第三話・キャンドルの夜(12)
淡い輝きを放つ月が、てっぺんから少し傾いた頃――。
ベッドに横たわっていたリオンは、ふいに目を覚ました。枕元に外して置いておいた懐中時計に手を伸ばし、月明かりに照らしてみる――時刻は、深夜二の刻。
「まだ三時間も寝ていないのに、目が覚めちゃったのかぁ~……」
そうつぶやき、真ん中のベッドで休むフィトに目をやると――。
フィトの寝床は、もぬけの殻だった。一体こんな夜中にどこにいってしまったというのだろう。
左端のベッドでは,フィトがいなくなった事に気付いていない兄が静かに寝息を立てている。
「フィト……?」
少女が心配になり、リオンはベッドを抜け出し寝室を出た。
しかし、扉を開けた途端――。目に情報が入るよりも早く、甘いミルクの香りがふわっと鼻に入ってきた。
そんなリオンの目に映ったのは――月明かりが照らす部屋の中でマグカップを持つ、フィトの姿だった。
部屋に入って来たリオンに気付くと「あ、リオン。起こしちゃった?」と、黒髪の少女は声をかける。
またフィトがいなくなってしまったと思ったのは、どうやら自分の考えすぎだったようだ。少女の姿を見て、安心したリオンからどっと力がぬけていく。
「フィト、こんな夜中にどうしたの?」
「うーんとね。何だか、眠れなくて……」
そう言って笑うフィトの顔には、うっすらと涙の跡があるのがわかった。
フィトはまた、無理して笑っているのだろう。
「……フィト、泣いてたの?」
リオンがそう問いかけると「どうして? 泣いてないよ?」と、フィトは短く答える。
しかし――伝った雫が濡らした頬がまだ乾いていない事に、フィト自身も気付いていた。リオンはそれに気付いて言葉をかけてくれたのだろう。
バレバレだなぁ、とフィトは苦笑いして観念する。
「……ううん。ほんとは、ちょっとだけ、ね。……また嘘ついたら、リオンに怒られちゃうもん」
「正直に話してくれてよかった。どうしたの? 何かあった?」
「サングリアでメロお爺さんとマルお婆さんに聞いた話が、頭から離れなくて……。だからって、私にはどうすることも出来ないんだけど……悲しくて」
フィトは俯きながら「……それにね。さっきみたいな時、みんなの悲しい気持ちが心の中に、わーって流れ込んでくるみたいになるの」と、少女は話す。
他人の感情が心の中に流れてくるなど普通はあり得ない事だが、これもフィトが持つ不思議な力のひとつなのだろうか。
それに――人前で決して涙を見せなかったフィトが、サングリアではぼろぼろと抑えきれずに涙をこぼしていた。共感した気持ちももちろんあるのだろうが、あれほどまでに感情が表に出てしまったのは、それが原因なのかもしれない。
「……フィトは、優しいね。誰かの悲しみを自分の事みたいに悲しんだり、心を痛めて涙することは、本当に優しくなきゃできない事だよ。フィトが耳だけじゃなくて心で話を聞いてくれてるのは、分かる人は分かるはずだよ。聞いてくれてありがとうって、その人たちも心から思ってくれてるよ。……もしもそれでフィトが心を痛めたら、僕がこうして癒してあげる」
そう言って、リオンはぽんぽんとフィトの頭を撫でてやった。
「……リオン、ありがとう。……ふふふ、昔は私がリオンとレオンの頭をナデナデしたっけ」
「あ、フィトも覚えてるんだ?」
「うん! リオンの髪と耳、モフモフですっごく気持ちいいもん! 子供たちがふたりの頭ナデナデしてるの見て、思い出しちゃった」
「僕もだよぉ。たはは、懐かしいよねぇ~」
「……ねぇ、リオン。私もリオンの頭、ナデナデしてもいいかなぁ……?」
いつからか、フィトは自分たちの頭をナデナデすることをしなくなった。
それは――フィトが成長したしるしなのだろう。単に気恥ずかしくなったのか、ふたりを年上として敬う気持ちが芽生えたからか。
そんなフィトが、少し遠慮がちにリオンにそう尋ねている。
思えば、フィトはあの恰好のまま至近距離で自分を見つめているのだ。月明かりで輝くフィトの白い素肌を急に意識し出してしまって、リオンは咄嗟に椅子に掛けられていたストールを「……冷えちゃうよ」と、フィトの肩にかける。
