第二話・フィヨルドの村(1)
クレーヴェルの村に辿り着いた一行は、その景観に魅せられて思わず立ち止まっていた。
そこにあったのは、凛と聳える山と、緑の中に立つ赤い壁の家々、それらを映し出す穏やかな湾。氷河が大地を削り、海水が入って出来た、フィヨルドが沈んだ小さな美しい島々。クレーヴェルは見とれるほどに美しい、大自然の中の村だった。
広い平地にはリンゴやスモモ、レモン、葡萄などのみずみずしい果樹園が一面に広がっており、芳醇な果物の香りがほのかに香ってくる。
グラシナで聞いた通りワインに使われる果物はここで作られているようだ。
「綺麗なところだな……」
「うん。すっごくすっごく、キレイなところ……! 自分が住む島に、こんなに素敵な場所があるなんて。世界って、本当に広いんだね」
「なんかもう、言葉が出てこないよ! 語彙が足りなくって、凄いとか、綺麗とか、ありきたりな言葉しか出てこないのが悔しいくらいだなぁ! 果物のめっちゃいいにおいもするしっ!」
三人は雄大な景色にひとしきり感動した後、シロツメクサに覆われた緑の大地を踏みしめて奥へと進んで行く。
フリーダーの言っていた通り、クレーヴェルは人口の少ない村のようで、村を行き交う人々はグラシナに比べて段違いに少なく見えた。いまだ人混み慣れ出来ない犬耳兄弟にとっては、とても気楽に歩ける素晴らしい村だと心底感じている事だろう。
村を行き交う人々は、おしゃれで可愛い衣服を身に纏っていた。
女性はベストに白いエプロンをつけており、色鮮やかなお花の刺繍がとても可愛い。男性の衣服には、凝った銀細工が施されている。
中には、ノルディック柄の衣服を着用した人もちらほら見かけた。男女ともに赤や黒、緑や青などの色を基調とした、さまざまなデザインがあるようだ。
そんな風にまわりを観察しながら、ゆったりと村を歩いていると。
突如、リンゴ園から農家の爺さんと思しき人物が、三人の目の前に飛び出してきた。
「「「ぎゃあっ!?」」」
三人は突然のイベント発生に驚き、声を上げて飛び上がる。
綺麗にハモって声を上げた一行の反応を見ると、さも嬉しそうな顔で爺さんはこう語った。
「おおん!? お兄ちゃんたち、この辺で見ない顔じゃなぁ!? さては、旅人か観光客か商人じゃろう!? ……ふんふん。荷物の少なさから、旅人か観光客だってことは一目瞭然じゃ。なぁに、何も言わなくても分かっておるわい。あまりのワシの鋭さに、度肝抜かれとるんじゃろうて! ワッハッハ! オーソレミーヨ! ってことじゃな! あぁなに、驚くこたぁないぞ? これは歓迎のしるしじゃからな? クレーヴェルの洗礼ってぇやつじゃ! ほーれぃ、絶品もぎたてリンゴを食してミーヨ!」
そう言って、ふふん! と、木から真っ赤な果実をもぎ採り、三人に差し出す謎のリンゴ爺さん。
どうやら三人は、だいぶ面倒くさい住人に目を付けられてしまったようだ。いきなりのマシンガントークと炸裂した爺さんに対処しきれない様子。
犬耳兄弟の頭にまず浮かんだのは、何なんだろう。このヘンなジジイは。である。
もらったリンゴを見てオロオロするフィト。兄弟はいきなり登場した怪しいジジイと胡散くさいリンゴを交互に見ると、ヒソヒソ話を始めた。
(……なぁ。コレ、やばいやつじゃね?)
(……うん。僕もそう思うよ。知らない人からもらったものは口にするなって、師匠から何度しぼられたことか。こんなの、フィトに食べさせるわけにはいかないよ!)
