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短編

雪女に一葉の写真を

作者: 奈良ひさぎ

 昭和六年の日本は、ひどい不作であった。

 北国の方ではそれが特に深刻であり、飢饉の水準まで困窮し、身売りやら何やらが横行していたという。裕福な生活を送ることのできる者は元より少ないとはいえ、さすがに飢饉に近い状況というのは自然もやりすぎである。


 農村部というほどでもないが、大都会からは離れた地方都市に住む私も、他人事ではなかった。単に食い物の類の値が上がっており、今日はこれを買おう、と出向いた先でその値段に驚き、しぶしぶ諦めるということが何度もあった。


「それにしても、父が成功していなければ、どうなっていたことか」


 早々に鬼籍に入った父の後を継いで、私は写真屋を営んでいた。この写真屋は、父が母と二人で作り上げたものなのだという。今の母は店から数分も歩けばたどり着く文化住宅に住み、静かに隠居生活を楽しんでいる。母は私が助けてくれ、と言えばその通りにしてくれるが、基本的に私に店のほとんど全てを任せている。母がやっていることといえば、店の金勘定くらいか。金の話だけは素人が首を突っ込むな、と母の手腕を少なくとも何年か見ておくように言われていた。逆に言うならば、それ以外は私がやっていることになる。


「今年は、大した雪だな」


 作物が日差しを浴びるべき夏がよく冷え込んでくれたせいで不作になったというのに、その冷え込みは冬まで続いていた。元より冬になれば雪がちらつき、家々の屋根がうっすらと白くなってはいたが、今年はどうにもおかしい。くるぶしまで埋まるほどに積もっており、雪の重みで潰れた家があるらしい、という話まで聞かれた。普段それほどに雪が降ることなどないから、家屋も豪雪に全くと言っていいほど対応していないのである。

 そんな大雪だから、写真を撮ってもらおうという物好きはなかなか現れない。これほどの雪を見られる機会はそうそうないから、記念に残しておきたいとやってくる人を物好きと呼ぶのは、いかがなものかとは思うが。


「いやに、子供の頃を思い出すな」


 子供の頃の私は素直で無邪気だった。雪がちらつく日は欠かさず外に出て、地面の雪を懸命にかき集めては、小さな雪玉をこさえていたものである。

 しかし今は喜んでいる場合ではない。元より写真屋は食い物屋などのように繁盛はしない職であるとは言え、これほどに客が来なければ話は変わってくる。金勘定をする近頃の母も、ため息が多くなっていた。すでに年老いた母に心配をかけるのはよくないことだと分かってはいるのだが、こればかりは私にはどうしようもなかった。


「……ん?」


 さてどうしようか、写真屋を開けるのはほどほどにして、別の仕事にでも手を出してみるべきかと悩んでいたある日のことだった。慣れぬ雪かきをするため店に赴くと、見慣れぬ足跡が店内に続いていた。もちろん私のものでも、母のものでもない。死んだ父のものと疑えば話は変わってくるが、しかしそれにしては小さな足と見えた。


「誰か、おられますか」


 そう呼びかけてみるが、返事はない。中に入ると、床に水滴がいくつか散らばっていた。昨日は床も掃除したし、戸締りもしたから、やはり人がいるのは間違いないようだ。


「誰か――ッ」


 もう一度呼びかけようとして、私は倒れた人を見つけた。私と歳は同じほどに見える女性であった。が、話に聞くモガとは程遠い。髪は長く和服を着ていた。一瞬白装束かと見間違えたが、柄はあった。しかし見たことのない柄の着物であった。


「ん……」

「ここで何をしておられるのですか」

「あ……ええと……すみません」


 全く答えになっていない。しかし人の店に勝手に立ち入ったことをまず詫びるあたりは、誠実さがある。


「やっと家らしい家を見つけたのですが、誰もいなくて……食べ物を失敬しようと探す途中で、力尽きてしまったようで……」


 ぐうう、と女性の腹が鳴った。顔はよくよく見ればげっそりとしていた。いったい何日、まともな食い物を口にしていないのか。このままどこかへ行け、と追い払うのはさすがに酷である。