一息つくと、リオンは近くにあった椅子に腰かけ「……撫でてもいいよ」と、照れながらも笑顔で言う。
「……いいの?」
「うん。それで、フィトが癒されてくれるなら」
答えを聞くとフィトは嬉しそうに「やったぁ!」と、リオンの頭をなでくりはじめる。
リオンは目を細めながら、優しく自分の頭をなでる少女の手の感触をじっと思い出しながら感じていた。
***
「……リオン、ありがとう。そろそろ寝よっか」
「もう大丈夫なの?」
「うん、ほんとにもう大丈夫! リオンが癒してくれたからね! ……あ、そういえばリオン、慌てて起きて来たよね? ごめんね、もしかして……トイレだった……?」
「違う違う! も~、そんなわけないじゃんか~! またフィトが一人でどこかに行っちゃったのかと思ったんだよぉ!」
相変わらずのぬけぬけ発言に、リオンは思い切りツッコミを入れた。
リオンの言葉を聞いたフィトは、そう言われてグラシナでの出来事を思い出す――。あの時のことが原因でリオンを不安にさせてしまったのだと、少女は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「……心配かけてごめんね。もう、ひとりで抜け出したりしないから大丈夫だよ。あのとき、約束したからね」
「ううん。僕もちょっと過保護だったかなぁ~なんて。たはは」
「私には、前科があるんだもん。しょーがないよ」
「ぜ、前科って……そんなに重く捉えることもないと思うけど……」
「悪いこと、しちゃったんだもん。反省しなきゃね」
「もう僕たちが許してるんだから、もうそんなに気にしなくていいよぉ。……でも。フィトのそういう素直なとこ、僕は好きだよ」
そんな言葉がふいに口から出てしまって、頬を染めるリオン。
こんなに早く言うつもりじゃなかったんだけどなぁ~……と後悔する。
ただ――自然と言葉が口をついて出たという事は、自分はそれくらいこの子の事が好きなのだろう。冥界で会える事を心待ちにしていた頃よりも、ずっと。
言っちゃ悪いけど、鈍感なフィトにはこれくらいストレートに言わないと、意識もしてもらえないだろうしなぁ……などと、リオンが思いを巡らせていると――。
「……えへへ、ありがとう! 私もリオンが大好きっ!」
「へ? あ、あの、フィト……?」
「リオンはね、私の中で一番大切な友達だもん! 嬉しい!」
どうやらこの鈍感ガールには、どこまでも伝わってはいないようだ。リオンの告白の好きを、友達としての好き――という言葉と勘違いしているらしい。
リオンはフィトのおともだち宣言に大いに傷付くも「いまは、これでいいんだ……いまは……」と、無理矢理に心に突き刺さった弓矢を抜き捨て、とりあえずこのまま好意を隠しておこう、と思うのであった。
***
寝室に戻ると、相変わらずレオンはよく眠っていた。
起こさないように、リオンとフィトはそっと自分のベッドに戻る。
「……レオン、よく寝てるね」
「そうだねぇ。寝つきはいいけど、寝起きは最悪なんだよなぁ~、兄さんは」
隣で舌を出し、悪態をつくリオンの言葉にくすくすと笑っていると――。
時々唸り声を上げ、寝苦しそうにしているレオンにフィトは気付いた。よく見ると額には汗がじっとりと浮かんでおり、うなされているように見える。
「……レオン、苦しそう。嫌な夢でも見てるのかな……?」
「どうだろうねぇ? 兄さん、寝てる時よくうなされてるんだよね」
「そうなの? そんな頻繁にうなされるって、何かあるのかな……?」
「う~ん……? 兄さんとはずっと一緒にいるけど、そんな辛い過去は……あぁ、師匠にしごかれてる夢かなぁ?」
たはは、と笑いながらベッドに潜り込むリオン。
しかし――。本当にそうなのかな……と、フィトはレオンの顔を見て思う。
少女はレオンの額の汗をそっとハンカチで拭い、頭にそっと触れる。
レオンの見ている夢の内容は、自分には分からない。だけど、こうして触れることで少しでも悪夢が癒されて、レオンが良い夢を見れますように――。フィトはそう願いを込めて、レオンに寄り添った。
しばらくすると――安心したようにレオンは寝息を立て始める。
そんなレオンを見てホッとすると、フィトも自分のベッドで目を閉じた。




