第三話・キャンドルの夜(11)
時刻は二十三の刻――。
ロルブーに戻ってから、そわそわと落ち着かないレオンとリオン。その理由は――、フィトがお風呂に入っているから、である。
何が見えるわけでも、何を見るわけでもないのだが――犬耳がついていても、彼らは健全な男なのだ。好きな子が一糸まとわぬ姿でドアの向こうで湯あみをしていることを考えると、ドキドキしてしまう。
初めてフィトの部屋に泊まった時には、どうしようどうしようと、そろって慌てふためいていた兄弟。
フィトと共に過ごす事に対し、まだ戸惑いや緊張が大きいものの――。今後もこの旅が続くのだとしたら、これが当たり前になるのかもしれないのだ。
それを考えると、今から慣れておかないとな……などと、レオンは頭をかく。
しかし――。そんなレオンの思考を吹っ飛ばすように、うっとりと色々な意味で酔いしれた顔で「……良い匂い……するねぇ」と、リオンは言った。
突然の弟の言葉に顔を真っ赤にして、口をパクパクさせるレオン。
「またお前は、そんな恥ずかしい事を堂々と……!」
「えぇ? 兄さんだってフィトの匂い、いい匂いだと思うでしょ?」
「フィトの匂いって……! だから、そーゆう言い方が恥ずかしいんだっての!」
リオンの言う通り、浴室からはフワフワと花のようないい香りが漂ってくる。思わずそれをすんすんしてしまうのは――仕方ないだろう。なんたって自分、犬なんだし……? などと、酒も入ってぼーっとする頭でそんなこじつけのような事を考えたりした。
ひとり空回りするレオンに対し「兄さんってば、何を考えてるのかなぁ~?」と、ニヤニヤしながら弟は絡む。
犬耳兄弟がそんな風にじゃれ合っていると――。
浴室の扉を開けて「……ふたりとも、お待たせっ!」と、見たこともない衣服に身を包んだフィトが出てきた。その恰好を見るなり、レオンとリオンはギョッとした顔をする。
風呂上がりのフィトはネグリジェという寝間着を身に着けており、それは普段着ている町娘のエプロンドレスよりもずっと薄くて軽やかなものだった。純白のネグリジェにはレースやフリル、リボンがついており、とても可愛らしいデザインだ。
そんな魅力的な衣服を着て、ほこほこと湯気をまとった黒髪の少女は、レオンとリオンが座っている正面のソファに何気なく腰掛ける。
心の安定が乱れてソワソワと落ち着かない兄弟は、至近距離でそんなフィトの事を直視できずにわざとらしく顔を背けた。
そんなレオンとリオンの心境も知らず、能天気に足をぷらぷらさせながら「はぁ~! さっぱりしたぁ! やっぱりお風呂、入らないと気持ち悪いもん!」と、くつろぎ始めるフィト。
「レオンもリオンも疲れてるのに、先に入らせてもらっちゃってごめんね? ささ! お風呂どーぞ!」
フィトにそう言われるも「フィト、その恰好は……?」と、思わず質問するリオン。
するとフィトは「これはね、ノエルさんがくれたの! ネグリジェって言うんだよ! えへへ、可愛いよね!」と、何も気にせず答えてくれた。
それを聞いたふたりは、そういう事か……と、納得して何度も頷く。
ネグリジェとやらは、透けて身体が見えるわけではない。知り合いの怪物の女性にもこんな恰好どころか、これ以上に激しく肌を露出している者もいる。
しかし――。冥界や魔界では、色事には全く疎くて無関心なふたり。健全な男がその類の事に興味がないと言ったら嘘になるが、ふたりはとにかくまっさらなのである。
レオンとリオンにとっては、フィトは特別な女の子だ。好意を寄せている女の子が、目の前でこんなにも魅力的な格好をしているのだ。そうなればこの状況はふたりにとって、てんやわんやである。
