第三話・花咲く渓谷(6)
トロンの宿屋・リースリングのすぐ近く。
『ジン・ファンデル』と書かれたラシーヌ行きつけの酒場はあった。
中に入ると、酒場は多くの人で賑わっていた。
すでに真っ赤に顔を染めて出来上がっている者、男女二人でひっそりと飲んでいるカップル、大声でゲラゲラと笑って酒瓶ごと飲む炭鉱夫姿の団体客など、客層は様々だ。
紐にいくつもの電球が吊り下げられており、じんわりとした明かりが店内を包む。
カウンター席とテーブル席が用意された店内はこじんまりとしているも、なかなかオシャレな雰囲気だ。
ラシーヌの話によると、この店の自慢は圧巻のワイン棚だそう。ここから北にある村から新鮮な木の実や果物を仕入れ、ワインを造っているとのこと。
様々なフレーバードワインは、地元の顧客達や観光客の舌を唸らせるほどだという。
忙しそうに店内を駆け回る店員に、ラシーヌは親し気に手を振る。
店内を見回すと、いくつか空いている席があり、ラシーヌは五人で座れるテーブル席に慣れた様子で一同を誘導してくれた。
「さぁ! 飲むわよ~っ! あんたたち、お酒は飲める? ここのワインは絶品だからね! じゃんじゃん飲むといいわ!」
飲めるか飲めないかの返事も聞かず、飲め飲めとグラスを口づける仕草をするラシーヌ。
よほど酒好きなのだろう。
「兄さん、飲む?」
「ああ。せっかくだから飲もうかな。ラシーヌさん、何がおすすめなんだ?」
レオンは数ある種類のワインを見て、ラシーヌに尋ねる。
「んん~。そうねぇ。おすすめはたくさんあるけれど、アタシが一番好きなのはヴィンサント・ガバラスね。干し葡萄から造られた自然の甘さが特徴なの。ヴィンサントは、神話の蜜って呼ばれてるのよ。熱っぽくて素敵でしょ?」
「わぁ~! とっても素敵……! ロマンチック……!」
ラシーヌの語りに、フィトの乙女回路がキラキラと回り出したようだ。うっとりとした顔で、ラシーヌの話に聞き入っている。
そんなフィトの反応を見ると、嬉しそうにラシーヌは続けた。
「でしょでしょ? 蜂蜜も入ってるから甘口で飲みやすいわよ。フィト、あんたはこれにしたら?」
「うん! そうしようかなぁ!」
「よしよし! これはね、アーモンド風味のビスコッティに合わせて飲むのが定番よ」
「へえぇ~! ビスコッティ、おいしそう!」
きゃいきゃいと盛り上がる女子二人。
いつの間にか、ラシーヌはフィトのことを名前で呼んでいる。楽しそうに話すのを見ると、だいぶ打ち解けているようだ。
それを横目に、男三人はパラパラとメニューをめくる。
「ヴィンサント・ガバラスは確かにうまいけどよ。高価な上に、ありゃデザートワインだからな。最初っから飲むのは、俺はすすめないぜ」
「トロンさんは、何が好みなんだ?」
「俺か? 俺は、リララキス・コツィファリ辺りをいつも飲むぜ。値段は手頃だが、味は本格派だ。それに、値段張るのを飲むと、後が怖いからな……」
そう言うとトロンは、ジト目でラシーヌの方をちらりと見た。
勘の良い兄弟は、何となく察しがついた。後々それが現実になるであろうことも。
「じゃあ、僕も最初はトロンさんと同じのを頼もうかな。ヴィンサント・ガバラスもすっごく興味だから、あとで飲もうっと!」
「……リオン。お前、飲みすぎるなよ?」
「わかってるって! ほどほどにするから!」
兄の心配を他所に、リオンはケラケラと笑っている。
そんな弟を見て、どうだかなぁ……と、苦悶の表情を浮かべるレオン。
まぁ、せっかくの酒の席で固い事を言っても仕方ないか、と今回は大目に見ることにしたようだ。なんだかんだ弟に甘い兄は、それ以上は何も言わなかった。
「俺も二人と同じワインにするかな! 酒もいいけど、腹減ったよなぁ。なぁ、トロンさん。このワインには、何が合うんだ?」
「リララキス・コツィファリには、チーズがよく合うぞ。ちなみに、この店の看板メニューは孔子のチーズ焼きだ。なかなか美味い上に、大皿でドンと来るぜ。食うか?」
酒も嗜むようだが、トロンは食べる方が好きなのだろう。
身振り手振りで楽しそうに料理の説明をしてくれる。
「へえぇ! 美味しそう! 僕、それ食べたいなぁ!」
「ああ、確かにうまそうだな! それ食ったら、俺は後で甘いもん食う!」
「……よし、決まりだな。ラシーヌ、こっちは決まったぞ」
トロンの声掛けに、ラシーヌは「はいよ」と答える。
ラシーヌが手招きをすると、ショートカットの栗色髪をした女性がこちらにやってきた。
