6 日常と非日常ー2
「お~い、あいりん帰ろうぜ」
「へ? あ、はい。今仕度するから待っててください」
「別に急いでないからそんな慌てなくても良いよ」
帰りのホームルームが終わると名前を呼びながら近付く。必死に教科書類を鞄の中に仕舞い込んでいた女子生徒の元へ。
「あ、あの…」
「ん?」
「……あいりんって何ですか?」
作業中に彼女の手がピタリと停止。疑いの眼差しでこちらを見てきた。
「さっき考えたアダ名。さっきってか今だけど」
「アダ名…」
「もしかして嫌だった? だったらやめるわ」
「べ、別に嫌ではないです……が」
「が?」
「うぅ…」
照れくさいのか歯切れが悪くなる。見る見るうちに頬も赤く染めて。
「やっぱり年上相手にこの呼び方はマズいよな。アダ名はやめとくわ」
「あ、いや……全然構わないです」
「本当? なら呼び捨てにしたら?」
「呼び捨て…」
「おいっ、愛莉!」
「は、はひぃ!? な、ななな何でしょうか!」
調子に乗って暴言を投下。発した台詞に反応して目の前の体がビクンと震えた。
「焼きそばパン買ってこい。30秒以内な」
「わ、わ……分かりましたぁ!」
「いや、本当に買いに行かなくてもいいから」
「へっ!?」
どうやら本気で困惑しているらしい。年上とは思えないパニクり具合を見せてきた。
ノート等を鞄に仕舞い込むのを終えた後は教室を退散する。2人で校舎脇の道を歩いた。
「どうよ。ちょっとは学校の雰囲気に慣れた?」
「え、えっと……まぁ。まだまだ知らない事だらけですが初日よりはマシになりました」
「そかそか。なら何とか上手くやっていけそうだね」
「だと良いんですが…」
彼女とクラスメートになって以来ほぼ毎日一緒に下校。別々になるのは放課後に相方に用事がある場合のみ。それはただ単に暇つぶしをしているからではなく目的があったからだった。
「んじゃあ今日はコンビニ行ってみよっか。あそこの喫茶店近くにある店」
「は、はい。分かりました」
「カウンターに置いてあるの何でもいいから注文してみようぜ。唐揚げでも肉まんでも好きなので構わないから」
「……やってみます!」
「頑張って~」
彼女の短所は異常なまでの対人恐怖症。知らない人に声をかける事が出来ないし、相手から話しかけられてもまともに対応する事が出来ない。それではこれからの生活に支障をきたすと考えたので克服する事にしたのだ。
「で、では行ってきます」
「うい。俺はそこで立ち読みしてるから終わったら声かけて」
「了解……しました」
店に入ってすぐに別行動をとる。なるべく会話が聞こえるようにレジ付近の本棚で待機する事に。
「いらっしゃいませ~」
入店直後に声をかけられた。奥で食品を陳列していた大学生ぐらいの若い女性店員に。
「……今日は頑張ってくれよ」
昨日も一昨日もこんな感じでファミレスやファーストフード店に寄り道。口先注文の経験がほとんど無い彼女は何かを口にする度に店員に聞き返されていた。
しかもその後はペコペコと頭を下げ、向こうもお辞儀の繰り返し。そんなやり取りを恥ずかしさを堪えながら傍観していた。
「んんっ…」
幸いな事に今は店内に他の客がいない。ただレジに店員がいない為、用がある場合は自ら声をかける必要がある。
試練としては最適の場。我が子をお使いに出した母親のような心境で手にとった雑誌に目を通していた。
「え、え…」
横目で店内の様子を窺う。挙動不審な女子高生の姿を。
予想していた状況と違うから困惑しているのだろう。仕方ないので店員に声をかけるよう目配せした。
「あのぉ…」
「は、はい!?」
「レジをご利用ですか?」
「え? いや、あの…」
実行しようとするが思いもよらない事態が発生する。向こうから声をかけられるハプニングが。
「それとも何かお探しですか?」
「そ、そういう訳ではないんですけど」
「あっ、そうでしたか。それは失礼しました」
不自然な会話がスタート。しかし用済みだと悟った店員は申し訳なさそうに一礼して奥の棚に戻ってしまった。
「……何やってるんだよぉ」
せっかくのチャンスだったのに。そのまま注文すれば目的達成。今日のノルマはクリアだ。
一度断った状況では尚更声をかけづらくなる。戸惑いがハードルを一段上げてしまっていた。
「いらっしゃいませ~」
そうこうしているうちに違う客が来店する。赤い制服を来た他校の女子高生が入ってきてしまった。
「うぉおぉぉっ、チョコバーーーーッ!!」
乱入者は慌てふためいた様子でお菓子売り場に突撃する。鬼気迫る表情を浮かべながら。
「ありがとうございました~」
「いやぁ、やっぱり労働前に甘い物はかかせないわ。チョコバー売り切れてなくて良かった」
