1 ボールと窓ガラスー1
「……くそっ」
イライラをぶつけるように強く蹴る。足元に広がる茶色い地面を。削った箇所だけ色濃く変化していた。
「あ~あ…」
運動場だというのに辺りには誰もいない。春休み中の子供も、スポーツに興じる大人達も。はしゃぎ声はどこからも聞こえてこなかった。
「オラッ、オラッ」
無人の空間を確かめると何度も足を動かす。気分が高まって妙なテンションになっていたので。しかし靴の中に砂が侵入してきた事で中断。ストレス解消で始めた行為により更にストレスを募らせてしまった。
「ちっ…」
スニーカーを脱いで異物を取り出す。靴下を汚してきた憎き敵を。
やればやる程上手くいかない。なぜ失敗はまた別の失敗を生み出してしまうのか不思議でならなかった。
「……ん」
視線を足元に移すとアイテムを見つける。握るには手頃な小石を。屈んで手に取った。
「うりゃっ!」
続けて思い切り投げる。誰もいないグラウンドに向かって。
肩の強さを確かめたかった訳ではない。単なるヤケクソ。飛んでいった塊は地面に落下してその姿を消してしまった。
「お?」
次に投げる為の石を探す。その途中でもっとピッタリな物を発見した。
「落とし物かな」
手を伸ばして回収する。軟球と思われるボールを。
このグラウンドには野球用のベースも設置されており、たまに野球の試合が開催されていた。学生同士だったり草野球だったり幅広い年齢の対決が。恐らくその時に使われた物が置き去りになってしまったのだろう。幸運な拾い物だった。
「へへへ、ラッキー」
良い道具を見つける。暇潰しには最適のオモチャを。
砂利が付着していたので指で払って除去。綺麗にした後は頭上に投げて1人キャッチボールを始めた。
「……懐かしいなぁ」
父親と投げ合っていた頃の記憶を思い出す。子供の頃だからこそ作れた家族との思い出を。
「ん~…」
だがその退屈しのぎもすぐに中断。対話相手がいないので飽きるのが早かった。
「……よし」
視線を横にズラして辺りを見渡す。外を走る道路と運動場の間に佇んでいる緑色のフェンスを。
野球の試合用に設置されたので普通の公園にある物より高い。ゆうに3メートルは超えていた。
「おりゃあっ!」
歩いて近くまでやって来る。そのまま全力でボールを投げた。天辺を軽く飛び越してしまうぐらいの勢いで。
「はっはっは!」
優越感に浸る。子供の頃とは別次元の能力を手に入れた事実がたまらなく嬉しかった。
「げっ!?」
ただしその余裕は途中で崩壊する。真っ直ぐ飛んでいった白球は道路の先の住宅街へと落下し始めてしまったからだ。
逸れろ逸れろと心の中で祈る。とはいえ物体を遠隔操作する力の無い人間にはその様子をただ見守る事しか出来ない。まるで時間がスローになったような錯覚まで発生。その感覚が通常に戻ったのはガシャンという大きな破壊音が聞こえた時だった。
「……やっちまった」
嫌な予感が的中してしまう。ボールが民家の窓ガラスを割るという一昔前のベタな事故が。
せめて屋根か壁にでも当たってくれたら良かったのに。不幸はどこまでも続いていた。
「さ~て、どうすっかなぁ」
民家にボールを投げ込むとかどう見ても嫌がらせでしかない。試合中の事故ならともかく今はグラウンドの利用者も不在。普通に考えたら悪戯小僧の仕業だ。
このままこの場所に留まっていたら家の住人や近所の人達が集まって来るだろう。その前に何とかしなくてはいけなかった。
「誰もいない……よな?」
キョロキョロと辺りを見回す。パーカーのポケットに手を突っ込みながら。
運動場にも道路にも通行人は見当たらない。つまり目撃者は無し。
謝りにいけば住人の人は許してくれるかもしれない。けどもし漫画に出てくる雷親父みたいな人だとしたら関わらないのが得策。
それに割ってしまったガラスも弁償しなくてはならない。下手したら警察に通報だった。
「……あ」
葛藤していると1人の人物が目に飛び込んでくる。割れた二階の窓ガラスからこちらの様子を窺っている住人が。
「最悪…」
視線が交わってしまった。しかも通行人ではなく一番見つかりたくなかった相手に。
すぐに逃げ出せばこうならなかった。それか即行で謝罪に向かうか。
最もダメなのは躊躇う事。迷っている間に更に自身を窮地へと追い込んでしまっていた。
「くっそ…」
悔しさをはねのけるように駆け出す。運動場の出入り口へと。
フェンスを迂回した後は目的の家に到着。手を伸ばしてインターホンのボタンを押した。
「あ~あ、また母ちゃんに叱られるよ」
稼ぎ頭の父親は現在入院中。仕事場である建築現場で骨折や筋断裂といった大怪我を負ってしまったので。
家計が財政難なのに無駄な失費を生成。怒り狂う母親の姿が容易に想像出来た。
「あ、あれ…」
頭の中で言い訳の言葉を模索する。なのにいつまで待っても中からは人が出てくる気配が無い。
もう一度押してみたが結果は同じ。窓ガラスが割れている二階を見上げてみても誰の姿も見えなかった。
「なして?」
留守なのかもしれない。しかし先ほど人影を目撃したばかり。
見てはいけない物を見てしまった可能性が発生する。オカルト現象の存在を疑い始めた。
「あ…」
「……はい」
未知の対象に畏怖していると開いた玄関の扉から住人が出てくる。髪の長い若い女性が。
「す、すみませんでした。ガラスを割ったのは自分です」
「ん…」
「でもワザとではなくて、ただボール投げて遊んでたら手が滑ってしまって…」
「えっと…」
「本当に申し訳ありませんでした。ごめんなさい」
目を合わせないように連続で謝った。普段は使わない頭をペコペコと下げながら。
「ん…」
ただ相手からの返事が返ってこない。思わず視線を上げて女性の顔を見た。
「あの…」
「へ?」
「聞こえてますか?」
「うっ…」
「ガラスを割ってしまったのは俺です」
何故か無言のまま立ち尽くしている。そして顔を見て初めて気付いた。出てきた住人が自分とさして年齢が変わらない中高生であろう女の子だと。
「もちろん割ったガラスの代金はちゃんと弁償するんで。今は金ないけど親に頼んで払ってもらいます」
「は、はぁ…」
「だから本当にすみませんでした。迷惑かけてごめんなさい」
「んんっ…」
彼女は出てきてからずっと挙動不審な態度を振りまいている。言葉もほぼ無いに等しい。
幼い外見から中学生と予想。見間違いでなければ先ほど窓から見えた人物はこの子だった。