第四話・朝露のひととき(1)
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「レオン、リオン! 朝食の用意が出来たから、お父さんを呼んできてくれるかしら?」
「はーい! ……ほらリオン。母さんが呼んでるから、今朝の作業はここまでにしようぜ」
「うん! おとーさぁーん! 朝ゴハンだよぉ~!」
「おぉ、呼びに来てくれたのか。我が息子たちは今日も賢く愛しいなぁ!」
レオンとリオンから父と呼ばれる大柄な人物は、寄ってきたふたりの子供をがしがしと撫でまわした。
きゃっきゃとはしゃぐ兄弟を軽々と両肩に乗せると、父と子は小さな赤い屋根の家に入って行く――。
ギンガムチェックのカーテンに、使い古された木製の家具たち。決して派手な造りではないが、ぱっと部屋を見ただけでも幸福そうな家族の絵が浮かぶような情景――。
そこには、銀色がかった美しい白い髪の女性が「おかえりなさい」と、笑顔を浮かべて立っていた。
「ただいまぁ~! おかーさん、今日の朝ゴハンなーに!?」
「今日は、蜂蜜たっぷりのスフレパンケーキよ。スクランブルエッグとラタトゥイユ、コーンスープも作ったからね」
「やった! 俺の大好物!」
「ふふふ、レオンは本当に蜂蜜が好きねぇ」
「僕だって好きだもん、ハチミツ! てゆーか、僕の方がハチミツ好きだもんね!」
「はいはい、ケンカしないの! 蜂蜜は皆の好物よね。お母さんも、大好きだもの」
「たはは! 何たって、特製だからな!」
「あなた、その変な笑い方やめてくださいな。子供たちが真似するじゃないの」
「たはは!」
「たはは~!」
幸せな家族の日常。いつもの朝。レオンはそんな情景を、ぼうっと外側から眺めている。
わかっているのだ、これは夢だと――。あったかくて、愛おしくて、懐かしい夢――。
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窓から朝日が差し込み、顔にかかる眩しい光でレオンは目を覚ました。
やはり地上の朝日にはまだ慣れないようで、鬱陶しそうに日差しから開かない目を背けると、レオンはそのまま寝返りをうつ。
目は痛いけど、今朝の目覚めは悪くないような――……。そんな事を思いながら大きなあくびをし、未だに半分寝ている頭を無理矢理起こす。
隣のベッドを見ると毛布にくるまったリオンはまだ夢の中のようだが、フィトの姿はすでになかった。扉の向こうからは、食欲をそそる良い香りが漂ってきている――。きっと、フィトが朝食を用意してくれているのだろう。
あぁ、幸せだな――。レオンはしみじみとそんな事を思いながら、何かが焼ける甘い香りに鼻をすんすんさせてうっとりとした。気立ての良い女の子とは、まさにフィトの事をいうのだろう。
フィトは早起きなんだなーと、ベッド上で呑気に転がっていたレオン。
そんな時――。じわじわと冴えてきた頭にようやく時間の概念が浮かんできて「そういや、いま何時なんだ……!?」と、慌てて飛び起きた。
***
隣の部屋で鼻歌を歌いながら朝食の準備をしていたフィト。
テーブルに焼き上がったパンケーキと皿を並べていると――騒々しく扉を開けて登場したレオンと目が合い、思わず手を止めた。
「おはよう、レオン」
「おはよ……俺、寝坊しちゃったか?」
「ううん。まだ六の刻だから、だいじょーぶ!」
それを聞いて安心して脱力するレオン。思えば、弟の懐中時計で時刻を確認して来ればよかったなどと、回らない頭をぶんぶんと振るう。
ひとりでわさわさと動き回るレオンを見て「あはは! レオン、すごい寝癖だね! 後ろのとこがぴょいんてなってる!」と笑い出したので、気恥ずかしくなって乱れた髪を手で押さえつけた。
「いいにおいだなー……朝食、作ってくれたのか?」
「うんっ! こないだはご馳走できなかったから、今朝は張り切っていっぱい作っちゃった! もういつでも食べられるから、リオンを起こしてきてね!」
