3話 縁
エリルに支えられるようにして歩くこと数分。こちらに走ってきていた初老の男性と遭遇した。
「エリル様、ご無事ですか?何やらものすごい音が聞こえてきましたが……」
言葉を切る初老の男性。俺とエリルの格好を見て何事かあったことを悟ったようだ。
「話は後でゆっくりするわ、馬車は?」
エリルが聞き返すとご案内します、と言って男が空いている方の肩(もう片方はエリルが支えてくれている)を支えながら案内をしてくれた。情けないことに体力が限界を迎えているらしく、俺は意識を保つことで精いっぱいだった。
こんなに力を使ったの、生まれて初めてだから。
ほどなく立派な馬車が見えてきた。実物見るの初めてだわ。馬が一頭、退屈そうに待っている。
どうぞ、と言われ車に乗り込んだ。向かい合うように椅子がある。片方に2人ずつの4人乗りといったところだろうか。
奥から詰めるように、進行方向を向いて座った俺の隣にエリルが腰を下ろした。
こうして近くにいると、いい匂いがする。香水、だろうか。
水色の髪、髪型はボブ、かな。前髪は切りそろえられている。ぱっつんではなく、なんというかさらっとした感じだ。
全体的にふわっとした優し気な雰囲気が伝わる女の子。近くで見ると、年は同じくらいのように思える。
出発します、と穏やかな声が男性から発せられる。
ゆっくりと、馬車が動き始める。
眠い。とにかく眠い。疲れた。
「~~~~~~~~~~?」
エリルが何事か話しかけてきたが俺の気力はもう限界を超えていた。ミノタウロスとかいう怪物といきなりご対面し、命をかけた
戦いをしたのだ。地球で暮らしていた18年分を凝縮しても、先ほどの数分間の戦いのほうが濃い時間だったはずだ。
瞼が重い。閉じられ、そして俺は眠った。
☆
改めてお礼を述べようとしたところ、彼は眠りについてしまった。無理もない。あれほどの戦いを繰り広げたのだ。
ミノタウロス。Aランクの魔物。
本来であればこのような市街地に近い森にいるはずのない存在。
なぜこのようなところに?その問が先ほどからずっと彼女の頭の中では浮かんでは消えていた。考えてもわからないことだ。
だが一つはっきりとしていることがある。それは今、隣で静かに寝息を立ている彼がいなければ私は死んでいたということ。
彼を見やる。髪も瞳の色も黒かった。彼女はそのような髪や瞳の色を見たことがなかった。髪や瞳は本人の持つ『属性』により色がつく。火なら赤。水なら青。土なら橙色。
そもそも彼はなぜあの聖堂にいたのか。そこで何をしていたのか。聞きたい事は山ほどあれど聞くべき相手は眠っているため問いかけたところで答えは返ってこないだろう。
とりあえずは彼を家まで送るべきだと判断しこの馬車に乗せた。
分かっていることは、彼が恐るべき力を持っている、ということ。あれは、魔法ではない。魔力を探知できなかった。
しかしだとしたら、何だというのだろう。分からなかった。学校の同級生と比べてかなり本を読んでいる方だが、本の中ですらあのような力が記されている項目など見たことがなかった。いや……。
ひとつだけ、心当たりがある。あれは、確か創世記だったか。だいぶ昔に読んだため記憶がうろ覚えだったが、その本の最終章の文言だけははっきりと覚えていた。
『再び世界に乱世が訪れるとき、未だ見ぬ力を持ちし者、世を平定せん』
創世記の最終章は、伝説の賢者と謳われた偉大なる魔法使いの予言の章だ。
謎多き青年だが、悪意は感じなかった。何より私の命の恩人である。家に連れ帰るのに問題はないと判断した。
お父様とお母さまに今日会ったことを説明したら、すごく怒られるだろうな、と考えているうちにエリルもまた眠ってしまった。
☆
まぶしい。強烈な光を感じる。手を目元に持ってきてごしごしとこするようにしながら少しずつ目を開いていく。
まず目に入ったのは天井。屋内か。少し顔を上に向けると窓。カーテンが引かれていないので太陽の光が直に俺の顔に当たっている。
そこで自分がベッドに横たわっていることに気付いた。布団を払い上半身を起こす。
周囲を見回してみたが人の姿はない。ここはどこだろう。記憶を辿ったがエリルと馬車に乗ったところまでしか覚えていない。
となれば、考えられる候補はエリルの家か病院のどちらかだろう。
コンコン、とドアをたたく音がしたのでそちらを向く。
