第四話・紺碧の集落(2)✿挿絵✿
三人はしばらく海を眺めた後、フィトの家に向かう――。
フィトの家は先ほど海を見た岸壁の近くに建っており、歩いてすぐのところにあった。
案内していたフィトが「じゃじゃーんっ! ここが私の住んでるおうちだよ!」と、くるりと振り向いて言う。
フィトの家は、小さな庭に囲まれていた。プルメリアをはじめ、たくさんの花が咲き乱れている。
小作りながら畑もあり、野菜や果物が鮮やかな色の実をつけていた。
「わぁ~! 可愛いおうちだねぇ! お花がいっぱいだ!」
「えへへ。私、お花が大好きなんだぁ。だから、たくさん育ててるの! 畑の野菜と果物も、私が作ってるんだよ!」
「ほー! フィトは何でも出来るんだなぁ!」
レオンは自分で植物を育てるというフィトに感心して大きく頷く。フィトのお庭探検が楽しくて仕方がない犬耳兄弟は、ルンルン気分で庭の中を歩き回る。
すると――。リオンは金網で造られた小さな小屋を見つけた。好奇心旺盛なリオンは「ねぇねぇ! フィト! この小屋みたいなのは、なーに?」と、それを指差して目を輝かせる。
「それはね、鳥小屋だよ。中にいるトリを、私がお世話しているの!」
「トリって、ガルデニアにいたあのヘッポコドリみたいなやつ……?」
リオンは自分たちを小馬鹿にしくさった、あの忌々しいマヌケドリを思い浮かべていた。
あの時の恨みを思い出し、物凄いうへぇ顔をしている。
「ちがうよぉ。うちにいるコは、とーってもかわいいんだから!」
「そうなの!? どんな姿をしているのかな!? めっちゃ興味っ!」
リオンはそれを聞いて、わくわくと鳥小屋に近づく。
そして、金網の中をそっと覗き込む――。
そこには、三匹のまんまる生物がいた。まんまる生物はそれぞれ、白、ピンク、きみどり色をしている。
リンゴほどの小さな身体に、短い足。豆粒のような黄色いクチバシ。頭のてっぺんに、草の芽のようなものが生えている。
「なになにこいつ!? めちゃくちゃ可愛いんだけどっ!?」
「そうでしょ、そうでしょ!? うちのコ、かわいいでしょー!?」
まんまる生物は大興奮するリオンを見て、つぶらな瞳をぱちくりさせた。
首を傾げ、じーっとこちらを見ている。そして一声「おぉん」と、鳴いた。
「フィト! フィト! 鳴いたよ!? ひゃあぁ~! こいつ、本ッ当に可愛いなぁ~……!」
「そのコたちはね、オォンドリっていうんだよ! おぉん、おぉんって鳴くからなんだって!」
「へぇぇ、面白すぎっ! 不思議な生き物だなぁ~!」
リオンはどうやら、オォンドリの虜になったようだ。金網越しに、一生懸命に話しかけている。
そんな弟の姿を見て、可愛い生物と自分も戯れたい気持ちをぐっと抑えるレオン。フィトの前で、可愛い、可愛いとはしゃぐのは照れくさいと思っているのだ。
羨む視線を送りつつ、密かに癒される兄なのであった――。
***
気付けば水平線の向こうに太陽が沈み、辺りはオレンジ色に染まり始めていた。
時刻は間もなく、十七の刻になる――。
「わぁ! 兄さん、見て見て! 海がオレンジ色だーっ!」
「本当だ! すっげー綺麗だなぁー!」
レオンとリオンは、夕焼け色に染まる海に目を見開く。
完全に世界に入り込み、そのまま「ひゃっほー!」と、海の方に向かって走って行ってしまった。
夕暮れの海を見て大騒ぎする兄弟に、フィトは「もう~、しょうがないなぁ」と笑う。
そして一言「いいなぁ」と、ぽつりと呟くと、ふたりを残して先に家に入って行く――。
***
フィトは先に料理の下ごしらえをしておこうと思ったようだ。エプロンドレスに包んでいた野菜をテーブルに並べる。
「今日のメニューは♪ 野菜たっぷりシチューと♪ 蜂蜜パイなーうっ♪」と、フィトは鼻歌を歌いながら、準備を始めた。
幼い頃から家事や料理をして育ってきたため、どんな料理もお手の物なのだ。フィトは軽く下ごしらえを終わらせ、まだ外で遊んでいるレオンとリオンを呼びに出る――。
海の方へ向かうと――、珍妙な動きをするふたりの姿がそこにはあった。
犬耳兄弟は、なぜか飛び跳ねている。何をしているのかは不明だが、ぴょんぴょんとふたり同時に飛び跳ねているのだ。
少女はそんな兄弟の動きを不審に思いながら「レオン、リオン! そろそろゴハンの支度をするよー!」と声を掛けると、兄弟は慌ててこちらに走って来た。
「わっ! ごめんごめん! つい熱くなっちゃって!」
「ふたりで楽しそうに、何してたの~?」
フィトの問いかけにふたりは顔を見合わせると、苦笑いをする。
「いや……くだらないこと、だよな!」
「そうそう! しょうもないこと、だよ!」
笑って誤魔化し続ける兄弟に「ええー? そう言われると、余計に気になるよぉ」と、むくれるフィト。
そんな少女を見て、レオンとリオンは困ったように頭をかく。置いてけぼりにした上に、ふざけるのに夢中になってしまったのだ。フィトがむすっとするのも無理はないだろう。
気まずそうに口を開き「……本当にくだらないことだぞ?」と、念を押して言うレオン。
「どっちが高くジャンプ出来るか、勝負してたんだよ……」
しばし沈黙――。レオンもリオンも気恥ずかしいのか、腕組みをして斜め下を向いている。絶対に馬鹿にされると、ふたりが思っていると――。
