1・うむ、持って帰ろう
我を見上げる人のオス二匹。互いに抱き合い震えて怯えている。
「なななんで狐竜があ!?」
ここは我のナワバリなんだが? 故に我がいるのも当然だ。それを知らずに入ってくるとは。ただの人が我に敵う筈も無し。故に我を見て怯えてすくむのも当然だが。
我の気配を知る魔獣は、我のナワバリに入ってこないものなんだが。お前ら相当鈍くないか?
「ひいい! 助けてくれえ!」
やかましい。勝手に我のナワバリに入り、騒いで我の思索の邪魔をし、我を目にしたらしたで、耳障りにさらにうるさく喚きたてるとは。踏み潰してやろうか、こいつら。
「ルアアッ!」
「ひいいいい!!」
ひとつ吠えれば人のオス二匹は背を向けて走り出す。逃げ足は遅くすぐに捕まえられそうだが、その逃げっぷりに呆れる。ほんとに何しに来た? お前ら。ガサガサと足音高く離れていく。悲鳴をあげて逃げるときまでまったくやかましい。
森の中、人のオス二匹が遠ざかっていく。このあたりは我のナワバリゆえに他の魔獣はいないが、あれでよくここまで来れたものだ。自分より強い者の気配に鈍ければ、生きてゆけぬだろうに。
これでやっと静かになったか。
問題はもう一人いることか。首を巡らせて見れば人のメスがいる。まだいる。なぜいる?
ペタンと座ったまま顔を上げてこちらに向けている。頭の毛は真っ白と先程のオスとは毛色が違う。身体が小さく子供というところ。
ふむ、先程の声と匂いでメスだろう、とは分かる。精神感応では、このメスはどうやら怯えてはいないらしい? 座ったまま動こうとはしない。
なぜ、この人の子は逃げない?
「……どこに逃げていいのか、わかりません。私は、目が見えないので」
ふむ、この人の子の顔をよく見れば、その二つの瞳は閉じたまま。目が見えないのか。病か怪我で視力を失ったのだろうか?
「いえ、私の目は生まれつき見えないのです」
ほう、生まれつき目が見えぬと。どうやら変わった生まれの人の子のようだ。我のような変異種だろうか?
見ればこの人のメスは頭の毛は白い。白い毛の人とは珍しいのか?
「年寄りのような白髪だと、言われたことがあります。私に色というのは、よくわかりませんが」
ふむ、目が見えねば色は解らないか。白は森の中では珍しい色だ。我も体毛は白。有毛ドラゴンは体毛は茶褐色が多く、変異種として産まれた我は同種で唯一、身体が白い。北の雪の多い山では白い獣もいるが、このあたりには白い獣はほとんどいない。
「そうなのですか、しろ、私と同じ色、ですか?」
うむ、色は似ている。白は森の中では目立ってしまう色だ。あと汚れも目立つ。それで我は兄姉よりもきれい好きとなった。ちょっと気にしすぎじゃないか?とも言われた。
……む? ちょっと、待て?
「はい?」
なぜ、この人の子は我の思念に応えを返す?
「先程から不思議な声で私に語りかける、あなたは誰ですか?」
む? む? まさか聞こえているのか? 我の思念が? 心の声が? お前、我の心を読む力があるのか?
「言葉にならない声が、聞こえることがあります。それで、不気味だと言われることも、ありました」
目が見えぬ代わりに他の感覚が鋭敏となった、人の変異種か? 本当に我の思念が読めるのか? 聞こえるのか?
「はい? いえ、私もここまでハッキリと聞こえるのは初めてです。耳で聞こえる音では無いのですが、頭の中に囁かれるような、やわらかな、風のような、こんな声は初めてで、あなたは、誰ですか?」
我は有毛ドラゴン。先程の人のオスどもは狐竜と呼んでいるようだ。
むむ、我の思念が聞こえるだと? 人の子よ、お前、ただの人では無いな? 何やら特殊な力があるのか?
「え?」
顔を寄せて臭いを嗅ぐ。うーむ、変わった臭いはしない。これほど近くで人を見たことはあまり無いが、特におかしいところも無さそうだ。
白い頭の毛は肩まであり長い。服というものを身に巻き付けていて、手には皮の袋を抱えている。その袋の中身はなんだ?
「着替えと水筒と、あの、中身を出しましょうか?」
いや、そのままでいい。ここで出す必要は無い。
「あの、」
よし、我の住み処にこの人の子を持ち帰ろう。そこでじっくりといろいろ調べてみよう。
人のメスの胴体をかぷりと横からくわえて、
「ひゃ?」
動くな、落ちたら死ぬぞ。
「ええ?」
翼を羽ばたかせ空を飛ぶ。腹と腰をくわえた人の子は皮の袋をきつく抱いたまま、かたまったように大人しい。うむ、それでいい。暴れるなよ。
森の木々を飛び越えて、空を飛ぶ。我の寝床の洞窟へと。
◇◇◇◇◇
着地して洞窟の奥へと。ここは泉の近くにある我の住み処。緑のコケで作った我の自慢の寝床に、そっと人のメスを下ろす。さて、人の子よ、ケガは無いか?
