第四話・紺碧の集落(1)✿挿絵✿
ガルデニアの街を後にし、フィトの家がある集落に向かう三人――。
街の外れにあるという集落は、歩いて三十分といったところに位置する。
途中まではもと来た道を辿り、そこからまたひたすら草原の道を歩く。もと来た道も、集落に続く道も、どこまで歩いても広がるのは草原、草原、草原なのだが――。
そんな中――。リオンは広大な草原に少し飽き飽きしてきたようだ。
いくら初めての地上の景色だといっても、無理はないかもしれない。なにせ、この辺りはガルデニアの街以外に見えるものが何一つとしてないのだ。
もともと飽きっぽく、せっかちな性格のリオンには、この平坦な道のりがとても退屈に感じられた。
可愛いフィトと一緒にいられる事はとても嬉しい。だが――、好奇心旺盛なリオンは、せっかく地上に来たのだから、もっと心躍るような何かを見てみたい! などと、沸々と思っているのであった。
「ねぇ、フィト。この草原は、一体どこまで続いてるの? どこを見ても、終わりが見えないんだけど……」
「この草原はね、この島のどこまでも続いてるって、昔聞いたことがあるよ! 島の全部が豊かな草原に囲まれてるから、この島は『グラスランド』って呼ばれているんだって!」
「そうなのかー。ここは、本当に自然が豊かなんだなぁ」
弟と違い、兄のレオンはこの広大な自然を楽しんでいるようだ。うっとりと草原を眺め続けている。
フィトの言葉を聞いて「へ、へぇ~。どこまでも、かぁ……」と、改めてまわりを見渡すリオン。その後すぐに、懐中時計のチェーンを指に絡ませて手遊びを始めた。
フィトはそんなリオンの心境を見抜いていたようで「リオン、退屈させてごめんね。集落はもうすぐだからね」と、申し訳なさそうに言葉をかける。
「あっ! ごめん! そんな、退屈だなんて思わないよ! 僕はフィトと一緒にいられるだけで嬉しいからね!」
それを聞いたリオンは、慌てて弁明する。フィトに頭の中で思っていたことを見透かされ、焦っているのだった。
せっかく案内をしてくれている可愛い黒髪少女の前で、つまらなそうな素振りをしてしまったことを深く反省した様子。
その様子を見ていたレオンは「ざまぁ!」と、心の中で強く思うのであった。先ほどまでの弟に対する恨みを晴らしたように、清々しい顔をしている。
弟も弟だが、兄も兄である。まったく、兄弟そろっていい性格をしているのだった。
「ううん。本当にこの辺は何にもないところだから。私もね、ずっとガルデニアで生活していたから、外の世界のこと実はよく知らないの。だから時々考えるんだぁ。この草原のもっともっと先には、何があるのかなぁって。もっと広い世界を見てみたいなって、思うの」
フィトは遠くを見つめ、自分の思いを語る。
その表情からは夢見る少女――、というよりも何かを思い悩んでいるかのような、どことなく寂しさのようなものも感じられた。
「行こうと思えば、きっとどこにだって行けるさ。僕も今日初めて地上に来て、なんて綺麗なところなんだろうって感動した。もっといろんなものを見てみたいって思った。けれど、僕には……僕たちには冥界での役割があるからね。僕と兄さんには出来ないかもしれないけど、フィトは行こうと思えばきっとどこにだって行けるよ!」
リオンは、そんなフィトの思いを汲もうと言葉を掛ける。
それを聞いた少女は、嬉しそうにニッコリと笑う。
「うん、そうだね。ありがとう! でも、レオンとリオンもきっとまた地上に遊びに来れるよ! ハーデスおじぃちゃんに、お話するんでしょう?」
「ああ、そうだったね! もちろん! 説得してみせるさ!」
「そしたら、またこうして地上を案内してくれよな」
「うん! 約束ねっ!」
三人はそう言って笑い合う。
そして、間もなくフィトの住む集落に辿り着くのであった――。
***
「着いたよ! ここが、私の暮らしている集落だよーっ!」
フィトの暮らしている集落は、とても小さな村のようなところだった。
白と茶色のレンガ造りの家が十件ほど建っており、奥には雄大な海が広がっている。どうやらここは、陸の端に位置するようだ。
集落にもたくさんのプルメリアが咲いており、花は潮風に揺れながら美しく咲き誇っている――。
「ここがフィトの暮らしている集落かぁ。静かで良いところだねぇ~」
「ガルデニアの街とは違って、のどかなところだな。大きな街も賑やかで見ごたえがあって楽しかったけど、俺はこっちの落ち着いた雰囲気が好きだな」
