第三話・キャンドルの夜(10)
暗い表情のまま口を閉ざす面々を見て「なぁ~にをしみったれた顔しとるんじゃ! ほれ、グラスが空になっとるぞぃ! さっさと注がんか!」と、メロ爺はレオンの顔にグラスを押し付ける。
いつも通りのメロ爺に戻ったのを見て、レオンはホッとしながらぎこちなく酒を注ぐ――。
「……フィトお嬢ちゃん、番人のあんちゃんたちも、そんなに傷付いた顔をしないでおくれ。もう、全ては済んだ事なんぢゃ。楽しい時間を悲しい気持ちで潰してしまって悪かったねぇ」
沈んだ三人の心を救い上げるように、そっと言葉をかけるマル婆。
黙ってメロ爺の話を聞いていたが、マル婆もメロ爺と同じように辛い過去を背負って長く生きてきた筈だ。大きな眼鏡の奥にあるしわ深い瞳は、一体どれだけの悲しみを目の当たりにしてきたのだろう――。
それを思うと、フィトは明るく笑う事などとても出来なかった。二人の心情を考えるだけで、きつく噛み締めた唇は震え、だんだんと瞳に透明な膜が張りつめていく――。
そんなフィトをただ心配そうに見つめるレオンとリオン。フィトの隣に座っていたノエルは、その小さな肩をそっと抱きしめた。
あごに手を当てて少し考えた後、おもむろにマル婆は口を開く――。
「……アタシもね、悲劇の時に大切な旦那を亡くしたんぢゃよ。百年という月日は、決して短くはなかった。ただただ、あの頃は悲しかったねぇ。村は破壊され、たくさんの命が失われ……痛ましい悲劇を乗り越えながら、クレーヴェルはよくやってきたよ。皆が力を合わせて頑張ったから、この村はここまで復興することが出来たんぢゃ」
下を向くフィトに、マル婆は微笑みながら語りかける。
「……フィトお嬢ちゃん。これは、罪を犯した昔の人間であるアタシらの自己満足かもしれない。……だがのぅ。こうしてお嬢ちゃんたちに話したことで、これから先の未来も、穏やかで優しい時間がずっと続いてくれると、アタシらは信じることが出来るんぢゃよ。人間がまた間違った道に進まないように、同じ過ちを繰り返さないように……。それに、こうして悲しみを誰かに分かち合ってもらえるからこそ、アタシらはこうして生きていけるんぢゃ。……ありがとうねぇ」
包み込むような優しさに満ちた声を聞いて「マルお婆さん……」と、顔を上げるフィト。
大きな眼鏡越しの瞳と目が合うと「ほれほれ、もう泣くのはおやめ。せっかくの可愛い顔が台無しぢゃよ」と、マル婆は目を細めて言った。
「アタシはね、今は本当に幸せなんぢゃよ。……アタシらは、いま生きている人達に責められて当然の事を過去にしでかしているのに、誰も何も言わずにいてくれるんぢゃ。外に一歩出れば、子供たちがアタシのまわりを取り囲んで買い物の手伝いをしてくれる。リンゴの世話をしたり、ノエルやココナと世間話をしたり、一緒に裁縫やお菓子作りをしたり――。そうやっていると、一日があっという間に過ぎてゆくんぢゃ」
マル婆の言葉に同調して「うむ、その通りじゃ! せっかくクレーヴェルに来てくれたんじゃから、もっと楽しく飲まんとな!」と、メロ爺はずいっと酒を取り出して笑った。
そんなメロ爺に対し「……せっかくいい話をしたのに、また酒でしめるとは台無しもいいところぢゃ! そのうえハゲに共感なんかされると、虫唾が走るわぃ!」と、マル婆は露骨に嫌な顔をする。
「シワババアには、酒の良さなぞ到底ワカランじゃろうて! 何しろ下戸じゃからの!」
「うるさいの~。飲んだくれハゲに言われたくはないわぃ!」
ああでもないこうでもないと、またも言い争う老人たち――。
