第四話・紺碧の集落(3)
「ん……」
どうやら眠ってしまっていたようだ。
目覚めと同時に、キッチンから漂ってくる料理のいい香りが鼻をくすぐる。
「いいにおいだ……」と、夢見心地でその匂いに浸っていたくなったが、レオンはがばっと体を起こす。
あれほど寝るのはもったいないと思っていたのに、結局寝落ちてしまったようだ。
くそ、俺のバカ……! と、レオンは寝てしまった事を悔やむ。
いつの間にかリオンも眠ってしまったようで、まだソファに座ったまま寝息を立てている。
「目、覚めた?」
笑顔を浮かべ、フィトはレオンの隣にちょこんと腰かけた。
「ごめん。俺、寝ちゃってたんだな」
「ううん。門番のお仕事後だったし、疲れてたんだよね。ごめんね」
フィトは申し訳なさそうに、そう言う。
「気にすんなって。俺たちなら大丈夫だよ。それに、歩けなくなるほど案内してもらう約束だっただろ?」
「ふふふ、そうだったね!」
レオンがそう言うと、フィトは嬉しそうに笑顔を見せた。
嬉しそうなフィトの笑顔を見て、レオンは浮き立つような気持になる。
自分の感情になかなか素直になれないレオンだが、尻尾は隠し切れずにぴょこぴょこと動く。
「……よしっ! じゃあ、最後の仕上げをしよっかな! もうすぐゴハン出来るからね!」と言って立ち上がると、フィトはパタパタとキッチンに戻っていった。
「……あれ、兄さん、起きてたんだ?」
目を覚ましたリオンは、隣で大きな伸びをしている。
「俺もいま起きたところだけどな。いつの間にか寝ちゃったよ」
「うん。僕も食事が出来るまでフィトを見ていようと思ったんだけど、包丁の音がなんだか心地良くってさ」
「リオンもか? 実は、俺もなんだよな……」
レオンとリオンは顔を見合わせ、互いにふっと笑った。
兄弟で考えていることは一緒だったらしい。
なんだかんだ、似た者兄弟という事なのだろう。
「リオン、起きたんだね! もうすぐゴハンだよー!」
「うん! とーってもいいにおいがする! 食べるのが楽しみだなぁ~!」
リオンは鼻をすんすんと鳴らしてフィトの作る食事を心待ちにしている。
「そういえば、リオン、むにゃむにゃ寝言をしゃべってたけど、夢でも見ていたの?」
「えっ!? 僕、寝言なんか言ってた?」
リオンはフィトの言葉に驚く。
寝ていたので当然だが、自覚はない。
「時々ね? 何て言ってたのか、よくわからなかったけど……」
「リオン、お前、寝てるときは大抵寝言話してるぞ?」
兄レオンはさらりとそれを口にした。
それを聞いたリオンは口をぱくぱくさせている。
「うそでしょっ!? 兄さん! どうして教えてくれないんだよ!」
「いや、気にすることでもないかなぁーと思って」
「気にするよっ! あぁもう! いつも何しゃべってんだろ……」
よほど恥ずかしかったようで、耳まで真っ赤になるリオン。
顔を背け、ブツブツと何かひとりでつぶやいている。
シチューの鍋をかき回しながら兄弟の会話を聞いていたフィトはこっそりと、一人くすくす笑うのであった。
***
料理が出来るのを今か今かと、兄弟が待ち望んでいたその時。
レオンとリオンの犬耳がピクッと動いた。
「……なんだか、外が騒がしくないか?」
「うん、何だろう? ガタガタした音がだんだんこっちに近付いて来てるような……?」
フィトにその音は聞こえていないのか、特に気にしている様子はない。
仕上げのローストオニオンを鍋に入れ、満足そうに頷いている。
「……こんなもんかなっと。ふたりとも、出来たよっ! ゴハンに……」
そう言いかけて、言葉を止めるフィト。
フィトにも、先ほどレオンとリオンが聞こえた音が耳に届いたようだった。
黒髪少女は玄関の方に目をやると、はっとした顔を見せ、一気に蒼白になる。
玄関のドアに、明かりが差し込んでいる。
まさか……と思いたかったが、どうやら間違いないようだ。
「フィト? どうかしたの?」
青白い顔をするフィトを心配して、リオンが声をかける。
するとフィトは慌ててキッチンから出てきた。
「どうしよう! 叔母さんと叔父さんが、帰ってきちゃったみたい……!」