「ここは写真屋ですから、食べ物はありませんよ」

「そんな……」

「家に帰れば、何か用意はできますが。しかし見知らぬ男についてくるというのも……」

「行きます。行かせていただきます」


 女性は不用心だと気にする余裕もないのかそう言った。私はこの日写真屋を開けないことを決め、女性を先ほど出たばかりの家へ連れ帰った。


「おやまあ。すぐに帰ってきたと思ったら女を連れてきて」


 母はついに私も女を捕まえたのか、と嬉しそうだった。しかしそれどころではない。母に事情を説明し、一通り食事を作ると、あっという間に平らげてしまった。


「あの……いつにない雪は、わたしのせいなのです。申し訳ありません」


 そして突然、女性がそんなことを口走った。意味を解せずにいると、女性が話を続ける。


「……実はわたしは、雪女の末裔でございまして……その年の雪は、ある程度わたしの裁量で決められるのですが」


 それがすでに私と母にとって驚きだった。無論、雪女などというものが実在したのか、という驚きである。百年二百年前の徳川の時代であればともかく、大正生まれの私にはにわかに信じられなかった。

 しかしそれはさも当然のことであるかのように、女性が話を続ける。


「あなた方もご存知でしょうが、今年の不作によってろくに物を食べられていないのです。いえもちろん、何かしらを食べられてはいるのですが……あまり体力をつけられるものは食べられず、ついには食糧が底をつき、やむなく偶然見つけたあなたのお店に向かったのですが」

「食い物はなく、ついに力尽きた、と」

「申し訳ありません」


 まさか不作であるのもこの女性のせいなのかと尋ねたが、それは否定された。雪女とは言え、そこまで世の情勢を操るほどの力はないらしい。


「体調を崩して、雪の量を操作できなくなったと」

「ええ……申し訳ありません」


 女性はぺこぺこと何度も謝る。死にかけていたところを保護され、食事まで与えられ、優しくされているとなっては、謝らずにはいられないのかもしれない。


「助けたという縁もありますし、食い物もいくらかお渡ししたいのですが。あいにく私たちも自分たちが満足に食うのがやっとで、他人様に渡すほどの余裕はなくて」

「いえ、問題ありません……それに、食べ物をいただいたところで、帰る家がありませんでして」

「帰る家がない、とは?」

「意図せず降らせてしまった雪のおかげで、わたしの家を潰してしまって。街に出てきたのは、そのせいでもあるのです」


「「……。」」


 さて困ったとばかりに、私は母と顔を見合わせた。帰る家がない女を、放り出すわけにはいかない。仮に私がそのようなことをする極悪非道な男だったとしても、母がそれを許さなかったであろう。


「……そこで、お願いがあるのです」

「はい」

「わたしを、預かっていただけませんか。働けということであれば、何でも致します。脱げと言われれば脱ぎます。妻になれと言うのであれば……」

「それ以上はおっしゃるな」


 私はたまらなくなって、女性の言葉を止めた。妻であろうとなかろうと、女を辛い目に遭わせるなと、母に何度も教わった。それ以上言わせるわけにはいかない。


「私どもに危害を加えないのであれば、預かるどころか。ここにぜひ、住んでいただきたい。狭い上、母もおりやりづらいかもしれないが、この通りだ」

「危害を加えるだなんて、そんな」


 女性は涙を流す。しかし私は不安であった。自らの暮らしを保たせたまま、この女性を養ってゆけるのか。私の営む写真屋はそれほど大きなものではない。女性に店を手伝ってもらうなど、働いてもらう道が一番私にとっても、女性にとっても楽なのだろうか。


「……名前を、尋ねても?」

文子(ふみこ)、でございます」


 雪女とは言うものの、それほど特別な名前ではなかった。むしろ近頃の女につける流行りの名前であると言えた。私は聞いたばかりのその名を呼ぶ。


「文子」

「はい」

「私には足りないことがいくつもあるかもしれない。その証拠に私は文子を最後まで預かりきれる自信はない。それでも、いいか」

「もちろんでございます」


 文子の返事は、決意に満ちていた。まだ金勘定を母に任せ、店を営んでいるという自覚の薄い私より、よほど覚悟を決めた顔つきであった。


 ここ最近ろくに風呂に入っていないという文子を、まず銭湯へ連れて行った。私は母とともに歓談する文子の声を聞きながら、これからの生活に思いを馳せることしかできなかった。

