第四話・朝露のひととき(3)
そんなやり取りを終え、出発の準備が整うと――。
勝手に鍵を開けてロルブーの中に侵入してきた金髪の女性が「ぐっもーにーん。お仕度出来てるかしら?」と、目の前でひらひらと手を振った。
「ノエルさん! おはようございます!」
「げげっ! この人も神出鬼没なの!? 恐怖なんだけどっ!」
「どっから湧いて出たんだ……?」
ノエルにラシーヌの影を重ねて見る犬耳兄弟に「……挨拶も出来ない悪い子は誰かしらね? その上、約束の時間に何度もノックしたのに出て来なかったのはどこの誰なのかしらね?」と、顔をヒクつかせてドス黒いオーラを放った。
ニコニコと威圧するノエルに「「すいませんっした……はよざいます……」」と、青ざめて犬耳兄弟は腰を低くするのだった。
***
ロルブーを後にした三人は、ノエルの案内のもと船着き場に向かっていた。
ガルデニアの集落を出発した時と同様、朝もやが立ち込める中の出発になりそうだ。ローレル山脈の山々はもやの影響で朝の姿を拝むことは叶わないも、朝露で銀のように光る草木のなんと美しいことか――。
ピノノワール・ファーム雑貨店を通り過ぎ、しばらく歩くと――。船着き場と呼ばれる小さな漁港に一行は到着する。
そこには十隻ほどの船が停泊しており、岬は漁業に携わる人々で活気に溢れていた。
その中でも、なかなか年長と見える男性に向かってノエルは手を振る。船の整備をする帽子の男性は、それに気付くと「おう!」と声を張って手を上げた。
「ヴィンデさん、おはようございます。今日はよろしくお願いしますね」
「おうよ! 今朝は霧が出てっけど、まァ悪くねぇ朝だな! 客人さんよ、俺様が無事に祭壇近くの陸地に送り届けてやるから、任せときな!」
そう言ってガッハッハと笑い、ヴィンデと呼ばれる船乗りは三人とブンブン握手を交わした。
ノエルの話によると、ヴィンデは漁業と客の運び屋を兼業しているらしく、ベテランの船乗りとのこと。熱血漢で俺様気質だが、悪い人ではないのだとか。
ノエルとヴィンデは何やら商談をしているようだ。これから乗る木舟を見て、リオンは興奮気味にそのまわりをじろじろと見て歩いた。
「これが地上の船かぁ~! カロンの船とそんなに変わんないかも!」
「ああ。手で漕ぐのも同じみたいだな」
「カロンさんって、三途の川で船を漕いでるって言ってたカロンさん?」
「そうだよ~! 三途の川の渡し守――カロンって呼ばれてるんだけどねぇ。冥界と魔界は川で繋がってるから、ごくごくた~まに船に乗せてくれって頼むんだけど……」
「チップを渡さねーと、船に乗せてくれねーんだよ。冥界一ケチでガメつい奴って言われてるんだぜ」
「そうなんだ。お金に苦労してるのかなぁ……?」
フィトはそうつぶやくと、ぼんやりとカロンの人物像を想像し始めた。冥界の門より先に進めないフィトは、その先にいるカロンに会ったことがないのである。
冥界のカロンさんと、グラシナのトロンさん……お名前似てるけど、どっちの方がお金が好きなのかなぁ……? などと、一人でもんもんと考えるのであった。
***
場面は変わって、ここはクレーヴェルの果樹園――。
ここで二人の老人が騒がしく口論をしながら、船着き場に向かっていた――。
「おいシワババア! もう船が出る頃じゃぞ、どうしてくれるんじゃ!」
「黙りなハゲジジイ! こうなったのも全てアンタのせいぢゃろうが!」
「たわけ! お前がワシのリンゴお届け大作戦の邪魔をするからこうなったんじゃろうて! 家の前に網罠なんかしかけおってこのトンデモババア!」
「なにおぅ!? アンタこそ、アタシのリンゴプレゼント大作戦を邪魔しようとしたぢゃろうが! 家の前に落とし穴なぞ掘りやがってこのモグラジジイ! 掘るのは自分の墓穴にしときなッ!」
「ワシはまだ死なん! マンサナとアルペンテの分も生きるんじゃぁ!」
「つべこべ言わず走りなのろまジジイ! 本当に船が行っちまうよ!」
「ぬうぅ~! いまこそ老体にムチ打ちじゃあぁ~!」
メロ爺とマル婆は土煙を上げ、三人が船に乗る船着き場へと急ぐ――。
果たして、おいしいリンゴは出航に間に合うのか――?
