エピローグ
あれからどれ程の時が過ぎたのか。
「ヴォイセスファセウス。エアリアクイーンが戻って来ました」
「そうか、通してくれ」
目を通していた書類から顔を上げる。書類は机の中へと仕舞う。机の前から立ち、背伸びして肩を回す。む、目が少し疲れたか。
我の身体に合わせた机に椅子は無い。下半身の狐龍体が伏せるようにして、丁度よく使える高さの私の専用机。
机と同じくこの執務室は全て私の身体に合わせて作られている。むう、書類仕事に集中していて、背中が少し固くなっている。
四本の足で立ち、扉の方へ向かう。私は暗いところでも目は見える方だが、書類仕事のときは天井の照明を点ける。なので今もこの部屋は明るい。
豪華に作られた扉。内装に凝った執務室。妹達が作ってくれたこの執務室は、ちょっと装飾過剰ではないか? 深都の長たる十二姉に相応しく、と、やたらと力を入れて作ってくれたのだ。我をしたってくれるのは嬉しいが、これでは雑に扱うこともできん。
軽く爪研ぎするには良さそうな黒い机にも、細やかな彫刻が彫られている。なので、爪研ぎして傷つけることもできん。そんなことしたら妹達が泣いてしまうかもしれん。
毛の深い絨毯を踏み、黒い扉に近づけば、向こうからコンコンコンとノックの音。
扉を開いて出迎える。そこに立つ緑の髪の女が言う。
「ただいま、ヴォイセスねえ様」
「お帰り、クイン」
クインことエアリアクイーン。私の妹の一人を部屋の中に招き入れる。
クインは、上半身は緑の髪をした目付きの鋭い女。下半身は頭の無いグリフォン。半人半獣のカーラヴィンカだ。畳んだ緑の翼はエメラルドのように美しく、む? 前より艶が増しているような。
両手を開いてクインを待ち構えると、クインが半目になる。どうした? クイン?
「いや、報告を、と」
「報告の前に帰還の挨拶だろう?」
手を広げてクインに、にじり寄る。
「しばらく振りに会った妹に挨拶しなくてどうする」
「ヴォイセスねえ様のはちょっと、スキンシップが過剰というか」
「過剰も何も、姉妹で何を恥ずかしがることがある。さぁ、クイン」
少し引き気味のクインを強引に抱き締める。クインは諦めたかのように我の背に手を回す。うむ、姉妹のスキンシップに過剰ということは無い。足りない方が問題だ。
クインを、むぎゅ、と抱き締めてクインの緑の髪に顔を埋める。うむ、いい匂いだ。しばらくクインを堪能する。
下半身が狐龍の我の方が背が高いので、四本の足を曲げ狐龍の腹を絨毯につける。しばらくクインを労いながら、クインをむぎゅむぎゅとする。いつものようにその頬をペロリと舐める。
「ちょっと、ヴォイセスねえ様」
「いいではないか、このくらい」
頬を舐めて涙の味がしなければ、ちょっと安心できるのだ。舐めてみて、クインはここしばらく泣くような目には会っていないとわかる。ホッとする。
「クイン、ウィラーイン家はどうだ?」
「どうって、相も変わらず呑気だよ」
「その呑気が希少なのだがな」
我ら業の者を相手に呑気とは、豪胆なことだ。クインに楽にしてくれ、と言うと、クインはグリフォン体の足を曲げ、ペタリとその獅子の腹を絨毯につける。
クインは人の魔獣狩り、今の時代ではハンターと言う、そのハンターのような服を着ている。下半身のグリフォン体は服を着ていないが、上半身の人の部分は厚手の丈夫な布のジャケット。プラシュ銀合金でできた金属の胸当て。深都に戻りすぐに我の執務室に来たようで、背中に背負ったままのリュックを下ろす。美しい緑の翼を伸びをするように一度伸ばして、畳みながら息を吐く。
「ヴォイセスねえ様には、コレ」
クインがごそごそとリュックから取り出したのはガラスの瓶。差し出された優雅な作りの色つきガラスの瓶を受けとる。これの中身は?
