第31話 私の親友 ※リリアナ視点
※今回、リリアナ視点です。
最初に彼女の噂を聞いたのは、もうかなり前だ。それは、この国の王太子殿下レオンハルト様が剣術大会で優勝なさって、貴族の御令嬢たちがその話で盛り上がっていたときだった。
それまでにも、王太子殿下ご自身についての噂なら、令嬢同士のお茶会に参加したときなどによく耳にした。それによると王太子殿下というのは私と同い年で、しかしすでに帝王学を完璧に修められた眉目秀麗・文武両道の超人的な方であるとのことだった。
その頃はまだ直接お目にかかったことがなく、同じ人間でそんなすごい人がいるのか、そのうえそんな方が王太子として生まれるなど、どうしてこうもこの世は不平等なのだとすら思った。
──まあ、侯爵令嬢として何不自由なく育った私も、相当恵まれたほうなのだけど。
そんなすごい方だから、ご令嬢からの人気というのは凄まじいものだった。その一方で、非常に冷酷な方だという噂があったのも事実。
殿下はどうやら基本的に人との交流を好まず、専属護衛騎士もたった1人しかつけないとのこと。友好関係もきわめて限定的で、キースリング公爵家の長子とは比較的仲が良いらしいが、それでも一定の距離を置いているという話だった。
私はそれを聞いたとき、王太子殿下のようにすべてを持って生まれ、ほかの人より何でもできてしまうと、孤独を愛するようになってしまうのかもしれないなと密かに思ったものだ。
しかしあるご令嬢が例の剣術大会で目撃した殿下のお話をお茶会で耳にしたとき、私は非常に驚いた。それはほかの参加者も同じで、その噂は以降またたく間に令嬢たちの間で広まり、それを皮切りに「私もこんな話を聞いた」「私も父から、兄から聞いた」と、さまざまな話が表に出てくることになった。
それは王太子殿下とその婚約者についての話だった。もちろん、王太子殿下が幼い頃に婚約した婚約者がいること、そしてそれがローザ・ミュンスター公爵令嬢であること、それ自体はこの国では誰もが知る、とても有名な事実だ。
ただし、殿下の婚約者は身体でも弱いのか、若い令嬢同士のお茶会にもほとんど参加されず、稀に参加しても長時間の参加はなかった。そのため、それまでは彼女がどのような人物かよく知る人はあまりいなかった。
──ただ唯一、黒髪にすみれ色の瞳がとても印象的な、特別美しいご令嬢であるということは、彼女に会ったことのある誰もが口を揃えていたけれど。
そんな彼女を突如として有名にしたのが、例の剣術大会の話だった。
通常、配偶者や婚約者、恋人のいる大会参加者は、特別席というところに席が準備され、そこで大会を見守る。しかし王太子殿下は、その特別席に婚約者を呼ばなかった。
そこで多くの人は、王太子殿下の婚約者が病弱だから連れて来ないのだ、あるいはやはり公爵家との政略結婚だから、婚約者とはそれほど仲が良くないのだろうと、推測した。
しかし実際はどちらも違った。なぜなら、彼女はそこにはいなかったものの、別のさらに特別な場所から、その大会をしっかりと見守っていたのだから。それが明らかになったのは、あるご令嬢の、本来であればあまり褒められたことではない、好奇心による勝手な行動からだった。
その剣術大会で王太子殿下が見事優勝された際、殿下がある方向に向かって、これまで見たこともないような笑顔を向けるのをそのご令嬢は見たそうだ。そして周りの人に確認すると、やはりほかの人たちも殿下のその笑顔を見た気がすると言った。ただ、一瞬のことだったので、見間違えかもしれないと。
しかし、殿下に密かに憧れていたそのご令嬢はどうにも気になり、大会終了後、高官である父親にそれらしい理由をつけてお願いし、王宮内の、先ほど殿下が笑顔を向けたほうへと連れて行ってもらったという。
するとそこにちょうど、大会を終えたばかりの王太子殿下がやってきた。彼女は、かなり近くで殿下のお姿を見られて興奮したそうだが、そのあと見た光景に心底驚愕したという。
殿下は1人の美しい黒髪の少女の姿を認めると、全速力でその少女のもとに駆け寄り、すぐさま力強く抱きしめたという。そして、殿下は彼女に聞いたこともないような嬉々とした声音でこう仰ったそうだ。
「ああ、私の愛しいローザ!この優勝は、君に捧げるよ!」
