第二話・トラブルトラベル(3)✿挿絵✿
歩いていると、フィトの目の前にひらひらと美しい羽生を持つ生き物が現れた。
「わぁー! 蝶々だ! 見たことない綺麗な色してる!」と、フィトは一人、夢中になって蝶々と戯れ始めた。
そんな姿を見てほっこりしながら、リオンはこそこそと兄に気になっていた話を振る。
「……兄さん。さっきフィトの怪我を治したって言っていたけど、いつの間にそんなことしたんだよ?」
「あ? お前がぐーすか寝てる時だよ」
さっきからずっとリオンに嫉妬心を抱いていたレオンは、わかりやすく不機嫌だ。
弟はそんな兄の様子に気付かないわけがない。
同じくイライラしていたリオンは、おもちゃみーっけ! といったノリで、ニヤニヤと笑ってレオンを挑発し始める。
「なんだよ、感じ悪いなぁ~。もしかして、またヤキモチ? 兄さんは本当に幼稚なんだからぁ~。兄さんもフィトに触りたいなら、触ればいいだろ?」
「んなっ……! お前はまた、そんなハレンチな事をよくもまぁ平気で……!」
触るという単語に、過敏に反応するレオン。顔を真っ赤にしてワナワナと震えている。
単細胞なレオンは、リオンの思惑通りの反応を返すばかり。
ほんと期待を裏切らないよなぁ、とリオンは面白がっている。
こうして弟の兄いじりは、どんどんエスカレートしていくのだ。
「破廉恥なのは兄さんの方じゃないの~? そういう意味で言ってるわけじゃないのにさぁ?」
「んなっ!? なななななな……!? べ、別に、俺はそんな風に思っちゃいねーよ! あと、言い忘れたけど、ヤキモチも妬いてねぇっ!」
「へえぇ~? そうなんだ? じゃあ、僕がフィトにぺたぺたしてもいいの? 何とも思わないわけ?」
「ダメに決まってんだろ! お前、そんなことしたら許さねーかんな!」
「別に、兄さんに許してもらう筋合いないし? それに、全然答えになってないんですけど?」
ぐぬぬぬ、と牙を剥き出しにして威嚇するも、リオンは涼しい顔をしている。
口の達者な弟には、レオンは口喧嘩では適わないのだ。
何か、この生意気な弟を黙らせる方法はないだろうか。レオンは少し冷静に考え、思い立つ。
――そうだ、昨日の出来事を話そう!
リオンは昨日、先に眠ってしまった。
だから、知らないうちに自分とフィトの間に何かあったのではないかと焦っているのだ。
それならば、昨夜の出来事をリオンがやきもきするくらい、大げさに話せばいいのではないか。
――それだ。その作戦でいこう!
レオンは心の中でほくそ笑む。
あやしい笑みを浮かべ、リオンの肩にがばっと手をまわした。
「なっ、なんだよ兄さん。いきなり肩なんか組んで、気持ち悪いなぁ!?」
突然の兄の奇行に、リオンは露骨に嫌な顔をする。
魂胆が丸見えなのだ。どうせロク事を考えてないでしょ、とリオンは高を括る。
リオンはまだ知らない。
この兄の一言で、自分が珍しく動揺することになろうとは。
「……リオン。実は昨夜、お前が知らない秘密が出来ちまったんだよ」
「はっ……? 何だよそれ」
「言えないんだよなぁ、これが。俺とフィトだけの秘密、だからな?」
「はぁ? ただ怪我を治しただけって言ってたじゃないか! どういうことだよっ!」
「さぁなー?」
そう言ってレオンは勝ち誇ったように高笑いをし、弟を置いて走り去っていく。
それにしても『俺とフィトだけの秘密』は少々盛りすぎである。
よほど弟に言い負かされ続けたのが悔しかったのだろうか。
「ちょ、なんなんだよっ! 兄さん! 抜け駆けは許さないからね!?」