(……同感。このジジイ、かなりアヤシイもんな。即刻この場を立ち去るべきだろ)
(……だとして、どうやって撒くかなぁ~……)
フィトはしばらく氷山のように固まっていたが、親切を受けて黙っているわけにはいかない、と正気に戻る。
兄弟が何かを話し合っていることなどお構いなしに、人を疑うことを知らない少女はキラキラ笑顔でリンゴを受け取ってしまった。
「お、おじぃさん! ありがとうございますっ! リンゴ、頂きますねっ!」
黒髪少女が、ちいさな口でリンゴにぱくりとかじりついた途端。
それに気付いたレオンとリオンは、サーっと身体から血の気が引いて行くのを感じた。一体何が盛られているかもわからないリンゴを食べてしまったのだ。
昔読んだ絵本に、お姫様が毒リンゴを食してジ・エンドする悲しい物語があった事を思い出す。これは、大切なフィトの生命の危機である。兄弟はフィトを救おうと、いきなり少女の肩をがしっと掴みにかかる。
「フィト! フィトぉ! ダメだよそれは毒リンゴなんだ!」
「すぐに吐き出せ! じゃねーと手遅れになっちまう!」
兄弟の必死の抗議も虚しく、フィトは「う……うぐ……」と、苦しそうにリンゴを飲み込んでしまう。
それを見たレオンとリオンは、終わった……と、肩を落として呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
しかし。兄弟が予期したものと異なる未来が、そこには広がったのである。
「ナニコレおいしーっ!? ものっすごいシャリっとした歯ごたえだよ!?」
「「……へ?」」
まぬけな声を上げ、呆然と立ち尽くすふたり。どうやらリンゴは毒リンゴではなかったようだ。
ただし、フィトが苦しそうにうめき声を上げたのは、他でもない犬耳兄弟のせいなのである。食事をしている時に身体を揺さぶられたら、詰まらせるのは当然だろう。
その事をもちろんわかっておらず、フィトが毒当たりしてうめき声を上げたと絶望を感じていたのだ。まったく残念なおつむである。
フィトの無事にホッとしたふたりの心に、ファーっと光が差し込む。
ご満悦でシャリシャリとリンゴを食べるフィトを見て、兄弟が顔を見合わせて微笑んだその時。
「こんの無礼者がぁ!」という怒鳴り声に合わせ、スパパーン! とふたりは何かで頭を殴られたのだった。
「貴様ら、人が丹精と真心を込めて作ったリンゴを毒リンゴ扱いするとは何事かぁ!? その愚行、許すまじ! 黙って食わんか! このたわけ共がぁ!」
リンゴ爺さんはそう言って振り回していたハリセンを投げ捨てると、犬耳兄弟の口に勢いよくリンゴをぶち込んだ。
「「あががががが……!」」と兄弟は一瞬呼吸困難に陥ったが、次の瞬間。リンゴをかじったふたりは、その芳醇な香りと口の中に広がる甘酸っぱい味わいに目を見開いて感激した。
「んわぁ~!? こんなに硬めでぎっしりした果肉のリンゴ、初めて食べたかも! めっちゃ美味しいんだけど!?」
「酸味が前面に出てんだけど、それと共に甘みもしっかりしてて……すげーうまいよ、これ! リンゴって採れる場所によってこんなに風味が違うモンなのか!?」
興奮のあまり、そろって食レポをする兄弟。
それを聞くと、リンゴ爺さんは先ほどの怒りをすっかり忘れ、嬉しそうな顔で「そうじゃろう!? そうじゃろう!?」と、満面の笑みでそう言った。
そんな面々に、リンゴ爺さんは聞いてもいないリンゴの説明をおっ始める。
「このリンゴはな、レッドアロマという品種なんじゃ! レッドアロマとは、その名の通り香り豊かなリンゴでなぁ。クレーヴェルで一番ウマい絶品リンゴなんじゃ!」
リンゴ爺さんの話に「へぇ~!」と、三人が相づちを打っていると。
離れた場所にある別のリンゴ園から、物凄い勢いで見知らぬ婆さんが走ってきた。バケモノの形相で「キェェェェェ!」という奇声を上げながら迫りくる婆さんの後ろには、凄まじいほどの土煙が巻き上がっている。
間違いなくここをめがけて猛進してくるであろう婆さんは、あっという間に一行の目の前に到着し、急ブレーキをかけるのだった。
※フィヨルドとは
ノルウェー語で『入り江』『深く入り込んだ湾』という意味で、ノルウェー語による通俗語(つうぞくご…一般的な言語)を元とした地理学用語です。どのような地形かは本編でも紹介がありましたが、説明書きとしてもう一度。
フィヨルドとは、氷河によってU字に削られた谷に海水が入って出来た、複雑で奥深い湾・入り江のことです。湾の入り口から奥まで湾の幅があまり変わらず、非常に細長くて狭い、入深い形状の湾を形成しています。波がない穏やかな海面は、湖や川などと表現されることもあるようです。