「あ、の、ケガは無いみたいです、けど」
けど? なんだ?
「お腹と腰が、ベトベトで……」
うむ、ずっとくわえていたから我の唾液でベトベトだな。しかし、こうして意思が通じる異種族とは、珍しい。興味が湧く。
「私も、狐竜とこうして話ができるとは、思いませんでした。てっきり、食べられてしまうのかと」
人など食っても腹が膨れぬ。
「そうなのですか? 魔獣は人を食らうものだと聞いてますけど?」
人がナワバリに入れば、不愉快に感じ殺したくなるものだ。森の魔獣も我の兄姉もそうだ。
しかし我はそういう感覚がどうも鈍いらしい。それに森の外に住む人は、フォイゾンが少ない。食っても腹の足しにはならん。
「ふぉいぞん? とはなんですか?」
うーむ、なんと説明すればいいのか。森の外の人には無用のものであるか。フォイゾンとは、生命の源、生命力、生命素、というところか。
力ある魔獣はフォイゾンをその身に取り込み生きる。故にフォイゾンを多く含む森の奥の獣や草花などが、必要な食事になる。それで強い魔獣ほど森の奥にナワバリを持つようになる。
森の浅いところに住む、ゴブリンやコボルトはあまりフォイゾンを必要としないから、森の浅いところに住むようになる。
「はあ、それで魔獣深森は、森の奥深くの方が恐ろしい魔獣が住んでいるのですね。お話に聞く大きな恐ろしい魔獣が、なぜ人里近くに現れないのかと、不思議に思っていました」
ほう? 人はこの森を、魔獣深森と呼ぶのか?
「はい、森の奥深くには人食いの魔獣が潜む、怖い森だと」
ふむ、魔獣深森、と。森に名を付けて呼ぶか。なかなかおもしろい。群れる者は区別の為に個体に名称をつけたりするのは、ゴブリンやコボルトなどがすると聞いたことはある。
我は脚を伸ばし、ペタリと腹を地面につけて楽な姿勢になる。人の子よ、お前も楽にするといい。
「は、はい……」
我はお前を食う気は無い。こうして意思の疎通ができるというのが珍しいので、いろいろと聞いてみたいのだ。
「はい、あの」
なんだ?
「なにか、拭くものはありませんか?」
我のヨダレが気になるか? 拭くモノと言われても、何も無い。我には必要無いのだ。
うむ、人の子よ、そこを動くな。
「え? あの?」
我が自ら毛繕いしてやろう。我のつけたヨダレを舐めとって綺麗にしてやろう。
「な、舐めるのですか? あの、その」
緑のコケの上に座る人の子に顔を近づける。鼻で押し倒し、舌を伸ばしペロペロと舐めてやる。
「ひゃ、あ、ちょっと、ひゃやや」
動くな、今、綺麗にしてやるから。
何やら身悶えして顔を赤くする人の子を、一通り舐めて綺麗にしてやる。うむ、これでいいか? 何やら楽しげに笑っていたが?
「た、楽しくないです。く、くすぐったかった、です」
人の子は、はぁ、はぁ、と息をし、身に纏う服を外し、それで顔を拭いている。ふむ、その身に毛皮を持たぬ人やゴブリンなどは、その身に何かを巻きつけて身体を守る。これはカタツムリに似たようなものだろうか?
「服は、カタツムリの殻とは違うと思うのですが」
そうなのか。我は服というものは身に纏ったことが無いのでわからん。
「服を着る魔獣とは、あまり聞いたことありません。あなたは裸なのですか?」
うむ。自前の毛皮がある。
「ここが、あなたの家、ですか?」
我の住み処である。森の中の洞窟を、我が住みやすくなるようにしたものだ。
「洞窟、ですか? 森の中の? ではこの私が座るふかふかとしたものは?」
人の子は己が座る緑のコケをペタペタ触る。ふむ、目が見えねば触れて確かめるしか無いのか? うむ、それは我が育てたコケだ。柔らかい寝床を作ってみようと試行錯誤し、洞窟の奥で、このコケを育てた。そのために水を引きいれたりなど世話をした。
「さきほどから水の流れる音がするのは、それですか」
そして我が満足できる柔らかさと大きさに育つまで、三年かかった。その寝床は我が三年かけて育てた自慢の寝床だ。ふかふかと柔らかく心地好いだろう?
「はい」
ここまで育てるのは苦労したのだ。さて、人の子。お前は何故、森に来た? あのオス二匹に連れられて来たようだが?
「はい、ええと、なんて説明すれば、いいのでしょうか……」
白い毛の人の子は、目を瞑ったまま何やら考え込む。