ほどなくドアがゆっくりと開かれた。顔を出したのはエリルだった。
「お目覚めでしたか。体の具合はいかがですか?」
「痛いところは特にないです」
若干腕が筋肉痛気味なことを除けば、俺の体にはダメージは残っていない。
こちらに近づいてきたエリルは服を着替えていた。あと石鹸のにおいがする。風呂に入ったのか。
「それは何よりです。もし、よければお風呂に入りませんか?準備は整っております」
それは助かる。実は自分の汗の匂いがしたのでお風呂入りたいな、と思ったところだった。
「お言葉に甘えさせてもらいます」
ベッドから降りる。こちらへ、とエリルが案内してくれる。その様子を見ながらここはエリルの家なのだろう、とあたりをつける。
病院なら看護師が来てくれるはずだ。
しばらくエリルの背を見ながら歩く。広い。この家、すっげぇ広い。1人で歩いてた迷子になりそうなレベルだ。
「こちらです」
手で示した先が浴場のようだ。バスタオルとか着替えは用意してくれているとのことだったので礼を述べて浴場へと進む。
きれいで、広い浴場だった。大浴場のイメージだろうか。ライオン?の口からガーーーっと水が出てくるやつはなかった。
シャンプーとボディーソーがあったので使わせてもらった。
湯に浸かる。ああぁ、目覚めるわ。地球にいた頃も眠気覚ましの為に朝風呂してたっけなぁ、と回想する。
あまり人を待たせるのも悪いと思い俺は早めに湯から上がりタオルで体を拭いて用意された服を着た。バスローブだ。
浴室を出ると初老の男性が立っていた。馬車を操っていたおじさまだ。
「休まれましたかな?」
穏やかな声音で聞かれたのではい、と答えた。
「皆さまがお待ちです」
言って男が歩き出す。ついて来いってことだよな。
「皆さま、ってどなたたちですか?」
「旦那様と奥さまです。エリルお嬢様のご両親でございます」
おお……。なるほどね、いや、まぁそりゃ、そうなる、のかな。なんだろうこの緊張感。
バスローブという格好は、失礼ではないか?でも俺がさっきまで来ていた学ランは今洗濯中(初老の男に聞いた)だし。
大きな扉の前で男性が立ち止まった。こちらです、と言って扉に手を向けた。
そのままコンコン、と扉を鳴らす。中からどうぞ、と声が返ってきてから男性が扉を開けた。
そのまま俺の背中に手を回し、お入りください、と言われたので俺はそれに従って部屋へと足を踏み入れた。
☆
長机が一つ。机を挟むように椅子が片側長辺にに5脚ずつ。短辺に一脚。いわゆるお誕生日席だ。
3人が席についていた。言われなくても主の席に座るのがエリルの父親で、俺から向かって左に座るのがエリルの母親、その対面に座っているのがエリルだ。
エリルが席を立ち、自分の椅子を少し引いた。ここに座れ、ってことだな、了解。
俺はできるだけ物音を立てないように席へと歩いた。何か言ってから座った方がいい、よな。えっと、うまい言葉が出てこない。
俺の口から言葉が出る前にエリルの父親が席を手のひらで指しながらどうぞ、と言ってくれたので失礼します、と言いながら座った。
父親が目線で初老の男性に合図を送る。すると料理が運ばれてきた。見たところ朝食。
料理の運び込みが終わったところで、エリルの父親が話し始めた。
「初めまして。エリルの父親のグレイ・リピローグです。彼女は妻のモナです」
紹介された母親はゆっくりと頭を下げた。エリルは母親似だな。母親のほうは柔らかい雰囲気だ。父親のほうは、穏やかな態度を取っているが、こちらの正体を探るような鋭い眼光をしている。
「私はユキ・クモトリと申します。お邪魔しています」
まっすぐにエリルの父親、グレイを見据えながら自己紹介を返した。何も正体を探りたいのは相手だけではない。こちらも同じだ。
油断するな、と自分に言い聞かせる。俺はこの世界のことを何一つとして知らない。エリルが何者なのかももちろんそうだ。
こうやって歓迎する振りをして、何かこちらに害を及ぼそうとしていることだってあり得ないわけではない。
無知。それはどうしようもない。ならば知識を得るまでは何事も疑ってかかるべきだ。
歓迎されていないのなら、この場に留まるべきではない。
そこまで考えたところでふっとグレイが力を抜くように笑った。
「?」
何だ、油断を誘っている、のか?
