第三話・ガルデニアの降臨祭(3)
「それじゃ、決まりだね! 私の住んでる集落と、おうちに案内するね!」
三人はフィトの住んでいる集落に向かうことになった。
しかし、フィトの言葉を聞いたレオンとリオンは考える。
――いま「おうちに案内する」と、言わなかったか?
何せ、家というのは、怪物のふたりにとっても人間と同じ領域の認識があった。
そう、家というのは、超プライベートな空間である。そこに足を踏み入れようというのだ。
しかも『女の子の家』に。
兄弟は前を歩いて案内してくれる黒髪少女に気付かれないよう、ひそひそと話す。
(兄さんっ! どどどどどうしよう……! 女の子の! フィトの家に行くだなんてっ!)
(そんなん俺だってどうしようだよっ! どうしようもねーけど!)
(あぁもう、緊張しちゃうよ……! てゆーか、家の人はいないのかな!?)
(そんなの知るかよ! わかんねーっての!)
「……えへへ。大変な状況なのに、能天気だったかなぁ? でも、ちゃんと安全にドアを開けることを考えての提案なんだよっ? ほんとだよ?」
前を歩くフィトが、はにかみながら後ろを振り向く。
すると慌てて兄弟は何事もなかったかのように取り繕った。
不自然にヘラヘラ笑っている。
「もうっ。真剣に話してるのに、聞いてるのー?」
フィトは挙動不審な兄弟を見て、しょーがないなぁ、と笑う。
こんな風に、地上で誰かと楽しい時を過ごしたのは久しぶりだった。
フィトはふたりと離れる事に、痛いほどの寂しさを感じてしまっていたのだ。
「早くふたりを冥界に返さなきゃ、ハーデスおじぃちゃんに怒られちゃうかなぁ」
ふたりと一緒に過ごすことに罪悪感を感じ、そんな風に冗談っぽくつぶやくフィト。
それを聞いていたレオンとリオンは、顔を見合わせ、声をかける。
「フィトを怒るなんて絶対にさせないから心配すんな。たとえそれがハーデス様でも、そんなことは俺たちがさせねーよ」
「そうだよ。怒られるのは僕たちだけでじゅうぶん! それに地上に飛ばされたのだって、元はと言えば不可抗力だからねぇ。仕方ないよ」
ポジティブなふたりはそのまま言葉を続ける。
「あまり呑気なことを言っていたらいけないとは思うんだけど、僕はもっと地上のこと知りたいなぁ」
「ああ。こんなチャンス滅多にないからな。冥界に帰って、怒られて済むのならいくらでも怒られてくる。それくらい、今の時間は俺達にとって特別な時間なんだぜ?」
照れながら話すレオンとリオン。
その言葉を聞いて、フィトはとても嬉しくなる。
とびきりの笑顔を見せ「ありがとう」と、ふたりに気持ちを伝えた。
「こうやって、また遊びに来れたらいいね!」
「きっとまた来れるさ! 冥界に帰ったら、ハーデス様に地上に行くことは出来ないのか聞いてみよう!」
「そうだな! そうしよう!」
「えへへ。ふたりとも、ありがとう! 楽しみにしてるね!」
黒髪少女は嬉しそうにその場でくるりと回る。
兄弟はそんな少女を見て、自然と口元を緩ませるのであった。
しかし。自宅訪問の緊張が解けたわけではないのだ。
ずっと避けてきた家族の話題だったが、ここは所在確認はしておくべきだろう。
なにせ、いまから自宅にお邪魔しようというのだから。
「そういえばさ。フィト、おうちの人って誰か家にいるのかな……?」
恐る恐る、リオンがその話題を口にする。
すると、レオンとリオンの身構えを一瞬にして崩すように、フィトはニコニコと答えた。
「いないよぉ~。今日はお祭りで、親戚の家に泊まって来るみたいだから、帰って来ないの!」
「そう……なのか」
「それじゃあ、フィトは家で留守番ってこと?」
「うん、そうだよ! 私、叔父さんと叔母さんと一緒に暮らしててね。二人とも明日の夕方に帰って来る予定だから、いま家には誰もいないんだぁ」
家の人が居なくて安心したような、勝手に上がり込んで申し訳ないような。
ふたりは少々複雑な気持ちだった。
言うても、やましい気持ちがあるわけではないのだ。
純粋に友人として招かれるのだから問題ないか、と兄弟は思うことにした。
それに、フィトが叔父と叔母と一緒に暮らしていたとは驚きだ。
フィトはちゃんと大切に育ててもらっているのだろうか。
フィトに対して過保護な兄弟は、そんなことまで心配するのであった。
***
「さてさて! じゃぁ向かおっかー!」
気を取り直して、歩を進める三人。
しばらく歩き、ガルデニアの出入り口である巨大なアーチが見えてきた。
すると、フィトはとあることをふたりに聞く。
「そういえば、ずっと気になってたんだけどね。レオンもリオンも、おなか空いてるの?」
「へっ?」
犬耳兄弟は、予想もしていなかった少女の問いかけに突拍子もない声を上げた。
「だって……ふたりのおなか、ずーっとぐぅぐぅ鳴ってるんだもん」
少女の発言を聞いて、ふたりは一秒、二秒と凍りつく。