 湯上がりの文子は、そこらの女性よりよほど美しかった。私は普段から女性をそういう目で見ないよう心がけていたつもりだったが、こと文子に対してはそのような比較を用いなければならないほど、美しいという言葉がよく似合った。


「こらお前。早速文子さんに見とれているんでないかい」

「そんなことはないよ」


 しかし、母の言うことは正しかった。私たちの住む文化住宅の寝室は狭く、私は文子の隣に寝ることとなってしまった。今日出会ったばかりの女性と隣同士で寝ることほど、緊張することはないのだと知った。その時に見た寝顔が、私の中でいやに印象に残った。立ち振る舞いが美しい文子は、寝顔でさえ美しかった。思えばこの時すでに、私は文子に一目惚れしていたのかもしれない。



「写真を?」

「そうだ。一枚、撮らせてもらえないか」


 文子が私の家にやってきて一週間経つ頃には、文子に店を手伝ってもらうこととなった。男の私より、女の文子の方が愛想よく振る舞ってもらえるだろう、という単純な考えからである。文子が無事に体調を回復したことで、相変わらず不作によって食い物の値は高いままだったが、雪に悩まされることはなくなった。あれだけ降っていた雪がぴたりと止んだことで、街の人々は戸惑いながらも写真を求めて店に来てくれるようになった。客が一旦止んだ時、私は文子にそう話した。


「雪女の私が、写真に写ってよろしいのでしょうか」

「雪女かどうかは関係ない。少なくとも私には、文子はれっきとした人間に見える」


 文子は戸惑ってこそいたが、特に写真を撮られることを嫌がる様子はなかった。文子を被写体としてカメラを準備する手は、どういうわけか震えた。文子を初めて写すこの写真は、何としてでもきれいにしなければならない。私は気合が入っていた。


「あの、わたしはどのような格好をすれば……」

「自然体で構わないよ。気取る必要はない、普段と変わらない文子を見せてくれ」


 そうして撮ったのが、文子の初めての写真。文子を景色とともに写せば、景色もより引き立ちいい写真が撮れるのではないか。私がその写真を絵葉書にして売ると、なかなか好評であった。さらに素晴らしい景色を求めて、文子とともに少し遠出できるようにもなった。


「文子も一枚、持っておくといい。これは私からの、ささやかな贈り物だ」

「本当ですか? 嬉しいわ」


 一つ新しい絵葉書ができるたびに、一枚目をまず文子に渡した。私がどうしてこんなことを始めたのか、十枚目を贈る頃にはとっくに忘れてしまっていた。それでも、渡すたびに文子が笑顔になってくれる。その笑顔を見たくて、私は絵葉書を渡していたのかもしれない。そして同時に私の中に、文子に対する確固たる想いが芽生えてきた。


「文子」

「なんでしょう」

「これからは、私を対等な立場だと思ってくれ」

「対等な、立場」

「文子。私は、お前とずっと生きていきたい。老いる時も、一緒でありたい」


 想いを打ち明けるには、あまりにも下手であることは承知の上だった。それでも十分伝わってくれた。文子はその時も、屈託のない笑顔を見せてくれた。


「わたしも、そう思っていました。わたしの方からは、言い出せませんでしたが……」


 ナチスドイツがヨーロッパで動き出し、日本でも何やら軍によるきな臭い事件が起きていた頃だった。私が文子とその時いた箱根にも、何やら怪しい臭いは感じられた。この国が向かってはいけない方へ向かっているのではないか。そんな虫の知らせに似たものがあった。それは結局開戦によって現実となったわけだが。


「私は、ただ文子とともに生きてゆくだけだ。それが守られるのなら、何も要らない」


 文子と結婚して何年も経たぬうちに、私のもとに赤紙が来た。特に病気らしい病気もしたことのない私は、戦場に行くことになった。文子と少し弱ってきた母親を置いて一人、同時期に招集された者たちが死んでいくのを見て、私は心が折れそうになった。何とか生きて帰り、無事を告げなければという文子への思いだけが、私の心を支えていた。