そのときの殿下は、表彰台で一瞬見た笑顔よりもっと幸せそうに、子どものように笑っていたという。あれが本当にあのクールで人を寄せつけない王太子殿下なのかと、そのご令嬢は自分の目を疑ったというが、何度目を擦っても間違いなくあの殿下だったのだと、彼女は興奮気味に語った。
もちろんそのローザと呼ばれた黒髪の少女が、殿下の婚約者であるローザ・ミュンスターであることは明白だった。つまり、婚約者は大会に来ていなかったのではなく、違う特別な場所からちゃんと大会を見ていたのだ。
この話が有名になったことで、それ以降は殿下とその婚約者にまつわる噂話が、頻繁に令嬢達の話題にあがるようになった。
そのなかには、ほぼ毎日のように殿下が婚約者を部屋に呼んでふたりきりで過ごしているらしいとか、彼女がお茶会などにほとんど出ないのは、嫉妬深い殿下が彼女にそれを許さないからだとかという話まであり、総じて、殿下は婚約者を溺愛するあまり束縛しているのだ、という結論へと繋がっていた。
それは、なんでも完璧にでき過ぎることで人間味がないと言われていた王太子殿下の好感度を図らずも大きく向上させることになった。そのせいかこの噂が有名になっても、王族への不敬であるなどと問題視されるようなことは、ただの一度もなかった。
とはいえ、私は半信半疑だった。というのも、私が侯爵である父に連れられて王宮に行った日に初めて王太子殿下に直接ご挨拶する機会があったのだが、殿下は本当に人間味のない完璧さと冷淡さ、そして威圧感を感じさせる方で、どう見ても婚約者を溺愛するあまり、束縛しているような人には見えなかったからだ。
だからこそ──学園で最初に殿下が婚約者であるローザを連れて教室に入ってきたとき、ほかのクラスメイトはもちろん、私もまた大きな驚きを隠せなかった。
あの殿下が・・・本当に楽しそうに笑っていたのだ。それも、すぐ隣で明るく楽しそうに喋っているローザの顔だけをずっと見つめながら。
その瞬間、誰もが確信した。あの噂はすべて、本当だったのだと。
こうなると、あの殿下を虜にしたローザ・ミュンスター公爵令嬢に誰もが興味を持つのは、ごく自然なことだった。もちろん、私もその1人である。しかし入学式の日から数日、誰もが彼女と接触するタイミングを見計らっていたにも拘らず、その瞬間は訪れなかった。
それはもちろん、殿下のせいだ。殿下は、登校から下校までほんの一瞬も彼女のそばを離れないどころか、周囲を目で威圧・牽制し続けた。それなのに、ローザ嬢に向ける表情だけは常に驚くほど柔らかかったので、それがまた恐ろしさを際立たせた。
しかしあの日、私たちの学園生活で最初の男女別授業の際に、ローザ嬢ははじめて1人になった。そこで私は、彼女にすぐさま声をかけた。
もともと社交的な性格なうえ、同世代の中では姉御的立ち位置だった私が彼女に最初に声をかけたのははたから見てもごく自然なことだったかもしれないが、私が声をかけたのは純粋な好奇心から彼女のことをもっと知りたかったからだ。
そうして友だちになったローザは──想像以上だった。とにかく可愛い・・・そう、とっても可愛い子だったのだ!
ローザの顔立ちそのものは、(彼女自身言っていたが)少しキツめに見えるほどの派手な美しさがある。そのため彼女が真顔のときは、絵画に描かれた神話の女神のような印象すら与える。
しかし実際の彼女が真顔でいることは、ほとんどない。なぜなら彼女はいつも笑顔で、とても明るい性格だからだ。そのうえ本人は無自覚だが、その表情や反応はどこかあどけなく、自然と人から愛される存在だと言えるだろう。
──正直、殿下が彼女に過保護になる理由は十分過ぎるほどわかる。そうでないと、男女問わず彼女を放っておかないだろうからね・・・。完全なる、人たらしタイプだもの。
ただ恐ろしいのは、彼女自身にそうした自覚がまるでないことだろう。彼女はどうやら、思い込みが異常に激しい。特に信じ難いのは、周囲が引くほどの執着心で王太子殿下から溺愛されているにも拘らず、当の本人はそれを単なる家族愛的な親愛の情からくるものであると信じていることだ。
殿下の異常なまでの束縛行為も、「兄みたいなものだから、過保護でも仕方ない」と納得してしまっている。いやいや、ふつう兄は妹をあんなふうに束縛しないわよ・・・?