すると、我に返ったのかレオンとリオンは途端にカッと赤面した。
そんなに聞こえるくらい、腹が鳴っていただろうか。
そんなこと、気にも留めていなかった。
可愛い女の子の前で腹の虫の音を垂れ流しにして、ずっと気にさせていたとは。
ふたりは物凄く恥ずかしくなった。穴があったら入りたい、という言葉がぴったりなほどに。
「ああああ、あのあのあのあの……ごめん、僕たち門番を交代したらご飯を食べる予定だったから……こっちに飛ばされてすっかりそれどころじゃなくなってお腹が空いたことも忘れていたんだけれど! ほら、この街、食べ物のとってもいいにおいで溢れているからさ!?」
「そうなんだよな、なっ。あぁ、でも、……だあああぁぁっ……!」
兄弟は、恥ずかしさのあまり長らく悶えていた。
街をゆく人々はそんな彼らの様子を奇異の目で見つめ、それから冷たくそらすのであった。
***
しばらくして、落ち着きを取り戻したリオン。
ゆっくりと立ち上がり、深呼吸をひとつした。
「取り乱しちゃってごめんよ。みっともないとこを見られた……というか、聞かれちゃったなぁ。たはは……」
「本当にな。カッコ悪いったらないぜ……」
レオンはまだ恥を引きずっているのか、しゃがみ込んだまま鼻をこすっている。
フィトはそんな兄弟の懺悔を聞いて「あははっ! そんなの、気にしなくていいのに!」と、明るく笑った。
「「気にするよっ!」」
楽しそうに笑うフィトに、兄弟は声をそろえて言った。
醜態を晒していた事がよほど堪えたようだ。
「ふふふ……! ごめん、ごめん! あ、そうだ。さっきの話の続きなんだけれど、せっかくお家に来てくれるんだもん。よかったら、ゴハン、食べて行かないかなって思ったの!」
「「ふぇ?」」
兄弟はフィトの言った言葉が上手く頭に入っていかず、間の抜けた声を発した。
そして、目を輝かせてリオンがフィトに詰め寄る。
「それは、つまり、ご馳走してくれるってこと?」
「もちろん!」
「フィトが?」
「うん!」
「僕たちに?」
「そうだよ!」
リオンはフィトにそう何度も聞くと、最後にぱあっとした顔で聞いた。
「……もしかして、作ってくれるの!?」
「う? うん、そうだよ?」
笑顔を浮かべながらきょとんとするフィト。
目の前でリオンはうつむき、ふるふると震えている。
「リオン……?」
そんなリオンの反応に、フィトはわけがわからず首をかしげている。
心配して、その顔を覗き込もうとした時。
「いやったぁぁあぁああぁあぁ!」と大声を上げ、リオンは万歳をして飛び上がった。
「え? え? なーに? どうしたの!?」
フィトはびくっとして後退さる。
リオンの突然のテンションにびっくりしたようだ。
目を丸くして、ぱちくりさせている。
すると興奮したリオンは、喜びの余りフィトにぎゅうっと抱きついた。
「きゃっ!? リ、リオン!?」
フィトはあわあわとパニックになっている。
突然の抱擁に、しかも街中で。
その上、男の子に抱きしめられるのなんて産まれて初めてだったので、完全にフリーズしてしまったようだ。
「だって、フィトの作ったゴハンが食べられるんだよ!? こんなに嬉しいことはないよ! はぁぁ~! 今日はなんて素晴らしい日なんだろうっ!」
リオンは嬉しそうに話すも、固まっているフィトの耳にその言葉は届かない。
すると。しゃがんでいじけていた兄のレオンは、目の前の出来事に口をパクパクとさせた。
そしてすぐに、弟に対するイラつきの感情が爆発する。
ずかずかと二人の間に入り、べりっと硬直状態のフィトから弟をひっぺがす。
「おいっ! リオン、お前なにやってんだよ! くっつくなっての!」
「なになに? 兄さん、もしかしてヤキモチ~?」
リオンはニヤニヤと笑っている。
腹立たしいほど余裕の面構えだ。
「んなわけないだろ! 街中でそんな破廉恥なことされると迷惑なだけだっつーの! フィトも困ってんじゃねーか!」
レオンはイライラしながらぶっきらぼうに言い放つ。
くそっ、何だかモヤモヤする! と、もんもんと考えながら、ひとり出入口の方へ向かって歩き出す。
「ちょ、兄さん! 待てって! どこに行くんだよ!」
「ここにいたって仕方ねーだろ。さっさと街を出んぞ」
リオンはレオンを引き留めるも、心底機嫌が悪そうにすたすたと歩いて行ってしまう。
「えぇー? まったく、余裕ないなぁ~ほんと。フィト、行こう? 置いてかれちゃうよ」
「ふぁっ!? あ、う、うん!」
赤面したままのフィトの手を引き、リオンは兄を追いかける。
「……フィトは本当に可愛いなぁ。それにしても兄さん、素直じゃないんだから」
悪びれる様子もなくリオンは笑みを浮かべ、二人に届かない声でぼそっとつぶやいた。
かくして三人は、フィトの家があるというガルデニアの外れの集落を目指して進むのであった。