 結局私は、前線へ送られる直前で結核と診断され、内地に戻されることとなった。元気に出て行った私は、弱り切った姿で文子と母に再会した。


「絶対に治してみせましょう……わたしは、もっとあなたと生きていきたい」


 結核の特効薬となるペニシリンはすでに開発されていたが、私のような民間人が手に入れられるものではなかった。私はそれまでの結核患者がそうしていたように隔離され、効果があるかどうかも分からない治療を受けることになった。


「妖怪が人間を愛するということは、たびたびありました……けれどそれが人間に受け入れられた試しは、ほとんどなかった。だからこそ、わたしを選んでくれたあなたを大事にしたいのです」

「言っただろう……文子が実際妖怪であるかどうかなど、私には関係ないと。文子は文子だ、私はそれでいいと思っている」

「……ありがとうございます」


 私が結核を何とか治し、動けるようになる頃には、戦争が終わっていた。不作でなくともまともに食い物にありつくのが難しかったあの時、結核を治すことができたのは奇跡に近いのかもしれない。

 私は空襲で焼けてしまった写真屋を、もう一度やり直すと決めた。死ぬまで私が美しいと思った文子を撮り続けると。それは写真機の形が変わろうと関係なかった。

 文子は雪女だと言った通り、私が老けて、写真を撮る体力さえ失っても、しわ一つ増える様子すらなかった。私の方が先に旅立つことは、どうしようもないことらしかった。


「……文子」

「はい」

「お前は私が死んだら、どうするつもりなんだ」

「あなたがよろしいのなら、写真屋を継ぎたいです」

「写真屋を? 今時、時代遅れではないのか」


 当時の景気はちょうど高度経済成長期のようにすこぶるよく、写真屋など見向きもしない人が増えたように感じていた。客こそ減っていないように思えても、そのほとんどが私と同じように老いている。若者が来ることはまずなかった。だから私が死んだら、写真屋を畳んでしまおうかと思っていた。


「写真屋にも様々な形があります。わたしはあなたが営んできた写真屋を、ずっと残していきたいのです。歴史には残らなくても、誰かの記憶には刻まれることを願って」


 文子のその言葉に、私は動かされた。文子と人生を共にしてきて、本当によかったと感じた。こんなことを日記に書くのは恥ずかしいことかもしれないが、敢えて書く。文子が時々、見返して微笑んでくれることを願って。



* * *



「……ふふ」


 いつも、最後のページを見ると笑ってしまう。思わずこぼれてしまうのだ。


 あの人が天国へ旅立ってから、もう三十年が経とうとしている。三十年は長いようで、雪女であるわたしにとっては一瞬に思えるほど短い。生まれた年こそあの人とほとんど同じだったが、わたしは若い姿でいられる時間が人間よりずっと長い。きっとわたしを見た人は、まだ二十代だと思うことだろう。

 結局あの人との間には、二人の息子と一人の娘を授かった。妖怪のわたしと、人間のあの人との間にできる子どもは、半妖だ。わたしと同じ雪を操る力の片鱗が、息子たちにもある。しかし半妖は人間の血の方が濃く、人間と同じほどしか生きられない。老いる速さも、人間と同じだ。

 つい二か月ほど前に、すっかり老いた息子たちに会った。彼らもまた人間と結ばれ、その子どももまた人間と結婚した。わたしにとってはひ孫にあたる男の子や女の子を連れてきて、とりとめもない話をわたしにしてくれた。彼らもまた、わたしより先に天国に旅立つのだろう。そうしてあの人と久々に顔を合わせ、思い出話に花を咲かせるのかもしれない。


「……さて」


 わたしは日記を閉じて、鍵のかかった引き出しにしまう。シャツにジーパンとラフな格好をして、店を出る。今日は小学校の校外学習についていって、カメラマンの仕事をする日なのだ。


「……あなた。まだ、見てくれていますか」


 家にいるとき以外、わたしが常につけているペンダントがある。開けると中には、あの人が一番最初に撮ってくれたわたしの写真が収まっている。少しその写真に話しかけて、わたしは小学校までの道を歩き始めた。

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