彼女は茶色い袋の菓子を大量購入。その1つを開封して口の中に頬張ると自転車に跨がって姿を消してしまった。
「チャンスだぞ…」
客が来た事により店員がレジへと移動している。今なら普通に注文が可能だった。
しかし友人はまたしてもレジ付近で右往左往している。並んでいるのか、ただそこに立っているだけなのか判断しづらい微妙な距離だった。
「……ったく、仕方ないなぁ」
このままでは万引き犯と疑われてしまう可能性もある。少しだけ救いの手を差し伸べる事にした。
「すいませ~ん、肉まん1つ」
「あ、は~い。ありがとうございます」
読んでいた雑誌を戻して店員に声をかける。鞄の中から財布を取り出しながら。
「愛莉も頼んで良いよ。何食べたい?」
「え? え?」
「俺の奢り。昨日、数学の分かんないとこ教えてくれたお礼」
伸ばした指を業務用の蒸し器の方に移動。その奥から店員が覗き込むようにこちらを見ていた。
「えっと…」
「慌てなくても良いから。好きなの選んだら良いって」
「な、なら同じのでお願いします」
「肉まんを2つですね。かしこまりましたぁ」
女性店員の気持ちの良い対応が返ってくる。支払いを済ませた後は袋を手に持ち外へ出た。
「やっぱり緊張した? 話しかけるの」
「……はい。どうしたら良いのか考えるとパニックになっちゃって」
「普通に声かれば良いんだって。すいません、これくださいって」
「そ、それはそうなんですけど…」
「そのたった一言が無理?」
「……はい」
人と面と向かって対話するのが苦手なのだろう。だから上手く話せないし大きな声も出せない。
「ほい、肉まん」
「ありがとうございます」
ビニール袋の中から白くて丸い物体を取り出す。落とさないように注意を払って隣に差し出した。
「あの、お金…」
「んあ? 別にこれぐらい良いって。大した金額じゃないし」
「でもぉ…」
「ならそこの自販機でジュース買ってきてよ。お茶以外なら何でも良いから」
「あ、はい。分かりました」
道路の反対側に設置されていた自販機を示す。なぜ店のすぐ近くにこのような機械があるのかは謎だが、彼女みたいなタイプには需要があると考えると納得出来た。
「はい、どうぞ」
「サンキュー」
「これで良かったですか?」
「うん。なら代金はこれでチャラって事で」
「そうですね。金額もほとんど同じですし」
飲み物を手にすると買ったばかりの商品に噛み付く。入口から少しズレた壁際で。
「ちなみにもう1回突撃しろって言われたら無理だよね?」
「さ、さすがに同じ店はちょっと…」
「なら駅前に行く? あそこにここの系列店あったし」
「……またコンビニですか」
「別に違う店でも良いよ。店員と話せる場所なら飲食店以外でもさ」
「あうぅ…」
夕方の空気が気持ち良い。目の前の歩道には集団で下校している小学生がいた。
「ま、慣れだよ慣れ。経験を積んでいくうちに普通に出来るようになるさ」
「……すみません。私みたいな奴なんかの為に」
「誰だって最初は上手くいかないもんだから。失敗を繰り返すのが多いか少ないかの違いだと思う」
「は、はぁ…」
「2、3ヶ月もしたら抵抗なく話しかけられるようになってるって。それまでの辛抱だ」
さすがに一生このままというのは有り得ないだろう。何か特別な精神病を患っているなら話は別だが。
「……あ」
会話中にある事を思い出す。肉まんを食べる口の動きを止めた。
「人の心配してる場合じゃないや、俺。バイト見つけないと」
「バイト?」
「愛莉の家の窓ガラス割っちゃった弁償まだしてないからなぁ。早いとこ金を稼がなくては」
「だ、だからあれはもう良いんですって。お母さんに聞いたら保険でお金が下りたみたいですし」
「マジで? ボールで割った場合でも利くんだ」
「まぁ故意でなければ一応…」
「ふ~ん」
つまり自分で暴れて破壊した場合は適用されないらしい。やったら母親に叱られるから実行はしないが。
「はぁ……本当にどうしよう」
食事を再開するのと同時に隣から暗い溜め息が聞こえてくる。会社をクビになったサラリーマンのようなテンションの弱音が。
「ちなみに明日の休日って暇?」
「へ? ま、まぁ特にこれといって予定はありませんけど」
「なら一緒に遊ぼうぜ。人見知り克服作戦の続きだ」
「……分かりました」
同行者が男だからダメなのかもしれない。だから先程のようにどうして良いか分からない場合は頼ってきてしまうのだ。
必要なのは彼女が自発的に動き出そうとする意志。その為には付き添うのは本人より立場の弱い人間でなくてはならないだろう。
不本意だが従姉妹に力を借りる事に。葵やすみれにも連絡をとって翌日は一緒に出かける事になった。




