第一話・声の呼ぶ方へ(1)
『……た……けて』
眠った意識の中、また、あの声が聞こえてきた。
『……たすけてぇ……』
『……おねがい……だれか………』
この声の主は、誰なのだろう? 一体どこにいるのだろう?
フィトは言葉を返そうとした。
しかし。声を送る前に、そこでフィトの意識は途切れてしまったのだった。
***
はっとして目が覚めた時。
そこは眠っている時の、真っ暗な意識の中ではなく。飲んでいた時の、酒場でもなく。
「あれれ……?」
寝起きのためか意識がはっきりせず、記憶の混濁が激しい。
というか、記憶がはっきりしない。
「私、どうしてベッドで寝てるの……?」
ゆっくりと、身体を起こす。
すると、そこで初めて両隣のベッドでレオンとリオンが寝ているのに気付く。
いつの間に宿に戻って来たのだろう。皆でワインを飲んで、料理を食べて。楽しかった筈なのに、その後の事がどうしても思い出せないのだ。
「あ! そうだ、あの声!」
フィトは思い出す。ようやく意識がしっかりしてきたようだ。
すると――。フィトは自分を引き寄せているような、不思議な力を感じ取る。
声は聞こえないが、確かに誰かに呼ばれているのだ。初めて感じる、不思議な感覚。
「行かなきゃ」
呼んでいる場所までは特定できないため、どこに行きつくのかは見当がつかない。
ただし、自分を呼び寄せられるくらいの距離に声の主はいると、フィトは感覚で確信出来た。
時刻は深夜、二の刻。
レオンもリオンも、よく眠っている。慣れない地上の生活で、だいぶ疲れていたのだろう。
酒も入っているためか、ぐうぐうと熟睡している。
少し、心細さもあった。出来る事なら、ふたりに側にいてほしい。ただ、やはり疲れているふたりを起こすのは悪いと、フィトは思ってしまうのだ。
何かあったらすぐに言ってくれる? どんなに小さい事でも、僕は言ってほしい――。
フィトの脳裏に、リオンの言葉が浮かぶ。
一人で行ったら、またリオンに怒られちゃうかな、とフィトは思う。
リオンだけではなく、レオンも酷く心配するだろう。それでも、フィトは一人でそっと部屋を出ていく。
***
この時間はさすがにトロンも休んでいるのだろう。宿屋のフロントは、もぬけの殻だ。
外に出ると、深夜だというのに外を歩く人影がちらほら見えた。
街の明かりはだいぶ消えていたが、酒場などは深夜営業もしているようだ。ところどころ明かりのついている店がある。
「こっちだね」
フィトは引き寄せられるように、自分を招く意識の方へ進んで行く。
冥界へ行くドアを開いたり、炎の色を感じ取ったり。
他の人には見えない光の粒が見えたり。
自分が不思議な力を持っていることを、わかってはいた。
あまり気に留めたことがなかったのは、産まれつきそういうもの、として認識してきたからだ。
ところが、誰かの声が聞こえたり、見えない意識に呼ばれたり。こんな事は初めてだった。
自分が声を聞いているのか、相手が声を届けているのか。
もしかしたら、呼ばれている先に行ったら、それがわかるかもしれない。冥界のドアを開けられるようになるかもしれない。
そしたら、レオンとリオンもきっと喜んでくれるだろう。
酔っ払いが時々声をかけてきても、気にせずフィトは歩き続ける。
気付けば、グラシナの入り口――ここに来た時の長い階段の前まで来ていた。
「どういうこと? 呼んでいる人は、街の中にいるんじゃないの……?」
疑問に思いながら、階段を見上げる。
降りるときはリオンが支えてくれたおかげで、階段を降りて無事にここまで来ることが出来た。
でも、いまは一人だ。支えてくれるリオンも、心配してくれるレオンも、ここには居ない。
孤独感も相まって、フィトは足がすくみそうになる。しかし、ここで立ち止まっている場合ではないのだ。
ぱん! と自らの両頬を打ち、フィトは気を引き締めた。
自分を呼び寄せるものに従い、慎重に、ゆっくりと壁伝いに階段を上って行く。
***
階段を上り始めて間もなく。
「きゃっ……!?」と小さく悲鳴を上げ、フィトはバランスを崩す。
突然、足元の階段が崩れたのだ。フィトは何とか持ちこたえると、その場にへたり込み胸を抑える。
「ふぇ……びっくりしたぁ……。危ないなぁ、もう」
ふうっ、とため息をつくと、息を落ち着かせて再び階段を上る。しかしながら、状況はあまり良いものではなさそうだ。
ここに来た時よりも、ずっと激しい風が渓谷に吹き荒れているのだ。吹き付ける風に抵抗しながら、必死にフィトは進む。
「はぁ……はぁ……あとちょっと……!」
時々目に入る砂埃が痛い。
薄暗くて視界も冴えない中、目を細めて一段一段階段を上がるのはなかなかの恐怖だ。それでも一段一段、岩石で出来た階段をフィトは踏みしめていく。
神経をすり減らしながら決死の思いで登り続けると、暗がりの中にゴールの灯が見えた。グラシナの入り口である、クリスタルで照らされた岩石のアーチが見えてきたのだ。
あと二段、一段……息を切らしながらも、なんとか無事に階段を上り切ったフィト。
「ついたぁ……!」
膝に手を当て、少女は呼吸を整える。
改めて、自分の進んできた景色を振り返ってみると、背筋が凍りそうだった。
ここに来た時にレオンが言っていたが、階段から落ちたら即、あの世逝きなのだ。本当によく登って来たなぁ、とフィトは我ながら思う。
エプロンドレスについた砂をぱたぱたと払い、少女は再び前を向く。




