1 女子高生の憂鬱
今回から創作小説を書いてみようと思います。
亀更新になると思いますが、ぜひ面白いと思った方は最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
眼前の景色全てが、まるで2色で塗りつぶされたようだった。
青い海と、海よりも少し淡い青空が見渡す限りどこまでも広がり、そこに無差別に咲き散らかした、美しい白菊のような白が散りばめられている。
ある白は青空に負けんと浮かぶ雲の色。
ある白は太陽の光を照り返す海のもう一つの色。
そんな二色でありながら、複雑に作られた模様で目の中が満たされている。色は少なくても、この紋様を染めろと言われたらどんな染師でも匙を投げるだろう。いや、知り合いのあの真面目ちゃん二人組ならあるいは別かもしれないが。
「…綺麗です。」
そんなことを考えていたら、後ろから女性の声が聞こえた。泡音にも似た、優しげなよく通る声。
そんな声にドキリ、と心臓が高鳴る。
まるで心臓に息を吹きかけられたみたいに、男の心拍数が一気に上がった。
落ち着け。心音が彼女に聞こえるはずもない、と思い直す。
男は振り返らず、床に臥せっているはずの女性に応える。
「何度も見た景色だろうに。」
「いいえ、海や空だけではありません。あなた様の真っ白な装束が、青の中にぽかんと浮かんで。それが美しいと思ったのです。」
「雲や波間の泡ならわかるが、私が?」
「ええ。好きな殿方の背中が、1番美しいです。」
ドキリ、と一層男の心臓が跳ね上がる。
所構わずこういうことを…。
「褒めてもなにもでないよ。」
辛うじて、こう言った。
クスクス、と笑い声が聞こえてくる。
きっと自分がこうなっていることくらい、お見通しなのだろう。
悔しいが、この女性に、男は勝てる気がしなかった。
海に面した断崖の際に建てられた、こじんまりとした一つの家。
その中の海に面した一室の光景だった。
海に向かって開けた縁側の向こうにはほんの少しの草原がある。無作為に生えた雑草の合間で白い花が咲狂い、こちらも美しいグラデーションを成していた。ただ、その草原の向こうはストンと切れ落ちている。その何十メートルもの下に、海が今にも何かを飲み込まんと、渦巻いている。
その小屋の縁側に、ひとりの風変わりな男が座っていた。
見かけは、25歳くらいだろうか。
彫りの深めな顔立ちに、よく整えられた顎髭を携えた男。ただ死者が身にまとうかのような白装束を着ているせいか、少し老けて中年の男性にも見える。
着崩した白装束の隙間からは、それが男性であることを感じさせるしなやかそうな筋肉が見えていた。
海に開けた部屋の、縁側に座る男は足を外に投げ出し、少し顎を触る。
落ち着こうとするときに男が見せる、特有の癖だった。
「もう、行ってしまわれるのですか?」
女性は問う。
「…ああ。」
「いつ、帰って来られるのですか?」
その問いに、男は一瞬詰まる。
「…用が済んだら、帰ってくるさ。」
女性はクスリ、と笑う。
「いつもいつも『用が済んだら』ばっかりじゃありませんか。私は何を知ることができるんです?」
「いつもいつもの通りだよ。ほんとに用が済んだら帰ってくるさ。」
「はいはい。わかりました。
ーーくれぐれも、お気をつけて。」
「わかってる。」
「私も、そう長くはないでしょうから。」
「何言ってるんだい、そう簡単に死んでもらっては困るよ。」
「…。」
男は、振り返らない。
今、女性がどんな顔をしているのか。
それはさっぱりとわからない。ただ少なくとも、男に見られていい顔はしていないと思う。だったら顔がどんだけ見たくっても我慢するのが、いい男ってやつだろう。
男はそっと足を組み替える。
流れる雲が後押しするような風が、びゅう、と男の髪の毛を揺らした。
「誓うさ。必ず、お前に会いに帰ってくるよ。約束を守るためにね。」
「はい、わかりました。」
その女性の声に少しだけ涙の音が混ざっていたのはきっと、気のせいだったんだろうな、
と。
そう、思った。
ーーーーーーーーーーー
「ーーーで、結局その男は帰って来ず。女性は病に伏したまま、そのまま亡くなったんだけど、死んだ後もそこには男を待ち続ける、女の人の幽霊がいるんだって。」
「へー、すごい!それで、香夜ちゃんはその幽霊、見たことあるの?」
「ないよ、というか行ったこともない。婆ちゃんの家からも結構遠いとこだし。今は誰も行ってないと思うよ。」
「なぁんだ。つまんない。今度私も連れてってよ。」
「なんでよ…茨城よ?」
「行く!」
目を爛々と輝かせてこちらに詰め寄ってくる友人の顔を押しのけながら、少しだけこの話をしたことを後悔した。
普通の人ならこんなどこにでもありそうなお涙頂戴の昔話なんか、へえ、とでも言って流されるだろうし、何ならその後冷めて沈黙を呼びおこすまである。
ただ、大のオカルト好きにとってはこんな話でさえも、興味の対象であるみたいだった。
ってか、顔近づけるのやめて。
百合なんか誰も求めてないから!
