表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

1.錆び付いた日々

 九月も半ばだというのに、石河県金澤市の

街中は三十度を超えた真夏日が続き、

ほんの少し立ち止まるだけでも、

体中から嫌な汗がジワジワと滲み出る。


 日曜の午前中から、

スターベックスコーヒーの店内は大盛況で、

人々は競うように店内の空いた席を

奪い合い、涼を貪っている。


 その店内で一際目を引くのが、

一組の中年の男女のカップルだ。


 男は四十代前後で、

よれた白いTシャツに紺のジーパン、

クロックスのラフな格好。後ろ頭に少々、

寝ぐせがついた角刈りのような髪型に、

顎の所々に剃り残した髭をちょろちょろ生やしている。


 男の向かい合わせに座っている、

営業風の中年の女は栗色に染めた

長めのソバージュの髪型に、濃い目の化粧をバッチリ決めて

灰色の上下のレディススーツに

ピンクのマニュキュア、

ラメ入りのローヒール。


 周りの風景に溶け込まず、

強烈に浮いてしまっている。


 朝っぱらから、冴えないおっさんが

営業でもかけられてるのか?


 先物とか保険かね? 絵画とか、

いや健康食品とかのマルチとか、

サラ金とかさ、飲み屋の借金かもしれないね?

だってさ、ほら、

キャバクラかなんかのママさんっぽくない?

無職っぽいから貧困ビジネスのお誘いとかかも......?


 幾つもの興味深々の視線が、

この二人に注がれている。


......だが、どう見ても、会話は弾んでいない。


 寧ろ、営業女のほうが退屈で不機嫌そうだ。

テーブルの上にはパンフレットや

契約書のようなものも見当たらない。


 女は急ぐように、

アイスコーヒーを一気に飲み干すと、

男が差し出した銀行の紙袋を、

ひったくるように手に取った。


 ......死んだ魚のような目付きで、

女は銀行の紙袋に入った一万円札の枚数を、

二度、三度と手で念入りに確認している。


 「......やっぱりさ、アレはね、

借金取りだよ。多分」

観察している、後ろの席の若い女が

彼氏に小声で耳打ちしている。


 気付いているのか、気にしないのか、

営業女は数え終わった一万円札を

紙袋に戻し、鞄の中にしまい込む。


 「......はい! 今月分の9万円、

確かに頂戴しました」 


不愛想な表情で一言。


 営業女はそのまま席を立ち、

男から去ろうとする仕草を見せる。


戸惑う中年男は、右手を上げて静止する。


 「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 

こんな、あっけなく......もう行くのか? 

折角、職場に無理言って

休みもらって来たっていうのに。

......今日も子供も連れてきてきてくれないし、

あれだけ、頼んでたじゃないか!? 」


「......ふう。あのねえ! 」


 不満げな男の言葉を遮って、

溜息をついた女が喋りだす。


 「この服装かっこう、見てわからない?

......私、昼から仕事なんですけど。

あの子達だってねえ、

それぞれ都合あって、今じゃ

一緒について来てくれないのよ。

隼人と燕は今日も部活だし、楓だって

子供会の行事で朝から出てるのよね」


 「それでもなあ! 前々からずっと

会う日は決めてるじゃないか。

たまには会わせてくれたって、いいじゃないか」


「それとさあ!」


 怒った女が、またも男の話を

遮って金切り声をあげる。


 何人かの周りの客が驚いて見ているが、

お構いなしに女は捲し立てる。


 「私のほうもねえ、

前々からお願いしてるじゃない!

もう、手渡しじゃなくて

銀行振り込みにして欲しいって。

そっちの都合に合わせて、

中々動けないのよ。

それと、この金額じゃあ、

子供3人養っていくのはキツイから

せめて12万にしてもらえないか、って事も

前からずっと、言ってるわよね? 

とても生活できないんですけど」


「それはなあ! もう無理って、

お前が勝手に家を出ていったんじゃ」


 「......兎に角! こっちの要望も

聞いてくれてないんだからさあ、

貴方の事情になんて、合わせてられないのよ。

もう、時間無いから行くわ。

......次こそ考えといてね、じゃあ」


 相手の話も聞かずに、

一方的に喋り終えた女は

そのまま振り返りもせずに、

さっさと店を出ていった。


 テーブルに一人、

ぽつん、と取り残された男。


「......怖っ」


 誰かがつい、ポロっと呟いた一言が、

思ったよりも店内に大きく響き渡る。

 

