2.古傷を探る女①
エアコンの冷房が止まっていたようで、
目覚めた時、俊平は全身が汗だくだった。
昨夜の酒が、まだ身体に残っているようだ。
ガンガンと、酷い頭痛が俊平を襲う。
......糞っ、悪酔いしちゃったな。
おまけに子供の夢まで見ちゃったじゃねえか。
朝から最悪だぜ。
何年も会えていない子供達の顔は
はっきりせず、ぼんやりしていた。
日常の他愛のない、やり取りだったが
あまりよく思い出せない。
冷静になる為に、まず煙草を一服。
煙をゆらゆら燻らせながら、
ふと、時計を見ると時刻は
午前9時半を過ぎていた。
......出勤が早番で10時だから
「やべっ! 遅刻じゃねーーか!!! 」
寝過ごしてしまった。
職場までは、車で15分位。
10分で身支度を済まさなければ、
遅刻確定だ。
素っ頓狂な声を上げ、俊平は
慌ただしく家中を動き回る。
寝癖を直すのも、髭を剃る暇も無い。
ネクタイ締めるのも後だ、職場着いてから!
心配そうに、黒猫のクロ助が
にゃーん、にゃーんとまとわりつくが、
もう、構ってあげられない。
家を飛び出て、車に乗り込むと
俊平は仕事場へと急ぐ。
信号待ちの時間がもどかしい。
9時48分、49分と一分刻みに変わる
時計を睨みながら、脳内には 「24」の
ピッ、ピッ、ピッ......の
カウント音が鳴り響いている。
ホント、ギリギリだ。
とはいえ、スピード出して捕まってたら
元も子もない。
「慌てず 急げ」か。
いつも思うけど、矛盾してるよな?
慌てているから、急ぐんだろう?
そんな、くだらない事を考えている内に、
職場には3分前に到着できて
俊平は胸を撫で下ろす。
階段を駆け上がった為に、ゼエゼエと
息を切らす俊平に、上司が声をかける。
「おはようございます! 能登さん。
おお、なんとかギリギリでしたねえ。
日曜、休みだったんですから
その分、今日は頼みますね! 」
店長に次ぐ、フロアマネージャーの
田中だ。
年は十程下で、小柄な俊平より
さらに小柄なメガネの男だが、
大きな声で良く喋り、良く動く。
店舗管理のみならず、
個人の売上も高く、なかなかデキる男。
朝から、やる気に満ち溢れたオーラを
全身から漂わせている。
......だが、テンションの低い
俊平にとっては、朝っぱらから
騒がしいだけでしかなく、キツイ。
話す内容に、適当に相槌を打つ。
「昨日は、すいませんでした。
まあ、多分、今日は大丈夫じゃ
ないですかねえ? ハハッ(棒)」
「おおっ!? 本当ッすか?
何か、大きい売上の予定とか
あるんですか!? 今日の前年売上、
結構、大きいんですよね。
期待してますからね! 」
......うわぁ、異様に食い付いてきた。
「ハハハッ、大丈夫、大丈夫ッスよ!
根拠は何もないですけどね」
えっ、という声を漏らす、真顔の
田中から逃げるように離れる俊平。
いそいそとネクタイを締め上げる。
鏡に写る、よれよれのカッターシャツに
薄汚れたネクタイ、やや弛んだ下腹の
自分の姿に、思わず目を背ける。
思わず、溜息。
......ささっ、仕事だ、仕事。
俊平が勤めているのは、家電量販業界で
最大手の「ヤメダ電機」の海野店だ。
この会社に入社して、二十年目。
海野店に配属されて、もう十年になる。
「あの」ブラック企業大賞を受信した、
超絶ブラックな労働環境なんだろう、って?