「えへへ。何にもないところだけど、ゆっくり……出来ないかもしれないけど、ゆっくりしていってね!」
「フィト、気を遣わせてごめんな? だけど、何もなくなんてないだろ? こんなに綺麗で素敵なところなんだからさ。連れて来てくれてありがとな」
レオンはそう言って集落を見渡すと、穏やかな笑顔でフィトを見つめた。
今までに見たことがないくらい優しい顔でレオンに見つめられ「……うん、そうだね。ありがとう!」と、フィトも自然と微笑んだ。
三人がそんな話をしていると――。
後ろから「フィトちゃん、いま帰りかい?」と、誰かに声を掛けられる。振り向くと、そこには買い物カゴを持った老婆が立っていた。
その姿を見て「リザおばぁちゃん!」と、フィトが笑顔で手を振る。
どうやら、この老婆はリザおばあちゃんというらしい。そう呼ばれる人物は、にこやかにこちらに近付いて来た。
「こんにちは! お買いもの?」
「ああ、そうだよ。せっかくのお祭りだからねぇ。私も街に行ってきたんだ。でも、地震で騒ぎがあったみたいだけれど、大丈夫だったかい?」
「うん、私は大丈夫だったよ! リザおばぁちゃんは? なんともなかった?」
「もちろんさ! 老体でもこの通り、ピンピンしているよ!」
得意気にそう言うと、リザは高らかに笑う。フィトとリザが楽しそうに話している傍らで、レオンとリオンは固まっていた。
ふたりとも人見知りはしない方なのだが、突然のイベント発生にどうしたらいいのかわからない様子。
そんな兄弟に気付いていたリザは、フィトの隣で縮こまるふたりについて尋ねてくれた。
「おや、フィトちゃん、お客さんかい? 珍しいじゃないか」
「う、うん! そうなの! 遠くから、お祭りを見に来たんだって! さっき街で物凄く仲良くなってね! レオンとリオンっていうの!」
フィトはしどろもどろになりながらも説明する。この上なく不自然だが、これが素直なフィトの精一杯だった。
リザはフィトのおかしな様子に気付きつつも、それ以上は突っ込まずにいてくれるようだ。「そうかい、そうかい。何もないところだけれど、ゆっくりしておいき」と、歓迎して微笑んでくれる。
「「あ、ありがとうございますっ!」」
レオンとリオンは、声を揃えてそう言うと、がばっとお辞儀をした。
「素直ないい子たちじゃないか。フィトちゃんもやるねぇ。男の子をふたりも連れてくるなんて、隅に置けないよ。それで、どっちがボーイフレンドなんだい?」
「ちちちち違うよっ! ボーイフレンドだなんて、そんなんじゃないよっ!」
面白がって茶化すリザの言葉に、顔を真っ赤にして首を横に振るフィト。
「あっはっは! 冗談だよ、冗談。ババージョークってやつさ!」
「ううう……おばぁちゃんったら……」
もじもじと恥ずかしがるフィトに、リザは笑ってウインクを飛ばして見せた。
その様子を見て、レオンとリオンはポリポリと頭をかく。
「それにしても、仮装したままこっちに来るなんて、よっぽど祭りが楽しかったんだねぇ。その耳と尻尾、良くできているじゃないか。すごく良い腕をした職人が作ったんだろうね」
リザは、レオンとリオンの耳と尻尾をまじまじと見つめて言った。
それを聞いて、リオンは不思議そうに言葉を返す。
「おばあさん。これは作り物じゃなくて、本物だよ?」
「あっはっは! 何を言ってるんだい、年寄りをからかうもんじゃないよ!」
「でも……」
リオンが喋ろうとするのを、レオンは静止する。察しが良い兄は、ここは何も言わずに黙っているべきだと悟ったのだろう。
リオンはそれを汲み取ったようで、笑顔で「たはは、ジョークですよぉ」と、おどけて見せた。
リザはそれを聞いて「こりゃ一本取られたねぇ!」と、楽しそうに笑う。
犬耳弟と老婆のやり取りの真意が全く読めないフィトは、わけが分からずに一人で首を傾げていたのだが――。
「あ、そうそう。フィトちゃん、街の市場で野菜をたくさんおまけして貰えたから、おすそわけだよ」
リザは買い物カゴから色鮮やかな野菜を取り出し、フィトに手渡した。
「わぁ~! こんなにたくさん! いいの?」
「もちろんさ。これで美味しいものでもご馳走しておやり」
「えへへ。リザおばぁちゃん、ありがとう!」
「礼には及ばないよ。……それじゃ、またねぇ」
リザはそう言って三人に手を振ると、自分の家へ帰っていった。
