右翼左翼仲良し仮説
思考は前提と推論からなる。
言い換えると、どの人のどんな行動についてもその人なりの世界の理解、つまりその人なりの論理が存在して、論拠をたどっていけばたいていは様々な思考停止が存在する。
いかなる社会政策や個人の振る舞いが社会的に正しいかについては、時代と地域それぞれに認知のパターンが存在する。
つまり誰しもが何らかのイデオロギーを備えているが、平均的な多数派のイデオロギーはイデオロギーとは認知されない。
例えば異なる宗教の、つまり異教徒の、あるいはいくらか異端の論理こそがイデオロギーだと認知される。
自由と民主主義を重視する欧米や日本では、与党と野党の対立として政治は実行されていく。
そこにおける政策の正しさの主張のパターンについては、「右翼」と「左翼」という概念で捉えることが行われる。
世間には政治に特に興味がある人や、自分なりの政治的な考えを持っている人がいて、時にそれは、右翼的であったり左翼的であったりする。
社会についてのある人の考え方に長く耳を傾けると、その人がどの程度「右翼的」な、あるいはどの程度「左翼的」な人かなと、分かる感じがすることもある。もちろん、そんな位置づけをしてしまうことは安易すぎる単純化ではある。
しかし何にせよ、右翼的なあるいは左翼的な論理というものが、いくらかのパターンとしてあるだろう。暗に前提とされている思考停止を含むものとしての論理がである。
では、「右翼」や「左翼」とは何だろう?
どうして現代の人間の社会には、思考の枠組みにそのようなパターンが生じるのだろう?
右翼や左翼という概念は世間で使われているが、その定義は各国でかなり便宜的で事実上複雑だ。
なのでここでは、自分なりの主観的な立場から、「右翼」や「左翼」という概念を考えてみたい。
【右翼】
祖国を愛する人。そのことを声高に言う人。他者もそうあるべきだと考える人。集団の権威と個人的な自尊心とがいくらか同化している人。昔は良かったと言う人。外国人や異民族や少数派に対して不寛容な人。既存の体制における勝利と敗北とを肯定している人。場合によっては戦争を肯定する人。左翼を嫌悪する人。
【左翼】
権力を罵る人。政治家を蔑む人。祖国への愛着が限りなく薄い人。平等を訴える人。弱者の保護を訴える人。庶民に正義があると考える人。ジャーナリズムが権力を批判することによって世の中は少しずつ進歩していくと考える人。民主主義や人権などの普遍的価値を大切にする人。普遍的な価値を論理的に考えようとする人。右翼を嫌悪する人。
右翼と左翼、それぞれに、いいところと悪いところがある気がする。
分けて考えてみよう。
【右翼的誤謬】
集団的利己主義。つまりそれは集団の外側の者達について残酷でありやすい。
権威主義。集団を代表する権威を肯定し、個人の立場を抑圧する。
安定指向。既存の体制を肯定して、行われるべき改革を妨害する。
【左翼的誤謬】
反権力思想。全ての悪徳を権力に帰することで民衆の悪徳に盲目になる。
偽善。いかなる集団の利益を守る努力も野蛮性として安易に蔑む。
大衆主義。平等な大衆性そのものを美徳だとするナルシズムに陥る。
【右翼的正当性】
互助機能の保護。社会的な責任感、ひいては集団の利益への献身の美徳を理解する。
相愛。個人間の思いやりや帰属集団への愛情を育む。
現実性。自分自身に今ある生活から始めて世界を考える。
【左翼的正当性】
普遍的倫理主義。自分の集団の当面の利益のみならず倫理の発展性を考える。
理想主義。保身に生きて人生を終える以上の世のための生き方を求める。
革命精神。人々の幸福のためであれば強大な権力を持つ既存の体制に挑戦する。
はい、右翼と左翼をなんとなく定義できたぞ。
しかしほとんどの人は右翼でも左翼でもない。右翼でも左翼でもない、つまり「中道」だろう。
上の右翼と左翼の定義に依存して、「中道」についても考えてみることにする。
【中道的誤謬】
右翼的正当性と左翼的正当性の片方すら備えていないこと。
つまり、集団的な責任感もなければ普遍的な理想主義もない、単に利己的な個人像。
【中道的正当性】
右翼的誤謬と左翼的誤謬を両方とも含んでいないこと。
つまり、集団主義に満足することもなければ権力批判に満足することもない哲学的態度。
これで中道の定義を完了しました。
これで、「右翼」、「左翼」、「中道」という言葉を私なりに用いて何かを言うことが可能になった。
こう考えてみると、世間で多く見かける右翼的な主張や左翼的な主張は、それぞれの「悪いところ」を脱しきれていないという気がする。つまり、まるで子供のように幼稚というか。
つまり、「安い右翼」や「安い左翼」みたいのがある気がする。
【安い右翼】
帰属集団の権威に依存して自尊心を補填したいだけな態度。
例えば韓国や中国を悪く言って、そのこと自体を楽しんで満足しがちである。
日本国内に、モラルに欠ける人や能力に劣る人が多くいて、中韓にもモラルある人や有能な人が(たまには)いることを軽視しがちだ。つまり自己満足でしかない。
【安い左翼】
種々の権威を誹謗することによって実は大衆という権威を最大化したいだけな態度。
例えば常に何かを罵って、自分が劣等のものだという事実から可能な限り目を背ける。
弱者を虐げているという名目で既存の秩序を安易に破壊していく。そこで唱えられる正義の全ては実際には偽善である。つまり自己満足でしかない。
じゃあ逆に、「かっこいい右翼」や「かっこいい左翼」もあるのだろう。
【上等な右翼】
国を背負っている人。
祖国の国民全てを心から愛していて、人々を守るための戦いに人生を捧げている人。
【上等な左翼】
人類を背負っている人。
地球人類全てを心から愛していて、人々を守るための戦いに人生を捧げている人。
そんな上等な右翼と上等な左翼で意見が異なることがあるかもしれない。
異なっていいのだろう。見えている範囲が違う、得意分野が違うだけなのだろう。議論を通してよりよい成果を生んでいけるのだろう。
「彼は彼女は右翼である」
「彼は彼女は左翼である」
そんな言明は普通は一種の悪口だ。
しかしそれを悪口と捉えるのは、中道の誤謬に染まった価値観ではないだろうか。
右翼と左翼は、互いに遠い立場なのだろうか。
その立場の遠さは、安い右翼と安い左翼についてのみ言えることではなかろうか。
自分の生活がうまくいけばよいとのみ考えるのではなく、自分の頭で政策の是非を考えてみようとする態度はそれぞれ美徳だと思われる。
右翼だから、左翼だから、と考えて、自分と異なる立場を否定してしまうことはあまり生産的ではないと思うのである。
多く子供を生んだならば、それぞれ上等な右翼や上等な左翼になってくれたら頼もしかろう。
中道的正当性を極める道とは、右翼になることも左翼になることも避ける先にあるのではなく、右翼にもなり左翼にもなってしまう先にあるのではないか、そう思うのである。
よって、右翼と左翼は仲良しだと考えられる。