もちろん、あれはどう見たって殿下がローザにベタ惚れであるが故の行為だ。そのことはローザ本人以外、もはや学園中の誰もが知っているだろう。にも拘らず、彼女自身はまったく気づいていない。それどころか、殿下は自分と一緒にいるせいで恋ができないから可哀想だ、彼が恋をして誰よりも幸せになれるようにいい相手を見つけてあげたいのだと本気で言っていた。
この話を聞かされた私は、殿下があまりにも可哀想になった。愛する女性が自分の想いにまったく気づかないばかりか、恋愛した方がいいといってほかの女性を紹介しようとするなど、心痛察するにあまりある。
というわけで私は勝手に殿下の手助けをすることに決めた。つまり、思い込みで突っ走りがちなローザの暴走を抑えるとともに、彼女が殿下の想いに気づく手助けをすることにしたのだ。ただし表面的には常に彼女の話に乗っかる体をとる。そうするほうが確実だから。
でもこれは、ただ殿下が可哀想だからの手助けではない。すでに3ヶ月もローザと一緒に過ごしているから、わかるのだ。ローザが鈍感で自覚できてないだけで──ローザは殿下をちゃんと好きだ、異性として。そうじゃなきゃ、あんなに四六時中一緒にいさせられて平気なはずないし、キスされても嫌じゃないとかありえないでしょう!?
だからといって、あれほどはっきりとした殿下の想いにも気づかない超鈍感かつ超思い込みの激しいローザに「殿下は貴方に恋してるのよ?」と伝えたところで、彼女は笑いながら否定して終わりだろう。そんななかローザが私にこんなことを聞いてきた。
「リリアナ、悪役令嬢として私にもっとも欠けているものってなにかしら」
つっこみどころ満載の質問だが、ローザは至って真剣だ。というのも、なぜか彼女は「悪役令嬢」への強すぎる憧れゆえに、悪役令嬢になることを夢見てしまっているのだ。本人は自分が公爵令嬢で王太子の婚約者であること、そしてなぜか縦ロール(ただのへアースタイルでしょ・・・)に勝手に悪役令嬢としての運命を感じちゃっている。
だが正直言って──、彼女には「悪役令嬢」としての素質はまるでない。まだ、私のほうがはるかに素質あるわ。そもそも、あんなにだれからも愛されて、だれかれかまわず助けちゃう優しい性格なのに、なぜ悪役令嬢になれると思っているのか。
だが、彼女にそんなことを言っても無駄なのはわかっている。そこで私は、ひとつ仕掛けてみた。
「貴方の方が殿下に執着して殿下を追いかければ、殿下はそれを面倒に思い始めるはず!そうして殿下が安らぎを求めてほかの女性を求め始めたら、貴方がそれに嫉妬心を燃やし、そしてそのとき、貴方は憧れの真の悪役令嬢になれるはずよ!」
ローザは見事に私の口車に乗せられた。さすが、純粋で素直なローザ。すっかり私を信じ切ったキラキラした眼差しで見つめられると、完全に可愛いヒロインを騙す悪役令嬢の気分になってくる。でも、これもすべては大切な友人たちのため。そして、この国の未来のためなのだから、許してほしい。
きっとローザは、私に言われた通り一生懸命に頑張るだろう。それこそ、どんなことにもひたむきに取り組む健気なヒロインらしく。そうして頑張れば頑張るほど──貴方を愛するあの方は、貴方の思惑とはまったく逆の反応をとってくれるはずだ。
貴方が困惑し、やり方を間違ったと気づいたことにはもう手遅れでしょうけど──まあ、せいぜい頑張ってね♪(あれ、これ完全に悪役のセリフ・・・?)
最後までお読みくださりどうもありがとうございます!
ローザは、なかなか策士な、しかし良き友をもちました。
明日も18時にアップ予定です。