「ウィラーイン家からもらったブランデー」
「クイン、深都はウィラーイン家と、こうした物のやりとりというのは」
「あたいもそう言ってんだけど、これは貿易じゃなくて贈り物だからって、強引にルミリアに持たされて」
「うむう、含みの無い贈り物ならば、素直に受け取った方がいいのか?」
「十二本もあるから、重たかった」
しばらく振りにこの深都に戻ったクイン。翼を持ち空を飛べる深都の住人の中では、我に並ぶ速さで飛べる妹。
クインが出向する先は、人類領域、ウィラーイン領のローグシーの街。その街の様子にウィラーイン家の領主館での暮らし。領主館に住む他の業の者のことなど、いろいろと聞く。
いくらか深都にも伝わってきてはいるが、実際にそこに暮らすクインの体験談は、呆れるというか笑ってしまうというか。
「ふふふ、なんとも愉快なことだ」
「ヴォイセスねえ様、その中に巻き込まれると、愉快な、とか言ってられねえんだけど」
「クインも楽しんでいるのだろう? こうして報告が済めば、さっさと戻りたいのだろう?」
「そりゃまあ、あの子達が気になるし……」
「聞いていて、我も行きたくなった」
「ちょっと、ヴォイセスねえ様」
クインに注意される。わかっている。深都の長たる十二姉の我が、軽々しくと動くわけにはいかん。ただでさえローグシーの街に行きたいと、この深都を抜け出そうとする妹達がいるのだから。姉としてはしっかりしたところを見せなければ。大使としてローグシーの街にいるアイジストゥラが羨ましいぞ。
「それと、ヴォイセスねえ様には、これも」
「本か?」
クインが差し出す本を受けとる。人語で書かれた本は子供向けのものだろうか? 文字が大きく厚みはあまり無い。
本のタイトルは『少女に恋した白毛龍』
なんだこれは? といぶかしんでいると、クインが説明してくれる。
「人間領域、辺境で伝わる聖獣、白毛龍の物語。これってさ、昔のヴォイセスねえ様のことじゃないのか?」
「ふむ、人に伝わり本となっているのか?」
「あたいも読んでみた。ヴォイセスねえ様って、昔はあたいみたいなことしてたんだ」
「クインとは、ちょっと似ているか? だが、我は衝動のままに動いただけで、クインのように賢くはやれてなかった」
「それは、あたいがヴォイセスねえ様から人化の魔法を教えてもらったから。ヴォイセスねえ様には感謝してる」
「我とクインは類似点が多いから、我のやり方が応用できたのだ。四つ足、毛皮有り、尻尾あり、翼有り、と」
魔法は感覚で現象に関与する。なので、我の開発した人化の魔法が感覚に合わない妹達もいる。下半身が蛇とか、虫とか、タコとか。
カーラヴィンカのクインには我の人化のやり方は相性が良かったらしい。
クインを見れば、ちょっと遠くを見るような顔で言う。
「あたいが上手くやれてんのは、ヴォイセスねえ様と、ヴォイセスねえ様の想い人の、祈りのおかげ、だったのかもなあ」
「可愛い妹の役に立てたのなら、姉として嬉しい。そうか、繋いだ祈りの果てに、この今が……」
ファセと再会し、我はファセと共にあの町でしばし暮らした。我が人の振りをするのは難しかったが。
ファセは我のことを、記憶を失い過去を探す旅人、と、今にして思えば苦しい説明を町の人にした。
教会の神官、ファセの病を癒して助けた神官さんは、とうに寿命で亡くなっていた。代替わりしたあの聖堂の神官は、かつてファセが歌と笛を教えていた子だった。
その神官は、我の髪とファセの髪が同じ白色というのを見て、何か繋がりがあるとでも思ったようだ。ファセの友人として教会の聖堂で、もてなして世話をしてくれた。
中途半端な人化の魔法で、何度か人に正体を見られそうになったこともある。その度にファセがいろいろと誤魔化してくれた。
『もう、ヴォイセのおかげで、新しい歌がいくつもできそう』
私の耳をつまみながら、ファセは少女のような笑顔で言う。面倒をかけると思いつつも、ファセが楽しんで歌が増えるのは、我も楽しかった。
我がかつて人の町で暮らした経験をクインに伝えた。クインは空を飛べ移動が速い。その上、人に化けて人間領域を探るのに長けている。
それでクインにいろいろと頼んでしまうのは、ちょっと申し訳なく思っている。妹達の中で、人に上手く紛れることができるのは少ないから。