 慌てて皆、目を逸らし、見ていない、

気付いていない振りをする。


男が、あまりにも可哀そうなので。


 ......どうやら、元嫁(しかも鬼嫁)に

慰謝料をむしられる、

元旦那のようだ! 大変やねえ。


暫し無言のまま、天井を見つめる中年男。


 やがて小さく溜息をつき、静かに席を立って

会計に向かい、店を出て行った。


 店を出た男の視界に、

ショピングセンター・エオンの通路を

行き来する、大勢の人波が押し寄せてくる。


どの顔も皆、笑顔。


 日曜の休日を、これから

楽しもうとしているものばかり。


 だが男にとっては煩わしく、

腹立だしいだけでしかない。


暴れてえ。


こいつ等、全部殴り倒してえ。


握り拳に、グッ、と力がこもる。


 苦労して取得した、

日曜の休日は早くも無駄になった。

これから夜まで、どう時間を潰せば良いのやら。

何もやる気が起きず、ただイライラが募るばかりだ。


 このうだつの上らない中年男の名は、

能登 俊平 (のと しゅんぺい)という。


 元妻の由梨と離婚して4年。

俊平は昨日、48歳の誕生日を迎えた。


 忘れているのか、話したくもないのか、

由梨からは一言も触れられる事はなかった。

誕生日だったから、とか

言ってくれて今回こそは子供を

連れてきてくれるかも、という淡い期待もあった。


 これでもう3年、

なんだかんだと理由をつけては、

子供3人には会わせてもらえていない。

長男は高2、次男は中2、

娘は小5になったはずだ。


体のいい、ATM扱いか。畜生め!


身体中に、激しい怒りの衝動がみなぎっている。


 ......だが、その場の感情に任せて

自らの身を滅ぼすような、馬鹿な行動を犯すほど

この中年男も単細胞ではない。


 グッ、とグッ......と、怒りを抑え込みながら、

何とか、何処かで発散させなければ、

気が狂いそうだと、俊平は必死で気分転換に励む。


 パチンコ、競馬で一気に憂さを晴らしに......

と、いきたいところだが、如何いかんせん

こんな気分で博打なんか打った日にゃ

勝ちを拾うどころか泥沼一直線だ。


気を取り直すんだ。落ち着けって。

深呼吸、深呼吸だよ。

スーハー、スーハー。


俊平は屋外駐車場に辿り着き、車に乗り込む。


 車を発進させると、そのまま

近くのバッティングセンターに直行する。


学生時代に野球部だった事もなければ、

別に野球が好きでも得意でもない。


ただ、がむしゃらにバットを

振り回したくなっただけだ。

この鬱屈した思いが、少しでも

紛れるのじゃないかと思った。


バッティングマシーンにコインを投入し、

俊平は飛んでくるボール目掛けて

ひたすら、力任せにバットを振り抜いていく。


......空振り、空振り、たまに擦って

ボテボテのゴロ。


終わる毎にコインを突っ込んで、

俊平は闇雲にバットを振り回す。


「糞ッ! 当たらんなあ!! 」


全然、スッキリしない。


ボールが小さいからか!

デカいソフトボールなら

力一杯、カッ飛ばせそうだな!


ソフトボールのマシーンに移動して、

速度100キロのボールに挑戦。


確かに見える!

確かに力一杯、振ったバットに

当たってくれるが、ビリビリと

手が痺れて痛い割には思ったほど

ボールは遠くに飛んではくれない。


......手の平のヒリヒリした痛みに

耐えかねて、バットを放して手を見ると

擦り切れて真っ赤になった手の平は

うっすらと血が幾つも滲んでいた。


両腕も、筋肉がパンパンに張って

ひどく痛む。


我に返って腕時計を見ると、

二時間もの間、ひたすらバットを振っていた。


......そら、腕も痛くなるわな。

阿呆やなあ、今から車乗って

家に帰らんといかんのに。

明日から、また仕事やのに。

ホント、阿呆やなあ......


ストレス発散にも、ならなかった。


我慢しながら、痛む手でハンドルを握り

俊平は帰路につく。


俊平の家のある石河県海野市は、金澤から

約90㎞、車で一時間半程かかる

辺鄙(へんぴな海辺の田舎町だ。


確かに魚は旨い。温泉宿も結構ある。


でも、他にコレといった特徴もなく

観光客がどんどん増えている訳でもなく、

若者の都市部への流出は止まらずに

高齢化と過疎化がより、加速している。


男の乗る、購入して十年を過ぎた

ヨレヨレのステップワゴン。

昔は外出時には、常に家族で一杯だった。

ここ何年も、男以外は誰も乗る事もなく

無駄に広く静かな車内は、より寂しくさせる。

いっそのこと、買い替えしようかと思った

時もあったが、踏ん切りがつかない。


楽しかった頃の記憶と匂いが、

まだ車内に残っているようで......