フィトにそう言われて、レオンはまだ寝ている弟を起こしに寝室に向かおうとした。
すると――。背を向けてからすぐ、後ろからフィトが洋服の裾をつまんだ。そんなフィトの行動に疑問を抱きつつ、思わずドキッとしてしまう。
何となく振り向かずに「……フィト、どうかしたか?」と、声をかける。
「……レオン、昨夜はよく眠れた?」
「……ん? あぁ、よく眠れたかな。朝までぐっすりだったよ」
「それならよかった。昨日の夜、レオン、うなされてたから……」
フィトのその言葉を聞いて今朝のあたたかな夢の感覚がふと、蘇る。
うなされるような夢を見た記憶はないが、さっきの目覚めは本当に心地よいものだった。そのあたたかな夢の内容は、思い出したくても思い出そうとしても、もう思い出せないのだが――。
心配してくれるフィトの方に向き直り、少女の顔を見るレオン。目が合ったフィトは眉尻を下げ、不安げにレオンのことを見つめていた。
「……リオンにも時々言われるんだよな、寝てる時うなされてたってさ。心配かけてごめんな? でも今朝は、すげー目覚めがよかったんだよな。夜も良く寝れてるし、大丈夫だよ」
「ほんとう……?」
「ああ。それに、思い出せねーんだけどさ……今朝は、いい夢を見た気がするんだ」
「いい夢……?」
「そうそう。全然思い出せないんだけどさ、たぶんいい夢だったと思う。……それに、あんだけ飲んだ酒もすっかり抜けたから、もう足取りもバッチリだぜ?」
「ふふふ、それならよかった! ……あ、引き留めてごめんね! リオンのとこ、いってらっしゃい!」
「おー、叩き起こしてくる」
「だめだめ、叩かないの! 朝からケンカになっちゃうよ!」
「はは、冗談だって。……あ、そのエプロン……」
フィトが付けていたエプロンには、何だか見覚えがあった。どこか懐かしい、ギンガムチェックの柄――。
何かを思い出したかのように思えたのだが、レオンの頭の中にはやはり何も出てこない。それ以上の言葉も出てこなくて、目の前のフィトはきょとんとしている。
言葉が続かないレオンを見て「……あ、これね。ロルブーに置いてあったから、使っちゃったの!」と、フィトは無邪気に笑ってみせた。
「そうなのか。なんていうか……いい柄だよな、それ……」
「うん?」
「えっと、その……か、かわ……」
「かわ……?」
「か、皮むきが上手くできそうな柄だよなっ! ははっ!」
「なぁにそれ? レオンったら、ヘンだよぉ~!」
可愛いと言いたかったのに、どうしても言えずに意味不明な事を言い残して寝室へと駆け込むレオン。可愛いと口に出すだけなのに、どうしてそんな簡単な四文字が言葉にならないのだろうか――。
こんな時、息をするように可愛いを連呼出来るリオンを本気で羨ましく思うレオン。もっとストレートに素直にならないとダメだとは思っても、そう上手くはいかないものである。
兄の気苦労も知らずにぐーすか寝ている弟が何だか腹立たしく思えてきたレオンは、完全な八つ当たりでリオンの毛布を荒々しく剥ぎ取り、たれ耳の生えた頭をぺしっとひっぱたいた。
「おい、リオン! 朝だぞ、起きろ!」
「うう~……?」
「起きろっての! オラ朝だッ! 爽やかな朝だぞこの野郎!」
「ぐぅにゃむにゃむ……なんだよバカ兄ぃ~……覚悟しろよぉ、これから貴様に本当の恐怖を味わわせてやるぅ~……二度とこの世に戻れないように、吠え面かかせてから粉々に噛み砕いてやるよぉ~……むにゃむにゃ……」
次の瞬間――。夢の中で僕TUEEEEするリオンの頭に、岩武装したレオンのげんこつが思い切り落っこちた。
一応ベッドを破壊しないように手加減したつもりだが、リオンは「ぎゃんっ!?」と声を上げた後、頭から煙を上げた。それからフィトの注意も虚しく、朝っぱらから兄弟喧嘩が始まったことは、言うまでもない――。
レオンの頭の中からは、すっかり今朝見た夢の事は消し飛んでいた。
封じ込められた思い出と時間。大切な想いは、誰にも知られる事なく――。
思い出せない懐かしさは、記憶の彼方に――。