「ヴォイセスねえ様がいなかったら、あたい一人じゃどうしていいか、わからなかっただろうなあ」
「我は少し手助けしただけだ。クインの想いがあれば、一人でもどうにかなっていただろうよ」
「想いだけじゃ、上手くいかないこともあるよな」
「む? 守護獣、緑羽が弱気なことを」
我がクインの噂の話をすると、クインがムッとした顔で反撃してくる。
「その本だと、ヴォイセスねえ様は人に聖獣だと伝わっているみたいだけど?」
「人には物語が必要なのだろう。まさか、こうして本になっているとは、知らなかったが」
妹との楽しい語らい。繋がるものを感じられる会話というのは良いものだ。話し終えるとクインは立ち上がる。
「じゃ、他のねえ様にも挨拶してくるから」
「さっさと終わらせて、子供達に会いに行きたいか? クイン?」
クインはそっぽを向いて「ま、そうだけどさ」と呟く。
「クイン、次の十二姉会議まで深都にいてくれ。そんなに待たせはしない」
「頼むよ、ヴォイセスねえ様」
もう一度クインをむぎゅ、と抱く。私の可愛い妹。クインはお土産のブランデーの入ったリュックを持ち上げ、我の執務室を出ていく。
机の上に残された本を手に取る。人の作った表紙に綺麗な絵の入った豪華な本。白い狐竜の顔に頬をペタリとつける少女の顔は、あまりファセに似ていない。
あの町でファセが老衰で亡くなってから、我は町を離れた。気の向くままにあちこちを見て回った。
そこで我と同じような半人半獣と出会った。我と似た者を見つけ、驚きと共に互いのことを話し合った。
赤い世界から、この世全ての魔獣の母、と名乗る者の声も聞いた。余裕の無い叫ぶ悲鳴だった。
人を守り、人を未来に繋ぐ、その為に産み出された人造の神。この世全ての魔獣の母。人の天敵、魔獣を管理するための、かつて滅びた人の文明が作り上げた、人の未来への希望。それが、我ら魔獣を産み出した我らが母。
永き時の果てにその機能が狂い、管理から外れた者が産まれた。人を求めた半分人、半分魔獣の半端な存在。人の心を求めた我らが母の、狂いから産まれた歪なる者。それが我ら業の者。
だが、軛から外れたことで我らは魔獣の本分からも自由になった。皮肉なことに、我らが母の管理から外れたことで、我らが母を助けられるのも、我ら業の者だけだった。
人を未来に残す。その為に人を間引き総数を管理し、人が扱いきれぬ技術を封印する。
人の滅日を回避するシステム。それがこの世全ての魔獣の母の役割。
見つけ出した十二の姉妹と共に、我らは人を守る為に、我らが母を助けることに決めた。
この世全ての魔獣の母、その機能を守る為だけに暴走する祖竜。全てのドラゴンのオリジナル、龍の始祖たる紫の祖龍を、十二人がかりで殴り倒した。
我らが母の機能を宿す古代魔術文明の遺跡。壊れたところを繋ぎ、機能暴走するところは止め、その代わりを我ら十二の姉妹で補う。過去の遺跡を調べ直せるところを直していく。長き時の中で巨大となったシステムの修復は、簡単にはいかなかった。
それでも我らが母は危ういところで留まり、暴走を防ぐことはできた。機能暴走からの魔獣と人の滅日は免れた。
紫の祖龍は防衛の為の指令を、一度忘れるまで頭を殴ることでなんとかリセットできた。意思を取り戻した紫の祖龍には、改めて遺跡を守ることを半ば力付くで了承させた。
十二の姉妹で力を合わせ、この世全ての魔獣の母がいる遺跡の上に、新たな都市を作った。
機能の狂いから産まれる半人半獣は、それからもポツポツと誕生し、見つけてはこの都市に案内する。
人が未だ辿り着けぬ、魔獣深森の奥の奥。紫の祖龍に守らせるこの都市を、我らは深都と名付けた。
そこに集った我ら、始まりの十二の姉妹は、深都を管理する十二姉として、この地で我らが母を守る。我らが母と、新しく産まれる妹達を守る。何より人が滅日を迎え、滅ばぬようにと。それが我ら十二姉の使命として。
我はヴォイセスファセウス。深都を守りし十二姉が一人。この世全ての魔獣の母に仕える、半人半龍の業の者。
妹達は少しずつ増え、皆で協力し、我らが母と人と魔獣とこの世界を守る。そうして、随分と年月が流れた。