「鈴、近い近い!」
「じゃあ連れてってくれる?」
「わかった、わかったから!」
そう言うとやっと、早坂鈴は顔を遠ざける。
うっへっへっへ、と気持ちの悪い笑みを浮かべながら、ガッツポーズする鈴。学年1の美女の顔が台無しだ。
よだれはあかんて、よだれは。
「ってか、わざわざこんな下らない昔話のために茨城なんて…正気?」
「正気だよ!だってだって、ありがちだけどすっごいロマンチックじゃん!綺麗な海、綺麗な空、歯の浮くようなセリフ!」
「オッケー、正気じゃないのはわかった。」
ひどい!
と声を上げる鈴はとりあえず無視。
「しかも、香夜ちゃんが一緒なら…
その幽霊にも、会えるかもしれないし!」
…はぁ。
どこに、幽霊に会いたい女子高生が存在するんだろうか。全く、望むならこんなチカラ、あんたにあげるけど。
と、あくまで心の中で言っておいた。
「何で無視すんのー!」
「心の中で返事したわ。」
「聞こえるわけないよね!?」
ムキー!と腕を振る鈴はとりあえず無視。
いちいち彼女の一挙一手一頭足に気を配っていたら話なんて進みゃしない。
蜜谷香夜。平仮名にすると、みつたにかや。京都市内の進学校に通う高校1年生。そんなステータスだけならどこにでもいそうな女子生徒が、この物語の主人公だ。
「じゃ、私こっちだから!バイバーイ!」
「じゃね、また明日。」
路地で鈴と別れると、香夜は少しだけ足を早めた。7月に入って梅雨もそろそろ終わりを迎えようかという頃、時刻は6時を回っているのに陽はまだ高い。
肌がオレンジ色の光にジリジリと焼かれていくのがわかる。華の女子高生として、やはりお肌にはある程度気を使いたい。
早めに家に帰ろう…
路地には人もおらず、ただ両脇に立ち並ぶ民家がオレンジに染まっている。
この時間でも一本脇道に入ってしまえば人もまばらになるのが京都の不思議なところだ。祇園に溢れかえるあの人たちは一体どこに潜んでいるんだろうか。
どうせ今頃は鴨川のほとりとかでいちゃついてんだろう。
「あ。」
そんなくだらないことを考えながら歩いていると、ふとあるところに目が止まった。
並ぶ民家の中のうちの一つの、玄関の前。その張り出した軒の下で、ひとりの老人が座っている。
およそ、現代には合わない白いパッチを着たおじいちゃんが、玄関の前の階段ーー玄関ポーチといったかーーに座っていた。
「…。」
おじいさんは俯いたまま、まっすぐに地面を見つめている。香夜は立ち止まって、少し観察する。
「全く、最近の若いもんは…。」
不意に、おじいさんがつぶやく。
その声は、香夜の耳にはっきりと届いた。
それと同時に、ふわりーー。
「…。」
おじいちゃんの肩のあたりが、ふわりと揺らめいて見えた。
そう、まるで風で煙が揺れたり、切れ間ができるように、ふわり、と肩そのものが。
(あー………。)
間違いない。
現代には似合わない服装に煙のように揺れたり消えたりする体。
蜜谷香夜、16歳。
私、幽霊が見えます。