フィトはよほど可笑しかったのか、突然ぷっと吹き出して「あははっ! 男の子って、おもしろいね! いいなぁ~楽しそうで!」と、ケラケラと笑い出した。
「……それで、どっちが勝ったの?」
「俺」
「僕だよ」
フィトの問いかけに、兄弟は同時に自分のことを指差して答える。どうやらふたりは、互いに自分が勝っていたと勝手に勝敗を決め込んでいたらしい――。
互いの発言にピクリと眉を動かし、無言のまま睨み合う。そして――そこから再び、兄弟喧嘩が勃発するのである。
「ちょっと兄さん! 僕の方が高く飛んでただろ!?」
「いやいやいや! お前のは、身長詐欺だ! ジャンプは俺の方が明らかに高かった!」
「なんだって? 僕の方が、身長も飛んだ高さも高かったね! 上から見れる僕が言うんだから、間違いないよ!」
「はっ、馬鹿言え! 俺の方が高いに決まってんだろ! 飛んだときは俺の方が目線が上になったんだからな! 嘘つくんじゃねーよ!」
ぎゃあぎゃあと言い合いを続けるふたり。このままでは、収集がつきそうにない――。
フィトはしばらくその様子をポカンと見つめていたが、そのまま兄弟を放って置くことに決めたらしい。「置いてっちゃうからねー?」と言い残し、フィトはすたすたと歩いて行ってしまった。
兄弟が気付いた時には、フィトの姿はそこにあらず――、またもや慌てて少女の事を追いかけるのであった。
***
寄り道や道草をしたせいで、ようやく家に入ったレオンとリオン。中に入るやいなや――そわそわと落ち着かず、きょろきょろとまわりを見回した。
家の中には木製のテーブルや椅子、本棚、ソファが置かれており、大きな振り子時計が印象的だった。
しかし――気のせいだろうか。どことなく綺麗に整頓され過ぎていて、あまり生活感がないように感じるのだ。
「ようこそいらっしゃいましたー! 適当に座っててね。まぁ、くつろいで!」
フィトに言われた通り、ふたりはソファにちょこんと腰かけたが、やはり落ち着かない。
((くつろげねぇよ……))と、ふたりは心の中でそう思うのであった。
それもそのはず。なにせ、レオンとリオンは女の子の家に入るのが初めてなのだ。
それも、とびきり可愛い人間の女の子。そして、ここは地上である。いろいろな事が頭を巡って、犬耳兄弟は緊張と興奮でどうにかなりそうだった。
「すぐにゴハン出来るから、待っててね!」
フィトはそう言うとテキパキと料理を始めた。ふたりはカウンター越しに、フィトの様子をちらちらと盗み見ては頬を染める。
座って少し落ち着いたのか「料理をしている女の子って、いいよね……」と、呟くリオン。手際よく調理をしているフィトを、熱のこもった眼差しで見つめている。
そんな弟のつぶやきに対し、俺だってそう思ってるっつーの、とレオンは負けじと思うのであった。
「兄さんもそう思うよね?」
「ふぁ?」
いきなり話を振られて動揺を隠せない声を出してしまった。
にっこりと笑みを浮かべるリオンの問いかけに「あぁ……」と、そっけなく返事をする。
この弟は、油断ならないのだ。優しそうな笑顔の下で、いつもとんでもない事を企てている。
今だって何を考えているのかさっぱりわからない。素直に可愛いフィトに対する、褒め言葉の同意を求めたいだけなのか。何か図っているのか――。わからないが、とにかく油断できない奴なのである。
しかし――。横にいる弟の表情を見て、レオンは気付く。いまのは、素直に同意を求める言葉だったのだ、という事に。
そこにあったのは、あまりにも幸せな顔をして、目を細めて笑う弟の姿――。
そんなリオンを見て、まぁ、今はきっとストレートに嬉しくて楽しいんだろうな……、とレオンも微笑むのであった。
***
ソファに座ってフィトの姿を眺めながら、レオンは今日の出来事を思い返していた。
初めて地上に来て、いろいろなものに触れて、可愛いフィトをたくさん見れた。こんなに楽しくて、わくわくしたのは初めてで。弟のこんなに幸せそうな顔を見たのも久しぶりで。なんていうか、不可抗力に感謝だな、とレオンは思う。
そんな事を考えているうちに、瞼が重たくなってきてしまう――。
思えば、冥界で門番の仕事をしてから休んでいなかったのだ。地上に来てとても楽しかった。けれど、それと同時に色々な事があって疲れは最高潮だ。
キッチンでは可愛い人間の女の子、フィトが自分たちの為に料理を作ってくれている。そんな姿を、ずっと見ていたい。そう、レオンは思っていた。
こんな風にフィトが料理するところを見られるのは、最初で最後かもしれない――。
もちろん、フィトとの約束は果たす。ハーデスに地上に遊びに行く許可をもらうために、提案はするつもりだ。ただ――、それが簡単に通るとは思えない。
そう考えると、この時間はとても貴重なものなのだ。フィトと長い時間を共にしたり、地上でフィトのいろんな姿を見る事は、もう出来ないかもしれないのだから。
だから、ここで眠ってしまいたくない――。レオンは懸命に睡魔に打ち勝とうとした。
ところが――、台所から聞こえてくる「トントントン……」という音がいやに心地よくて――。
その優しい音が、静かにレオンを夢の世界へ引き込んでいくのであった――。