フィトはその様子を見て、おかしそうにくすくすと笑い出した。そして、目の前のレオンとリオンに「……ねぇねぇ。ゲコってなぁーに?」と、少女は首を傾げるのだった。
***
リンゴのような真っ赤な顔で、メロ爺とピスタが小躍りをする中――。
上機嫌にアップルビールを飲むリオンに「……おい、リオン。お前そろそろ飲むのやめとけ」と、レオンは声をかける。
そもそも――レオンは今夜、弟に酒を飲ませるつもりは毛頭なかった。しかし――山吹色の瞳を光らせ、うらめしそうに見続けられているのが耐えられなかったらしい。仕方なく、少しだけならと飲むことを許したのだ。
リオンはつまらなそうに「へいへーい。わかってますよぉ」と返事をすると、懐中時計に目をやる。
弟の時計を一緒に覗き込むと「……そろそろ宿に戻るか」と、レオンは口にする。
「フィトぉ~。兄さんがそろそろ戻ろうって~」
「はぁーい! じゃあ、挨拶しなきゃだね!」
ノエル、マル婆、ココナと話し込んでいたフィトは「あの……! 今日は本当に、ありがとうございました! ……私たちのことを信じて受け入れてくれて、嬉しかったです」と、立ち上がってお礼を口にする。
「……マルお婆さん、メロお爺さん。ふたりにとって大切なお話を聞かせてくれて、本当にありがとうございました」
「こちらこそぢゃ。辛気臭い年寄りの話を聞いてくれて、ありがとうのぅ」
「うむ! 感謝感激雨あられじゃ! あんちゃんたちが、こんなに酒がイケる口だとは思わなんだ、度肝抜かれたぞぃ!」
ピスタと肩を組んで、満足そうに笑うメロ爺。
上機嫌な老人を見て、真面目なフィトは何やら言いづらそうに「……お料理とアップルパイとリンゴ、ごちそうさまでした! だけど……メロお爺さんのリンゴと、マルお婆さんのリンゴは、どっちもとってもおいしくて……その、ごめんなさい! どっちのリンゴが一番なんて、決められませんでしたっ!」と、メロ爺とマル婆にがばっと頭を下げた。
そんな少女を見て、ポカンとする面々。リンゴの小競り合いを本気でやっていたメロ爺とマル婆だったが、そんなフィトを見て本当に度肝を抜かれたようだ。まさか、自分たちの言った事をここまで真摯に考えてくれていたなんて――と。
そんなフィトに対し、明るく言葉をかけたのは――ウォールの父親、ピスタだった。
「おう! そりゃ、皆それぞれ魂込めて作ってるもんだからな! 一番なんて簡単に決められないのは、当然のことだ! ……まァ~、このジイバアも半分おふざけでやってるようなもんだから、そんなに気にしなくていいからな! ハッハッハ!」
「ななな、なんじゃと!? おいピスタ! おふざけとは何事じゃ!?」
「アタシはいつだって真剣ぢゃ! このクサレハゲ頭と一緒にするんぢゃないよッ!」
どこから出したのか、リンゴの木枝でペシペシとピスタを叩く老人たち――。
その様子を見て自分のせいでまたこうなってしまったと、あわあわする少女を見て、リオンは「フィトは可愛いなぁ~」と、くすりと笑う。
ここまで誰かの為を思って一喜一憂してしまうフィトに感心しつつ、レオンは少し心配にもなってしまう。フィトは優しい。人の事を考え過ぎるのと、気持ちに敏感過ぎるあまり、自分の中に処理しきれない感情が流れ込んできて、一人で思い詰めてしまうのではないか、と――。そんな風に思いながら、レオンはフィトを見つめた。
「……それじゃあ、ここのお支払いはメロ爺さまに任せて、あなたたちはロルブーでゆっくり休んでね!」
ニコニコとそう言うノエルに「ノエル!? なにを言っとるんじゃ!?」と、目を見開くメロ爺。