......いや、それは誤解だぞ。
基本、土日は無理だが月9日は、
きっちりと休みは貰えるし、
9時間労働以降は、残業代も
十五分刻みできっちりとつく。
正社員ならば、年収も普通なら
殆どの奴が、400~500万程は
貰えているはずだ。
正社員ならな。
適度にサボりながらでも、喋れて
売れて、数字を作れる者ならば
これほど、気楽な職場もない。
超絶ホワイトって、いわないのか?
正直、プライベートでは人付き合いは
苦手で、必要以上には喋りたくなくて、
店の飲み会などにも殆ど参加しない
俊平だが、非難される事もなく
業績評価に響くわけでもない。
(離婚する前までは、幼い子供の為の
世話に追われて参加できなかった、と
いうのもあったが)
「お客さんとだけ」、「適切に」、
「買ってもらう為に必要な事だけ説明し」、
「買ってもらえて数字が上がれば良い」
だけの、簡単な仕事だ。
製造業、飲食業、営業etc......
世の中にゃあ、ココより給料低くて
仕事もキツくて休みも取れない、
待遇悪いトコロはいっぱいあるのに、
どうしてココばっかり、叩かれるんだろうな?
高校を出て、ヤメダで働くまで幾つかの
仕事を転々としてきた俊平にとっては
いつも理解ができない。
......とはいえ、物凄く愛社精神に
満ち溢れているわけでもないのだが。
まあ、少なくとも自分にとっては
天職ではないかと思っている。
店が開店し、いつもの1日が始まる。
俊平の担当は、PCコーナー。
まずは、売場パソコンの電源を入れて
おもむろに、ヤホオの画面を開く。
えっ、サボってるって?
違う違う、そうじゃ、ない。
新聞を購読していない俊平にとって、
世の中の情勢を読み解く為の
重要な、朝の日課なのだ。
......フムフム、ニッセン自動車の
カルロス・ゲーンが50億円チョロまかして
逮捕てか! ゲーンめ、ワルい奴やなー。
ありゃま! 元・高鼻田親方の夫婦は
離婚しちゃたんだー。大変やなあ。
......そんな事を暫く続けていると、
耳に着けたインカムから、
女性の声をが聞こえてきた。
「......あ、あの、河北です。
すみません、どなたか、デジカメコーナーの
フォローをお願い致します......」
ん?
我に帰って、売場を見回すと、
デジカメコーナー・一眼レフにて
数人の男に囲まれる、一人の若い女。
2ヶ月程前に、時給パート勤務の
販売補助員として、勤務を始めた
河北 理子だ。
年は二十代後半。噂じゃ、
上智大学の外国語学科卒とかで
英語は堪能。ルックスも
長澤まさみに似てるとか、似ないとか。
実家も、この地元では超有名な温泉宿
「ホテル 能登國」だとかで、
結構なお嬢様であるらしい。
店の若い後輩共は、仕事合間に
なんとか仲良くなろうと、
とにかく必死な者ばかりだ。
他人のプライベートに全く関心がない
俊平にとっては、そんな高スペックな
奴がどうして、こんな店で時給の仕事で
満足なのかが理解できないし、
ただのUターン就職ではなさそうなのだが、
どのみち、本人に聞くつもりは更々ない。
世代も、環境も、全く違う人間。
この2ヶ月間、挨拶と簡単なやり取り以外は
特に話した事などなかった。
......誰か、空いていねえのかよ。
ホレ、助けてやれば......って。
店内のスタッフを探してみたものの、
他の者は皆、接客中。
フロアマネージャーさえも。
「チッ! 俺しか空いてねえのかよ」
つい、舌打ちするも、俊平以外誰も
いないし、自分のコーナー内でも
あるので、仕方なく重い腰を上げて
デジカメコーナーの集団に向かった。
近づいていくと、徐々に聞こえてくる
外国語。どうやら外人に何か質問されて
いるようだが、英語ではなさそうだ。
外人共の顔つきと、イントネーション的に
フィリピンやベトナム語?っぽいのだが。
浅黒い顔立ちに、Tシャツとジーンズの
格好は、どう見ても東南アジア系。
「Bạn có muốn hiển thị sản phẩm
này bằng tiếng Anh không?」
と、話しながら、カメラの液晶部分を指差して
「イングリッシュ」と連呼する男達。
「I'm sorry. Could you
speak in English?