そして今、人と魔獣の新たな関わりが始まろうとしている。これも我らが母と業の者の、願いと祈りの果てのことか。
その我らが守った人の領域に、我とファセのことが、物語として伝わっているとは。
クインの持ってきた本をめくり、読む。
「かなり変わって伝わっているようだ……」
本の中では、怪我をした白龍を歌で静め、怪我の手当てをする旅の吟遊詩人の少女。麗しい少女の歌と優しさに心を打たれた白龍。
「ファセと名前が違うし、旅の吟遊詩人は盲目では無い、と」
吟遊詩人の少女が立ち寄る村を、魔獣の群れが襲う。逃げ込んだ教会の聖堂の中、吟遊詩人の少女は嘆く子供達を慰める為に歌う。
その歌を聞き付けた白龍が、吟遊詩人の少女を守る為に、村に現れた魔獣の群れと戦う。
「ここは、わりと合っているか」
傷つきながらも村を守る為に白龍は戦い、村は守られた。吟遊詩人の少女が白龍に駆け寄り、白竜の頬を撫でて礼を言う。白龍は吟遊詩人の少女に応えるようにひとつ鳴き、魔獣住む森へと羽ばたいていった。
白い龍の瞳は熱く少女を見つめ、あの龍は吟遊詩人の少女に心を奪われたのだろう、と人々は噂した。
「どうにも、この本の中では白龍はオスのようだ。人の少女に恋するのなら、相手の龍の性別は男と思われるのだろうか?」
我はメスなのだがな。本の挿し絵の中の白毛龍は堂々と逞しい。後で知ったのだが人とは女と女では結婚できないらしい。だが、ファセは、魂が結びつき婚ことを結婚と言う、と教えてくれた。
『だから、分かち難く魂が結ばれた私とヴォイセは、とっくに結婚したようなものなんです』
そう言ったファセ。あれはファセと二人っきりで、誰もいない夜の聖堂の中、結婚式の真似事をしたときのこと。人と龍の静かな秘密の結婚式。すっかりおばあちゃんになりました、と恥ずかしそうに笑うファセの笑顔は可愛いらしかった。
本の中で、吟遊詩人の少女は、魔獣住む森の白毛龍に届けと、声高らかに歌う。
「ファセも、我に届けと、聖堂の庭で歌っていたな」
読み終えると、いろいろと思い出す。懐かしさで胸がいっぱいになる。
「……ル、ルルゥ……」
執務室の中、ひとり静かに歌う。ファセの歌を思い出せば、胸が暖かくなる。
――登る朝日が、闇夜を照らす
だからそれまで、静かに待って――
太陽は毎日、その身を燃やして遠く離れたこの地を暖める。遥か遠くから、日々欠かさずに。
――夜の闇に見た星夢が
太陽のもとで輝くときを――
ただ、粛々と太陽は己が使命を果たす。そのぬくみを与え、感謝も礼も要求もせずに。
――あたたかさに包まれたとき
あなたの優しさがあることを
肌で感じられる
ぬくみを知る私が、ここにいる――
たとえ目が見えなくとも、熱は肌で感じられる。たとえ遠く離れても、ファセの歌は我が胸の中で流れる。
――星夢の種は、太陽の下
暖められて芽を伸ばす――
太陽のぬくみを知って、草花は芽を伸ばす。ぬくみを求めて人は手を伸ばす。我もまた。
――祈りはやがて
大きな花を咲かせる
太陽のぬくみに応えて
星夢の花は輝く――
ファセの想いが、我の祈りとなり。我と姉妹の行いが、我らが母の暴走を止めた。
ファセの歌から始まる祈りが、人を滅日から救ったことを、知る人はこの世にいなくとも。
我の胸の中で、ファセの歌が生きている。思い出せば胸の中から熱が溢れ、泣きそうになる。
遥か遠くから歌で我の心を暖める。
やさしく、暖かく、明るく照らすことが幸せだと。喜びが穏やかに続くことを願い、祈り、歌ったファセ。
あどけない少女のような笑み。
柔らかな歌と笛。
亡くなる時まで続けた、心繋がる者の幸せを願う祈り。
たとえ雲に隠されても、見上げたその先、雲の向こうに確実に、そこに在ることを信じられる。
ファセは、我にとって、太陽のような少女であった。
――登る朝日が、闇夜を照らす
だからそれまで、静かに待って
夜の闇に見た星夢が
太陽のもとで輝くときを
あたたかさに包まれたとき
あなたの優しさがあることを
この肌で感じられるから
ぬくみを知る私が、ここにいるとわかるから
星夢の種は、太陽の下
暖められて芽を伸ばす
祈りはやがて
大きな花を咲かせる
太陽のぬくみに応えて
星夢の花は輝く――
読了感謝