「お前に許してもらう筋合いねぇーよっ」
レオンは先ほど弟に言われた屁理屈の言い回しを、そっくりそのままお返ししてやる。
作戦通りリオンが焦りまくっているので、この上なく爽快なのだろう。
レオンは振り返り、んべ! と舌を出す。
「なっ……!? 僕に向かって減らず口なんざ、百万年早いんだよっ! このバカ兄!」
「あぁ!? 兄に対してなんだその生意気な態度は! このクソガキ!」
兄弟は喧嘩を勃発させ、追いかけっこをしながら取っ組み合いを始めた。
蝶々とお戯れになっていた能天気なフィト。そんなふたりに置いて行かれていることにやっと気付いた様子。
「なんでいきなり走ってるの!? 待ってよぉー!」と、慌ててふたりの後を追いかけるのであった。
***
「はぁ……はぁ……」
「ぜぇ……ぜぇ……」
追いかけっこと取っ組み合いを繰り広げたレオンとリオン。
ふたりは体力を使い果たし、草原の上に共倒れしていた。
「兄さんが走ったりするからっ……! 余計な体力、使ったじゃないかっ……!」
「人のせいにすんなっつの……! それにしても、はぁ……疲れたな……」
レオンとリオンは、ぐったりと原っぱに寝転がり、乱れた息を整えた。
草原の上を渡る風が、匂うように爽やかに感じられる。
「……はぁー! 気持ちいいなー! 冥界にいた時は、こんな世界があるなんて考えもしなかったからなぁ」
「そうだね。地上は本当にいいところだねぇ」
「ああ、そうだな。それにしても、今朝はあんなに濃かった霧はもうすっかり消えちまったな」
「そういえばそうだね。視界が悪くなるくらいに辺りが白かったのにねぇ」
先ほどまでいがみ合っていた兄弟は、そんなことをつぶやきながら青空を見つめた。
穏やかに過ぎていく時間はまるで、ゆっくりと空を流れる雲のようだ。
レオンとリオンが瞼を閉じ、風を感じていたその時。
「ねぇ~! ふたりとも、置いてかないでよぉ~……!」
黒髪少女が、息を切らしてふたりを追いかけてきた。
フィトの声が聞こえて、がばっと身体を起こすふたり。
ぱたぱたと懸命に走ってきたフィトは、やっと兄弟に追いついた。
「フィト、ごめんっ! 兄さんがケンカをふっかけてきたから、つい熱くなっちゃって!」
「置いて行ったつもりじゃなかったんだけど……ごめんな?」
フィトはぺたんと草の上に座り込む。
どうやら息が切れすぎて、話すのも困難なようだ。
「はひ……ふたりとも……走るの、早いんだもん……! 追いつけないよぉー……」
「ごめんごめん! 少し、休憩しよう!」
「そうだな。フィト、疲れさせて悪かったよ」
「んーん。だいじょうぶ、だよ! 久しぶりにこんなに走ったよぉ、はふぅ! ふたりは本当に仲良しなんだねぇ」
フィトはそう言って、楽しそうに笑って見せた。
「そうかぁ? こんなにいがみ合ってんだぞ?」
「そうそう! この間なんて酷かったよ。兄さんの、武勇伝らしからぬ、無勇伝がね……!」
「あぁ!? お前、なに話す気だ? しかも武勇伝ってなんだよ?」
「武勇伝は武勇伝だよ。まぁ、武勇伝ってのは優れた人の手柄話しだけどさ。兄さんのは、無様な勇気あふれる話しで『無勇伝』ね。お間違いなく~」
「なんだと!?」と怒るレオン。
そんな兄を横目に、リオンは薄ら笑いを浮かべながら面白おかしく話し始めた。
「……それがさ、門番の仕事が終わって僕が先に部屋に戻ったから、ちょっとイタズラを仕掛けたんだよ。そしたら兄さんがものの見事に引っかかってさぁ。よっぽど屈辱だったのか、ブチ切れちゃったんだよぉ。ちょっと遊んだだけなのに、冗談通じないよねぇ~?」