慌ててフィトも「そ、そうですよ! ノエルさん、お支払いは自分たちできちんとします!」と、レオンにポケットブックからポシェットを出してもらうようお願いする。
今晩のお支払いは、フィトがするという約束だったのだ。誰が何と言おうと、フィトは自分で支払いをする気だろう。
しかし――。ノエルは有無も言わさぬオーラを放ち、メロ爺に言葉を続けた。
「……メロ爺さま? あんな騒ぎを起こしたんですから、それはもう、皆さん迷惑したんですよ? それに、メロ爺さまはこの子たちにお詫びをしてませんもの。それくらいは当たり前……ですよね?」
「う……ぐぅ……! それは……!」
何も言えなくなったメロ爺を見て、交渉成立と取ったノエルは「フィトちゃん。そういう訳だから、ね?」と、フィトに笑顔を向けた。
しかし――。ノエルがそう言っても、そんな事は出来ないと少女の心は訴える。だが、ノエルも厚意で提案をしてくれているのだ。どうしよう……と、フィトは頭を悩ませる。
フィトの脳裏には、クレーヴェルに来る時にフリーダーに言われた事がまたもや浮かんでいた。こういう時も、人の厚意を素直に受け取るべきなのだろうか――。
そんな時――。フィトの肩にぽんと手を置いて「……いいんぢゃよ。甘えておきなさい」と、笑顔でマル婆はそう言った。
「お気持ちは嬉しいです! だけど……今日は私がお支払いをする日で……」
「それは、お嬢ちゃんたち三人の約束事ぢゃろう? ここはクレーヴェルの皆からの気持ちだと思って、素直に受け取ったらいいんぢゃ。……ハゲジジイもそう思っとるから、心配しなさんな」
そこまで言われて、フィトはようやく厚意を受け取ろうと思い始めた様子。おずおずと「……ほんとうに、いいんですか?」と、聞き返す。
すると――「もちろんぢゃ!」「ええ、もちろんよ」と、マル婆とノエルから快い返事が返ってきた。
「うう~……! 本当に、本当にありがとうございます! メロお爺さん、ごちそうさまです!」
「たはは! ゴチになりまぁ~す!」
「ジイさん、悪いな。ビールも美味かったよ、ありがとう」
そんなわけで――。三人にお礼を言われ、泣く泣くメロ爺は支払いを済ませたのだが――。
メロ爺は「……共感はしないんじゃなかったんかぃ」と、マル婆の事だけは根に持ち、いつまでも恨んだという――。
「そうそう。明日は樹の祭壇に行くんでしょう? それは本当よね?」
「本当ですよぉ~。明日は、樹の祭壇に行きますよぉ~」
「ウフフ、仕事が無駄にならなくてよかったわ。明日の朝一で船を手配してあるの。七の刻にロルブーに迎えに行くわね」
「あ、ありがとうございます。それはすげー助かるよ」
少しひやっとしながらも、レオンはノエルにお礼を言う。
この人を騙したら、もしかしたらラシーヌさんより怖いかもしれない――と、レオンは恐ろしく思ったのだった。
「道中、くれぐれも気を付けて行くんぢゃよ」
「お前たち、達者でな!」
「ウォールと遊んでくれてありがとな! またクレーヴェルに来ることがあったら、あいつの料理食ってやってくれよ!」
「またいつでも、遊びに来てくださいね! サングリアに来てくれたら、あの子も喜びますから!」
「私はココナさんのお手伝いをしてから戻るから、今日はここで。……それじゃあ、また明日ね」
マル婆、メロ爺、ピスタ、ココナ、ノエルに見送られ、三人はサングリアを後にする――。
様々な気持ちを抱えながら、優しく揺れるキャンドルの湖のほとりを歩き、三人は宿であるロルブーに戻って行くのであった――。




