時乃の反応を見て、安理がクスクスと楽しそうに笑いだす。完全にからかわれている…。
「もうっ!私真剣なのよっ!」
腹を抱えて笑い続ける彼女を怒鳴りつけると時乃は徐に溜息をついた。その視線は目の前の友人ではなく、窓の向こうの遠い空に続いているようだ…。
不意に安理の細く長い指が時乃の前髪を上げ額に触れる。熱が無いかを確かめて、その指はそっと離れて行った。
「ないよな……マジどうしたよ?」
気遣わし気に彼女は時乃の顔を覗き込む。それでも「う~ん」と曖昧な返事が返ってくるばかりで、要点を得ない。何だと言うのか…。
「…ちょっとおいで」
唐突に安理が時乃の腕を掴むと、そのまま引きずるように二人は騒がしい教室を後にした。
屋上――。
「どうしたよ?」
「う~ん?」
「何か考えてんだろ?」
「……」
黙りこむ時乃に、安理は空を見上げて頬杖をつく…気長に待つつもりらしい。
そしてもう一度静かに溜息をつくと、重い口を開いた。
「手紙…来たの」
「うん?」
的を得ない唐突な言葉に安理は聞き返したが、時乃はそれに気付かずに先を続ける。
「敬君から…手紙が来たの。でも…」
何かを思い口を噤む…その表情は浮かないものだった。
「でも…なに?」
安理が先を促すと、時乃はハッとしたように俯いていた顔を上げ真っ直ぐにその眼を見つめ返した。
「私、いけない事したのかなっ?!」
「…??」
「ただ、おばあちゃんを会わせてあげたい一心で手紙を送ったのに…でも実際は色んな人を巻き込んで、挙句の果てに彼を……変えてしまうかも知れない…」
最後の方はそっと風の音にかき消されて行く。その的を得ない内容に安理は眉を顰めると時乃の肩を掴んだ。
「落ち着け」
「…だって」
「それを彼は否定したの!?」
安理の言葉に時乃は一瞬泣きそうになってから首を横に振った。その仕草に安理は安堵の息をつく。
「彼が否定したのならまだしも、そうじゃないんでしょ?じゃあ何で、落ち込む必要があるのさ?」
時乃は黙り込んだまま下を向いている…その顔を無理やりに上げさせると“しっかりしろ”と安理は叱りつけた。まるで親のように…。
「何が不安なの?」
「…」
「言わなきゃ分からないっ!」
「……誰かが変わるのが怖いっ」
安理のきつい物言いに涙ぐみながら時乃は自分の気持ちを訴えた。彼が自分のせいで変わろうとしてる…その事実が時乃には重かった。
安理に促されるまま、時乃は手紙の内容のあらましを話す。彼女は時折相槌を打つだけで、最後まで口を挟まずに聞いてくれた。そして…。
「…はぁ…」
安理の口から呆れにも似た溜息が洩れる。時乃は不安げに彼女の顔を見た。
「…馬鹿」
「…??」
「違うじゃん。それ」
不安な表情を浮かべたままの時乃を見て、安理が優しく微笑む。そして不意に時乃のおでこを叩いた。からかうみたいに…。
「せいでじゃないよ、それ。むしろおかげでなんじゃないの?」
「どういうこと?」
「……」
理解できない彼女に、安理は少し考えると意地悪な笑みを浮かべてその身体を引きよせた。そっと耳打ちされる…。
「時乃と一緒…ってこと」
「??」
「引っ込み思案なあんたが美鶴さんの為に変わったのと同じだよ」
「……」
「彼も変わるきっかけを見つけたんだよ…多分」
そう言うなり安理は「男の子の考えてることなんてよくわかんないけどさっ」と明るく笑った。その笑顔に時乃も微笑む。
「ようやく笑った」
「えっ?」
「朝から暗い顔してたろ」
急に真面目な顔をする安理の眼を見られずに、時乃は視線を泳がせる。
「……そう…かな?」
「っだよ」
安理は青空に両手を伸ばして思い切り息を吸った。その姿に見とれる。
「……やりたいようにやんな。そう言ったじゃん」
「……うん」
もう何度目か分からない親友の言葉に時乃は頷く。出来る事なら私も変わりたい…そう思った。
To.鳥月 敬様
お手紙ありがとうございます。
上手く伝えられないけれど、私も敬君と同じなのだと思います。
普段の私は引っ込み思案で、男の人が苦手で、いつも友達の影に隠れているような…自分から何かをするような人間ではありませんでした。
でも、祖母と清四郎さんの思いが私を変えてくれました。
大切な人だから何かをしたい…そう思いました。
本当は今でも迷ったり、不安になる事があります。
自分のしている事が周りの人にどういう結果をもたらすのか、
それが怖くて…とても不安です。
それでも敬君が言ってくれたように何かを変えたい。
その一言が、今の私を動かしています。
祖母は脳梗塞で一時危険な状態でしたが、今は落ち着いてリハビリを頑張っています。
花を育てたり、編み物をするのが好きな穏やかな優しい人です。
敬君から見た清四郎さんは、どんな方ですか?
よければ私に教えてください。
二人で出来る事を探したい。
その言葉がとても嬉しかったです。
拙い言葉しか返せないのがもどかしいですが、どうか私と一緒に頑張って下さい。
よろしくお願いします。
平成22年9月1日 From 羽瀬 時乃
不安な気持ち、彼に対する感謝…。
今の思いを全部詰めて、手紙に封をする。
嬉しかったから…それだけでまだ頑張れるような気がした。
暑さの冷めやらぬ窓の外では、まだ蝉の声が響いていた…。
大切な人の為に何かをしたい…その思いが彼女を変えた。
でも、彼女は彼を変えてしまうかも知れない自分が…自分のしている事が怖かった。そんな時、励ましてくれたのは親友。
そうしてまた時乃は前を向いて歩きだす。
二人で出来る何かを探すために…。