両手いっぱいに野菜を抱えて「わーい! たくさんもらっちゃった! せっかくだから、今日はもらったお野菜、使っちゃお!」と、フィトは嬉しそうに笑う。
レオンとリオンは、先程のリザの話が気になっていた。地上の生態系というものは、怪物のレオンとリオンにとって謎多きものだ。まさか怪物が地上にいるなんて事は――、ないだろう。
つまり、この見た目は地上の人間にとって、普通はあり得ないものなのだ。
人間のフィトが自分たちを普通に受け入れてくれている事で、そんな風に考えもしなかった。リオンは念のため、フィトに気になったことを聞いてみる。
「フィト。地上ではやっぱりこの見た目、おかしいのかな……?」
「えっ? どうして?」
リオンの言葉にきょとんとするフィト。兄弟は顔を見合わせ、話しを続ける。
「ほら、さっきリザおばあさんが言ってたことが気になったからさ」
「俺たちみたいな見た目の種族は、地上にはいないだろうからなぁ。普通に地上をうろうろしちまったけど、うかつだったと思って」
「うん。今日がお祭りで助かったかも」
そんな兄弟の話を聞いて、フィトは不思議そうに言葉を返す。
「うーん? 確かに、本当に耳や尻尾がついた人はいないけど……そんなにおかしな事でもないと思うんだけどなぁ?」
「フィトは、小さい頃から僕たちと一緒にいるからねぇ。不思議慣れしてるんだよ、きっと」
「まぁ、騒ぎにならなくてよかったよな。仮装文化のおかげで、上手く誤魔化せたってわけだ」
きっと正体がバレない限り、騒ぎになる事もないだろう。
もっとも、仮装文化があるくらいなのだから、不審に思われることはないのかもしれないが。
「あ! 耳と尻尾のある生き物なら、たくさんいるんだよ!? 犬とか~、猫とか! それ以外にも地上には動物がたくさんいるもん!」
「そ、そうか……」
「動物……ね」
「ふたりとも、ヘンじゃないよ! 私が保証するっ! それに地上にはね、精霊様も住んでるんだもん! だからね、もっといろんな生き物がいてもおかしくないと思うの!」
そう真剣に話すフィト。きっと自分たちを安心させようとしてくれているのだろう――。
ふたりは、そんなフィトの優しさがとても嬉しかった。動物と同列で例えられるのは、何となく違和感がある気もするが――。
***
「ねえねえ、ふたりとも! ちょっとこっちに来てみてー!」
フィトは楽しそうに走り出すと、兄弟を手招きをして呼んだ。
長いエプロンドレスを片手で持ち上げ、そこに野菜を入れながら少女は器用に走って行く。持ち上げているのはエプロンの部分なので、素足はさらけ出されていないのだが。
底抜けの明るさと、マイペース。この少女は、本当に歩けなくなるくらいに地上を案内する気なのだろう。
悩むくらいなら純粋に最後まで地上を楽しもうと、レオンとリオンはそう決めた。フィトの呼ぶ方に、兄弟も走って向かう。
そして、そこで見た景色にレオンとリオンは目を奪われた――。
「わぁ……! すごい……!」
「おおーっ! すっげーなー!」
どこまでも続く、青い海――。
太陽の光が映し出されたその景色は、青い宝石のようにきらきらと輝き、息をのむほどに明るく美しい。
足元は低い断崖になっており、寄せては返す波が音を立てて打ち寄せている。
「……これはね、海だよ。すごく、綺麗でしょう? 私ね、この景色を、ふたりに見せたかったの。ここはね、この街で一番好きな場所なんだぁ」
海風になびく長い黒髪を指に絡ませながら、フィトは笑顔を見せる。その姿は、いつものあどけない可愛さと違って艶やかな美しさを感じさせた。
そんなフィトを見ていると、レオンとリオンは鼓動の高鳴りを感じてしまう――。
「海かぁ……。冥界の本で読んだ物語にも出てきたっけ。でも、ここまで美しいなんて想像もつかなかった。本当に、綺麗だね。吸い込まれそうだよ……」
「えへへ。喜んでくれてよかった!」
フィトはとても嬉しそうだ。ニコニコとふたりの顔を眺めている。そんなフィトの視線に耐えられず、レオンは顔をそらした。
自分もこんな時、弟のように気の利いた言葉のひとつやふたつ、自然と言えたらいいのに――。レオンはそんな風に自分の口下手さと性分を、もどかしく思うのであった。
真っ青な空が、紺碧の海との境界線を曖昧に魅せて、本当に吸い込まれてしまいそうだ。
三人はそれぞれの感情に浸りながら、しばらく煌めく海を見つめていた――。