リオンは必死で笑いを堪えながら話している。
イライラするレオンを見て、かなり楽しんでいるご様子。
「あれは全面的にお前が悪いだろ! だいたい、あんな事されたら誰でも怒るっての!」
「リオン、イタズラって、何したの……?」
「ぷくく……! それはね……」
「もう、その話はいいだろ! 終わり!」
レオンはその一件には触れてほしくないようで、無理矢理話を切ろうとした。
ところが、話のオチを暴露したくてリオンはうずうずしている。
そう、この弟は、終わりと言われて黙って引き下がるようなタイプではないのだ。
兄の忠告を無視し、リオンはそのまま話し続けた。
「……実はね、女の子の人形を、逆さ刷りでドアにぶら下げておいたんだ。ドアを開けたら、ちょうど兄さんの顔の位置になるようにしてさ。そしたら……兄さんが戻ってきて、ドアを開けた瞬間、ぎゃああああああ! って物凄い叫び声を上げて失神しちゃったんだよ! ははははっ……! 泡まで吹いちゃって、思い出すだけでもおかしいっ……! あれ、本っ当に傑作だったなぁ!」
リオンは話し終えると、腹を抱えて笑い転げた。
「お腹痛い、お腹痛いよぉ~! 腹筋崩壊だよぉ~!」と、地面をばしばしと叩いている。
しかし次の瞬間。銀髪の頭に思い切りげんこつが落っこちて、リオンの顔面は地面にめり込んだ。
「……そろそろ行こうぜ。フィト、立てるか?」
「う、うん! 大丈夫だよ、ありがとう!」
差し伸べられたレオンの手を取り、フィトは立ち上がる。
スカートについた草を払っていると。リオンがもこもこと地面から顔を出した。
「ぶはっ! ……こんの馬鹿兄! 殺す気かよ!」
「可愛い弟に、そんな物騒な事するわけねーだろ?」
わざとらしい嫌味なセリフを吐くと、レオンはスタスタと歩いて行ってしまう。
顔が土まみれになったリオンは、ぺっぺっ! と、口に入った土を吐き出しながら兄を睨みつけた。
「可愛いなら思い切り殴るなっての! うう~、痛ったいなぁ、もう! 拳を岩武装するのは、いつも反則って言ってるのに!」
「岩武装? それも、魔法なの?」
「うーん、そうだねぇ。手に魔力を込めるって説明した方が正しいかな。簡単に言うと、手を岩でコーティングしてる感じかなぁ? まぁ、魔法の一種だね。だから殴られると、すっごく痛いんだよ……」
リオンはげんこつを食らった頭を擦りながら説明する。
「へえぇ。魔法にも、いろいろあるんだねぇ。とりあえず、暴力は良くないけど、いまのはリオンが悪いと思うなぁ」
フィトはそう言って、ポケットから純白のハンカチを取り出す。
そして、リオンの顔についた土をごしごしと拭いてくれた。
リオンは自分の顔に近付くフィトの顔にドキドキしながら、ただ身を任せて固まっていた。
「はい、綺麗になったよ! もう、あんまりレオンをからかって、怒らせちゃだめだよ?」
「う、うん……ごめん。ちょっと悪ふざけが過ぎたよ。フィト、ありがとう。 ……その、ハンカチ汚れちゃったね。ごめんよ……」
「そんなの気にしなくていいよぉ。ほら、レオンが待ってるから、行こう?」
少し離れたところで、立ち止まって腕組みをしていたレオン。
自分で弟の顔を土まみれにしたのだが、リオンにとっては思わぬ『ご褒美』になってしまった。
自分で蒔いた種だ、仕方ない……と思いながらも、フィトに顔を拭いてもらうリオンを見て、イラッとしてしまうレオンなのであった。