どうして、こうなっちゃったんだろう。


わからない。


離婚して以来、ずっと考え続けている。


結婚してからずっと、趣味も付き合いも

我慢して、家族の為に仕事に励んできた。

家事やゴミ出し等も率先して手伝って

妻を助けていたつもりだった。


田舎への転勤を契機に、5年前に中古の

一軒家を購入したのも、家族の為。


子供達を転校させるのが、可哀想だったから。


腰を据えてじっくり、のんびりと

暮らしていきたかった。


......でも、由梨は理解してくれなかった。


 辺鄙へんぴな田舎の貧乏暮らしで、

年老いていくのは我慢がならないと、

喧嘩の果てに、子供を連れて家を出て行った。


離婚するまでは、専業主婦だった由梨も

 今では、金澤市内の中古車販売会社で

事務のパートをしているらしい。


 ......私は家事と育児で働けないのに、

俺の稼ぎが悪い、甲斐性がないから生活苦しいだの

散々、好き勝手言っといてさ......勝手なもんだぜ。


怒りでハンドルを握る手に、つい、力が入る。


 擦りむいた手の平の痛みが、ズキズキと

響き、俊平を冷静にさせる。


......眠気覚ましに、丁度いいや。


 車が海野市に到着した頃には、日はすっかり暮れて

休日のの終わりを嫌というほど、実感させる。


 掃除、洗濯、夕飯の準備......やるべき事は山積みなのに、

今日はもう、何もやる気がおきない。


帰宅の前にコンビニへと立ち寄り、弁当と酒を買う。


 いつもなら、節約で発泡酒を一本だけ買うのだが、

今日は特別だ。ハイボールを二本、買い物かごに放り込む。

強い酒で酔わなければ、眠れない気がしていた。


灯りのつかぬ、真っ暗な自分の家。


俊平は家の中にも入らず、

ぼんやりと外見を眺めている。


 築二十年、フルリフォーム済の

綺麗な5LDKで、1800万円。

32年ローンで毎月、6万5千円の支払い額は

アパートの家賃と同じだと、心が踊った。


家族の去った今では、一人で住むには

あまりにも広すぎて、淋しいだけだ。


離婚の際に、この家を売却するか

協議したが、お互いに借金だけしか

残らないとの結論で、俊平が住み続ける

代わりに、養育費を毎月9万円、子供達が

成人するまで支払うと、取り決めた。


家のローンと養育費を差し引くと、

俊平の手元には、ほとんど残らない。

一人で暮らすにもカツカツの厳しい生活だ。


......まあ、この年になって

もう、いい服や車や家電が欲しいとか、

美味しい物食べたいとか、

いい女にモテたいとかの欲が

一切、無くなってしまった。


これといって何か趣味がある訳でもない。


暇潰しに、携帯ゲームを少々、やる程度。


だから、なんとか生きてはいける。


玄関に入ると、真っ暗な廊下から

モコモコの黒い物体が、素早く、

一直線に俊平に飛びかかってきた。


驚く事も避ける事もせず、

俊平は受け止める。


モコモコの黒い物体は、雑種の黒い猫。


名前はクロ助。


名前はクロ助でも、性別は雌だ。


どうしても、この名前にしたかった。


子供達が大好きだった、トトロの

「まっくろくろすけ」から取ったんだ。


淋しくて、可愛くて、我慢できずに

一年前、野良から拾われたクロ助は、

俊平の体の上に飛び乗ると、淋しかったよー、

腹が減ったよーとニャアニャア、騒がしい。


 「おー! おー、ただいま! ゴメンなー。

腹、減ったろ。すぐご飯にしようなー」


 クロ助の頭を撫でながら、あー俺、癒されてるわーって実感。

由梨なんかに、会いに行くんじゃなかった。


 餌を食べ終わり、満腹でご機嫌なクロ助は、ゴロゴロと

喉を鳴らしながら、胡坐あぐらをかく俊平の膝の上で

丸くなっている。


 俊平は、さして美味くもないコンビニ弁当を

ハイボールで喉に流し込むように、がっついて食べていく。


もう、さっさと食べて、風呂入って、寝よ。


 酔っぱらった頭で、グルグル回って見える天井を眺めながら

俊平はぼんやりと、今までと、これからの事を考えている。


 ......ウチの会社が今、定年60歳か。定年延長やら

嘱託で働けたとしても、70歳位までか?


家のローン、払い終わらないなあ。


 っていうかさ、73歳までホントに俺、

生きていけんのかね?

だって20年後なんて......

もう、あっという間だぜ?

とっくに孤独死してたりしてな!


あ! でも俺が死んだら、

ここの家のローン、誰が払うんだ?

まあ、そんな事気にしたって仕方ないけどな。


 ......この20年間も早かったなあ。

俺だって、つい、この前まで20代だった

はずなんだよ!


あっという間さ。浦島太郎のような気分だ。


俺なりに、それなりに夢もあったさ。


諦めて、由梨と出逢って、結婚して

子供も出来て......頑張って......

家族の為に。


俺なりに、一生懸命だったよ!


なのに、何が間違いだったんだ?


気付いたら、年取って

誰も居なくなってて、

家とローンだけが残って......

ただ、仕事場と家を行ったり来たりするだけの日々か。


俺の人生、詰んだなあ。


ホント、悪夢でしかないよ。


目頭が熱いのは、涙じゃないよ。

酔っ払って目が痒いだけだよ!


「......畜生ッ!! 」


ヤバい。酔いに任せて、つい怒鳴っちゃった。


ビクリと驚いて、跳ね起きるクロ助。


ゴメンな、ゴメンな~、と、クロ助を

優しく撫でて、なだめる俊平。


多少の大声を出しても、苦情が来ないのは

一軒家の良いところだ。


 ハイボールの残りを一気に飲み干すと、

ゴロリ、と大の字に寝転がる。


布団に行くのも面倒臭い。


 点けっぱなしのテレビから流れる音声と、

隣で眠る、猫の小さい寝息を子守歌に

俊平は、深い眠りの淵に落ちていった。





















































 











 










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