「いらっしゃい、ラシーヌ。今日はまた、見ない顔を連れてるじゃないの!」
「ラモ、こんばんは。さっきそこで店案内した子達なの。さっき聞いたんだけど、ガルデニアから来てるんだってよ」
「あらあら! そうだったの! あっちは祭りをやってるんだってね。だからその恰好なの? ふふふ、ここまで来て仮装してる人は初めてお目にかかったよ!」
三人は顔を見合わせて「どーも」と、苦笑いした。
とりあえず、勘違いしてくれているうちはそのまま話を合わせておく。
「……グラシナの一番酒場、ジン・ファンデルへようこそ! 美味しいワインとお料理で、後悔させない一夜を過ごせること間違いなしよ。どうぞ、素敵なひとときを」
そう言うと、ラモはスカートの裾をつまみ、片足を引いて深々とお辞儀をした。客に感謝を表した挨拶、カーテシーである。
その仕草を見慣れない三人は、自分たちの服を適当につまみ、ぎこちなくお辞儀を返す。
ラシーヌとトロンはそれを見て、あまりの可笑しさに笑いを堪えるのだった。
今頃、マヌケドリがグラシナの上空をくるくる飛んでいることだろう。
注文を取ると、ラモはカウンター奥の厨房へ入って行く。
酒と料理を待つ間、五人は談笑を続ける。
「えっと、あんたが兄貴の……なんだっけ? 名前が皆、オンオンロンロンで、わからなくなっちゃったわよ。どこぞの国の、動物の名前みたいじゃないの」
「いやいや! そこに俺の名前が入ってるのはどう考えてもおかしいだろ!? 昔馴染みなんだからよ!?」
ポリポリと頬をかくラシーヌに、トロンはすかさず突っ込む。
そんなトロンを完璧に無視して、ラシーヌは言葉を続ける。
「……まぁ、冗談だけどさ。レオン、リオン。……あんたたち、一体どこから来たのかしら?」
ラシーヌの言葉に、一瞬凍り付くふたり。
どういう意味で言っているんだ? というのが、ふたりの正直な思考だった。しかし、下手な事を言えないような雰囲気が、兄弟とラシーヌの間に流れる。
沈黙になる兄弟を見かねて「私たち、ガルデニアから来たんだよ? どうして?」と、少女は間に入って答える。
そんなラシーヌの問いかけの意図が理解できなかったフィトは、一人疑問符を浮かべていたのだ。
トロンに関しては、何のハナシだ? といった顔つきで全員を見ているだけなのだが。
純粋にそう言うフィトに、ラシーヌは「ふむ」と考え込む。
そして、何かを言おうとして口をつぐんだ。
「お待たせいたしましたぁー! ワインとお料理でーすっ!」
一同を包んでいた空気を知りもしないラモは、そう言って手際よくテーブルに食事を並べていく。
ラシーヌは目の前に置かれた酒に目の色を変えると、「待ってましたぁ! じゃ、飲みましょ!」
と言って、グラスにワインを注いでいく。
今はいいか、とラシーヌは先程の話を流すことにしたようだ。単純に、大好きな酒に早くありつきたいだけのように見えるのだが。
それを見て、ホッと兄弟は胸をなでおろす。
口が達者リオンも、この時ばかりはだいぶ肝を冷やしたようだ。さすがに、そんな事を聞かれるとは予想していなかったのだ。
腹が減っては頭も働かねーよな、とレオンも目の前の美味しそうな料理に目移りしたようで、よだれをすすっている。
全員ワインが入ったグラスを持ったところで。
「「「「「乾杯!」」」」」
五人が声をそろえて言う。
こうして、グラシナの宴が始まった。
***
「ナニコレ!? おいしーっ!」
フィトは初めて口にした白ワインが、かなりお気に召したようだ。
一口飲む度に、ぱあぁぁぁっ! と顔が緩み、まわりに花が飛んでいる。
「でしょ~? ほら、どんどん飲みな! 今日はトロンの奢りだよっ!」
「おい!? またかよ、勘弁してくれよ!」
「あー? 男が小さい事言ってんじゃないよ! ケチケチすんなぃっ!」
ラシーヌにギロッと睨みつけられ、トロンは大きなため息をついた。
トロンいわく、これはいつものこと、だそうだ。
虚しくも、予想通りの展開になったわけだが。
黙って従うあたり、ラシーヌに何か弱みでも握られているのか? と、レオンとリオンは疑問に思うのであった。
上機嫌なラシーヌは自分とフィトのグラスに、トクトクとワインを継ぎ足している。これは、一本開けるのも時間の問題だろう。
レオンとリオンは、料理を頬張ってとても満足そうにしている。美味しい料理で酒も進む。
楽しい時間に、あっという間に夜は更けていった。