***
そうこうしているうちに出航の準備が整ったようで「おう、船に乗っていいぞ!」と、ヴィンデが三人に声をかける。
「ノエルさん、色々お世話になりました! 可愛いネグリジェも頂いちゃって……ありがとうございます」
「フフフ、いいのよ。……ねーえ、おふたりさん。フィトちゃんは可愛かったかしら?」
ニコニコと笑みを浮かべるノエルは、心底楽しんでそう言っている様子。
このままじゃオモチャにされると思った兄弟は「じゃ、ノエルさん! 俺たち先を急ぐんで!」「お世話になりましたぁ~!」と、そそくさと船に乗り込んだ。いそいそと旅立とうとする犬耳兄弟を見て、つまらなそうにノエルは頬杖をつく。
仕方なくターゲットを変更し「フィトちゃん。男は狼なのよ、気を付けなさい」と、少女の肩をぽんと叩いてにっこりしてみせた。
「おとこは、おおかみ……?」
「へ、変な事吹き込むなっての! 誰が狼だよ、誰がっ!」
「僕たちは下品な獣じゃないですからっ!」
顔を赤くしてノエルを睨みつける兄弟に対し、レオンとリオンは狼じゃなくって犬なんだけどなぁ……などと、意味を捉えられないフィト。
それを見て「なんだなんだ、楽しそうじゃねぇかよ! ガッハッハ! いい船旅になりそうだな!」と、愉快そうにヴィンデは笑い声を上げる。
「フフフ。それじゃ、皆さんお気をつけて。またいつでもクレーヴェルに遊びにいらしてね」
「はいっ! クレーヴェルは本当に綺麗で素敵な村でした! 食べ物もおいしいし、住んでる人も皆優しくて……またきっと、遊びに来ますね!」
最後の挨拶を交わし、船が陸地を離れる――。
名残惜しくも、また次の場所へと向かう心の準備をしなければ――。そう思いながら、少しずつ遠くなるノエルに手を振るフィト。
ところが――。そのシリアスな雰囲気に水を差すように、クレーヴェルの村に土煙が上がっているのを少女は見つけてしまった。
それに気付いたフィトはすぐさま「あれって、メロお爺さんとマルお婆さんだよね……?」と、二人を指さす。
「……ほんとだ! もしかして、見送りに来てくれたのかな!?」
「あの老いぼれ共、ま~た騒がしく登場しやがって……仕方ねぇ。いったん戻るか?」
ヴィンデの気遣いに「悪いな、ヴィンデさん」と、レオンが言葉を返した直後――。
息を切らして走ってきたメロ爺が「おい、待てぃ! あ、いや、待つな!」と、船に向かって叫んだ。
そして――元気有り余る老人コンビは、何かが入った袋を「「受け取れぃ! ふんぬっ!」」と、三人の乗る船を目掛けて思い切り放り投げたのだ。
「わわわわわわっ……!?」
「あっぶね……!」
危なく海に落ちる手前の袋をレオンとリオンがキャッチすると、大きく船が揺れて今度は転覆の危機が面々を襲った。
ゆらゆらと揺れる船の上で「バッキャロウ! このクソッタレ老人共、危ねぇだろーが!」と、ヴィンデが怒鳴り声を上げる。
一方で袋を受け止めた兄弟に「ナイスキャッチ~!」と、フィトは呑気に拍手を送った。
「ワッハッハ! オーソレミーヨ! 見たかこのワシの投球のウデマエを!」
「馬鹿言ってんじゃないよ! アタシの砲丸投げの方が華麗だったぢゃろうが!」
いつの間にか隣で肩を並べるメロ爺とマル婆に「メロ爺さまに、マル婆さま……? 見送りには来ないんじゃ……?」と、困惑したノエルが声をかける。
「うるさいわぃ! 老人はなぁ、涙腺が緩むんじゃ! こんなぐしゅぐしゅの顔、旅立つ奴らに見せられるかぁ!」
「だらしなく泣いてんぢゃないよ、ハゲジジイ。マンサナとアルペンテに、もう泣かないと誓ったんぢゃなかったんかぃ」
「だ、黙らんか! 今日は特別じゃッ! オマエこそ、鬼の目にも涙じゃぞぃ!」
「ふん、鼻水垂らしてるアンタに言われたかないね。……あと何回、特別は来るんかねぇ~……?」
ヴィンデの怒鳴り声を見事に無視し、目に涙をためて言い争うメロ爺とマル婆。
そんなふたりに向かって「メロお爺さん! マルお婆さん! リンゴありがとうございます! おいしくいただきます~!」と、袋の中身を見たフィトはぶんぶんと嬉しそうに手を振った。
「間に合って本当によかったわぃ! 元気でやれぃ、若者よ!」
「くれぐれも気を付けな! 熊にやられてジジイより先におっ死ぬんぢゃないよ!」
「馬鹿言えシワババア! ワシはマンサナとアルペンテの分まで生きるんじゃッ!」
最後までいつも通りなメロ爺とマル婆を見て、くすくすと笑うフィト。
美しい景色と美しい心が豊かさを呼ぶフィヨルドの村――クレーヴェル。
初めてレオンとリオンの見た目を受け入れてくれた場所。またここでも、たくさんの人達と出会った。個性が強い人が多かったが、ここは村を大事に想うあたたかい人ばかりで――。
だんだん小さくなるノエル、メロ爺、マル婆に手を振り、一行はいよいよ樹の祭壇に向かう――。
***
輝く瞳でリンゴを見つめるフィトの隣で、レオンとリオンはとある話をしていた。
「……なぁ。そういえばさ、アルペンテってよくある名前か?」
「……さぁ? 兄さん、なんでそんな事聞くの?」
「いや、どっかで聞いたような気がしてさ……でも、思い出せないんだよなぁ……」
「言われてみれば……? でも、僕も思い出せないやぁ~」
ぱっと浮かばないということは、大した事ではないのかもしれないな――。
そんな事を思いながら、まぁいいか――と、レオンは空を仰いだ。