肩や腕が露出した衣服に、身体を包む湯気の火照り。長い黒髪から水滴がしたたるのをタオルで拭う姿。そんなフィトは物凄く艶っぽくて、レオンとリオンの動悸を激しくさせる――。
麗しいフィトのネグリジェ姿が視線の片隅に入って来るだけで、レオンは恥ずかしくて赤面してしまう。
あまりに恥ずかしい状況にいたたまれなくなったのか「おい、風呂入んぞ!」と、逃げるようにリオンを引っ張って浴室に向かった。
「ちょ、兄さん! そんなに引っ張らないでよ! 服が伸びるだろ~!?」
「いいから早くしろっての! 目に……入んだよ……ッ!」
「あ~! やらしいな~、兄さんはぁ」
「……! う、うっせ!」
風呂に入る時まで言い合いをしながら、犬耳兄弟は騒々しく中に入って行った。
一人残された部屋で「ふふふ、慌ててへーんなの! レオンったら、目にゴミでも入っちゃったのかなぁ?」などと笑いながら、フィトはふたりを待つのであった。
***
レオンとリオンが風呂から上がると――。
フィトは暖炉の前でストールを羽織り、髪を乾かしていた。羽織りものをしている姿を確認した犬耳兄弟の心に、安心した気持ちと、やや残念な気持ちが浮上する。
ふたりはぶんぶんと首を振り、フィトのいる方へと歩み寄った。
「フィト、お待たせ~。髪、乾かしてるの?」
「うんっ! ずーっとこうしてたから、もうすっかり乾いたよ!」
「クレーヴェルの夜は少し冷えるって、ノエルさんが言ってたもんな。……じゃあ、そろそろ寝るか」
「そだねぇ~……あふあふ~……」
あくびをしながら話すふたりに「だめだよっ!」と、フィトの鋭い声が飛ぶ。
何事かとフィトを見るレオンとリオンに、少女はむくれながら続けて言った。
「ふたりとも、髪の毛と犬耳がびしょびしょでしょ! そのまま寝るなんて、だめだめっ! レオンとリオンも、髪の毛ちゃんと乾かさなきゃ!」
「フィト~、僕はもう乾かしたよ~?」
「えっ!? だって、いつどうやって乾かしたの!?」
「たはは、よく見てよぉ。ほら、乾いてるでしょ? 風の魔法でいつも乾かすんだよ」
そう言うリオンの髪をフィトはじっと見ると――確かに、乾いているのがわかる。
このふさふさのモフモフ具合は、確かにきちんと乾かして手入れをしたリオンヘアーであった。
「ほんとだぁ……! ほんとに、何でも魔法でやっちゃうんだね!?」
「今度、フィトの髪もやったげるよ! マイナスイオンたーっぷりの風で、綺麗なフィトの髪が更にサラサラになるよ~!」
「ほんとう!? やったぁーっ!」
リオンとフィトがほのぼのと盛り上がっていると――。その雰囲気に水を差すように「……けっ。魔法的根拠はまったくないらしいけどな」と、弟の発言に対する嫌味を言い放つ。
リオンはそんな兄の言葉にイラッとしたらしく、レオンを睨みつけてすぐさま反撃を開始した。
「フィト~。そういえばねぇ、兄さんはいっつも髪を乾かさないで寝るんだよぉ。毛並みを整えないずさんな犬って、だらしがないよねぇ? 今日もこのまま寝ようとしてるしぃ~?」
「そうなの!? ……あ、ほんとだ! レオンの髪の毛と耳、濡れてるっ!」
「リオン、てめー余計な事を……! だぁ~もう、俺はいいんだよっ。男はこーゆーモンなの! 短いんだから、ほっときゃすぐ乾くって!」
「だめだめ! そんなの絶対だめ! 風邪引いちゃうもん! リオン、乾かしてあげて!」
「うぇっ!? 僕が!?」
「そうだよ! ほら、早く乾かして寝よ!」
フィトのお願いとあらば……と、仕方なしにリオンは兄の髪を乾かし、レオンは黙って乾かされるのであった。
その後――リオンの嫌がらせにより、トゥルントゥルンのフォルムに仕上げられた髪を見て、レオンは発狂したのだが――。
そんなこんなで、三人は寝床に入って休むのであった。