「ええっ!? それは大変だ、外に出た方がいいかな!?」
「いま出て行ったら、鉢合わせになっちゃう! もう叔母さんたちを乗せた馬車がそこまで来てるの! ほら、明かりが見えてる!」
フィトが指さした方に目をやると、確かに玄関に差し込む明かりが見える。
レオンとリオンはそれを見て目を見開く。
「さっきから聞こえてた騒がしい音は、馬車がこっちに向かって来ている音だったんだな。悪い、早く伝えるべきだった!」
「レオン、謝らないで。私がうかつだったの……ごめんね」
「誰だってこうなることは予測できなかったよ。しかしこの状況、どうする?」
「早くしないとこっちに来ちゃうよね!? どうしよう~!?」
解決策が見い出せず、慌てふためく三人。
リオンは隠れてやり過ごせないかと、隠れられそうな場所を探している。
フィトはしばし考えると「ふたりとも、ちょっとついて来て!」と、部屋の奥に向かった。
言われるまま、レオンとリオンはフィトについていく。
フィトは部屋の奥にある扉を開け、先に続く廊下に出る。廊下の角を曲がって進むと、木製の古い階段が見えてきた。
階段先の天井には四角い穴が開いており、上の部屋へと繋がっているようだった。
「……この階段を登った先に、私の部屋があるの。なんとか誤魔化してそっちに行くから、待っていてくれる……?」
フィトはそう言うと、階段の上を指さす。
「わかった。待ってるね。何も出来なくて、ごめん……」
「面目ない……力になれなくてごめんな?」
ふたりがフィトに向けてそう言った時。間髪入れずに玄関の方からガタガタと物音がした。
どうやら本当にフィトの叔母と叔父が帰って来たようだ。
「ふたりとも、だいじょーぶ! だから、そんな顔しないで。ね?」
そう短く言い残し、フィトは走って先ほどの部屋に戻っていった。
こんな時まで、フィトは笑顔だった。
そんなフィトの事が心配でならないレオンとリオン。
「フィト、大丈夫かなぁ……」
「……悪いことしたな。俺たちも浅はかだったよ。とりあえず、フィトが戻ってくるのを待とう」
ふたりは後ろ髪を引かれる思いで階段を登り、フィトの部屋に向かった。
***
フィトの部屋、と言われるそこは、いわゆる屋根裏部屋というものであった。
下の部屋と同様に、木で造られた小さなベッドや机が置いてある。
机の上にはガラスの器が置かれており、プルメリアの花が水に浮かべられていた。
リオンは部屋の中にあるロッキングチェアに興味を示した様子。
つんつん触ると、前後に椅子が揺れ動く。そして、そっと腰掛けてみる。
ゆらゆらと動く椅子の感覚に、こいつは楽しいや、とリオンは感心した。
椅子に揺られて、ほう、とリオンはため息をつく。
フィトの匂いがする。甘い、女の子の匂い。
初めて冥界で鼻を近づけたときに感じたプルメリアの花のような、とても清楚で優しい匂い。
その香りが、本当にフィトの部屋にいるのだということを実感させる。
そう思うと、急に気持ちが落ち着かなくなってくる。
それはレオンも同じようで、ぼーっと窓の外を見つめていた。
窓からは美しい月明かりが差し込み、部屋の中を照らしている。
明かりをつけずとも、月の光で十分に辺りは見えた。
屋根裏部屋はとても狭くて古びていたが、フィトが綺麗に使っているおかげできちんとして見えた。
レオンはフィトが見せた表情が気がかりだった。
一緒に暮らしている家族が帰って来ただけで、あそこまで青ざめた顔をするだろうか。
確かに、自分とリオンが一緒にいたから焦っていたのだとは思うのだが。
それにしても、あんなフィトの顔は初めて見る。
そんなことを考えながら心配していた矢先――。
ガンッ! と何かがぶつかるような、大きな音が下から聞こえてきた。
レオンとリオンは突然の物音に驚き、ビクッと飛び上がる。
「な、なんだ!? いまの音は!?」
「下の部屋から聞こえてきたよね!? なにかあったのかな……?」
ふたりは屋根裏部屋の床にはりつくような姿勢で床に耳を近付けてみる。
かすかだが、下の部屋での話し声が聞こえる。
耳をそばだてて、兄弟は話し声に聞き耳を立てた。