What is your purpose? 」
半泣きの表情で、これまた何度も
同じフレーズを連呼している河北。
外人か......面倒くっせえなー。
外国語学科卒だろうがよ?
英語じゃなくても、何とかせえよ。
ハアーッ、と大きく溜息ついて
気持ちを切り替えると、俊平は
わざと大きく
「ハーイ! ドウシマシタカー? 」
カタコトっぽく外人達に語りかける。
涙目で、助けを求めている河北を
放り出して、男達は俊平を取り囲んで
「Bạn có muốn hiển thị sản phẩm
này bằng tiếng Anh không?」
「イングリッシュ」と繰り返す。
商品は、世界のhonyの一眼レフ。
ああ! なんだ、多分、そういう事ね。
「コレ! エイゴ、ダメ! ニホンゴダケ!
エイゴダメネ! ダイジョブデスカ? 」
ポカン、と、呆気に取られる河北を
横目に、興奮する男達は
「Tôi muốn một máy ảnh kỹ
thuật số có thể hiển thị
tiếng Anh! 」
「イングリッシュ、イングリッシュ」
と、捲し立てる。
隣に並ぶ、kanonの製品を
俊平は指差して
「エイゴは、コレ! カノン!
カノンはエイゴ、オッケーヨ!
ホニーダメヨ! ダイジョブデスカ? 」
途端に、笑顔になる男達。
今度は、「kanon」「kanon」の
大合唱だ。うるさいったら、
ありゃしない。
「kanon、ホシイ。コレ、kanon」
男が指差すカメラに、頷きながら
「ハーイ! kanonネ! ダイジョブヨー」
インチキ臭いカタコトで、何度も
確認する俊平。
「......えーっと、河北さん」
「ハッ......ハイ、ハイッッ!! 」
突然、会話を振られたので、河北は
驚いて裏っ返したような声を出す。
「じゃあ商品、在庫あるからさ。
後は、レジでお会計お願いね」
会計した担当の売上となるのだ。
「ソレジャア、シツレイシマース」
作り笑顔で、男達に挨拶すると、
「アリガトゴザイマース」の声を
聞きながら、デジカメコーナーを
去っていく。
平穏は、取り戻された。
今日のヤホオのニュースチェックは、
まだ終わってはいない。
早く、済まさねば。
勿論、俺の売上も、まだ0円だけどな!
月曜日は社員の数が減る割りに、
土日に接客した、リピート客の
購入に修理や部品の問合せ
(メーカーが土日休みの為)、
電話応対など、実は結構、忙しい。
俊平も、昼前からパタパタと接客で
忙しくなり、昼飯を食べるのが、15時と
少し遅くなってしまった。
まあ、テンポ良くパソコンと冷蔵庫、
テレビが売れて現在、個人売上は30万程。
この店での、平日ではかなりの好成績だ。
ウン、今日はもう、仕事はどうでもいいな!
飯も済ませた俊平は、休憩の残り時間に
もうひとつの大事な作業に取りかかる。
人気の携帯ゲーム、
「ゲランブルー・ファンタジー」だ。
ヤバい。昨日から、ギルドの戦場イベント
だったの、すっかり忘れてた。
予選は本日24時まで。これまでに個人の
貢献値600万以上、稼いでおかないと
ギルドを首になってしまうのだ。
LV90ボス自発の為に必要な
肉集めの雑魚を狩って5万、
LV90のボスを狩って25万。
今の時間からでは、相当、気合いを
いれないと非常に厳しくなっているのだ。
もう、仕事なんて、していられないのだ!!
俊平は、心を無にして、ひたすら肉を狩る。
ふと、人の気配に気付いて塗り替えると
一人の女が近付いてくるのが見えた。
ーーー 河北 理子だ。