「いやはや、失礼した。君が何者なのか見極めようと思ったのだがね、うん、何も分からなかった」
ははは、と爽やかに笑うグレイ氏。彼をまぁ、と言って目を細めて笑うモナ氏。そして、俺とグレイ氏をちらちらと見やるエリル。
「心配しなくとも、取って食ったりはしないよ。いや、正確には出来ない、と言ったほうが正しいね。話は娘のエリルから聞いたよ。
ミノタウロスを倒した、と。俄かには信じられない話だが娘が嘘をつく理由もない。内容を聞けば分かる。君がいなければ娘は死んでいた。まずそのことに礼を言わせてほしい」
そういってグレイ氏は深々と頭を下げた。それに倣うようにモナ氏も頭を下げる。
2人とも40代後半くらいだろう。そんな大人に頭を下げられれるなんて今までの人生で経験したことがない俺はどうしたらいいのか分からない。とりあえず居心地が悪い。
「顔を上げてください。俺も、エリルが居なかったらどうなっていたか分かりません。あの時は生き延びることに必死だったので。何というか、やれることをやっただけです」
その言葉に嘘はなかった。俺だってエリルがいなかったらどうなっていたか。倒せはしなかっただろう。逃げきれただろうか。
厳しいかもしれない。逃げるということは相手に背を向けるということ。力を最大限使ってなんとか逃げ切れたかどうか、
というところだろうか。
2人が顔を上げてこちらを見つめてくる。その顔は、娘が無事に帰ってきたことを喜ぶ両親の顔だった。
「お礼、と言ってはなんだが、我々に出来ることは何かないかな?ああ、すまない、食べながら話そうか」
グレイ氏の話の途中で俺の腹が高らかに空腹を告げた。恥ずかしい。昼飯食い損ねてたから仕方ない。
感謝を。グレイ氏が言うとモナ氏とエリルが目を瞑る。いただきます、的なやつか。俺も2人に倣って目を瞑る。
いただきます、と心の中で言う。
目を開くとグレイ氏が穏やかな笑みでこちらを見ていた。
☆
朝食での会話はまず俺の素性の話となった。当然聞かれるだろうと思っていた話なのでそれに対する俺の答えはすでに決まっていた。
「実は、記憶がはっきりしないのです。聖堂にいる以前の記憶がなくて」
申し訳なさそうな顔をして、俺は言った。実際この世界での記憶はそこから始まるのだから嘘ではない。異世界から来ました、と言って彼らが信じてくれるかも定かではない現状、こう答えるのがベストなように感じだ。無論怪しさ満点だけど、そこは仕方ない。
「あなたがそういうのなら、そういうことなのでしょう」
穏やかな表情でグレイ氏が言った。その表情に厳しさも、疑るような感情も見受けられなかった。
「何か困っていることはないのかい?」
一通り朝食を食べ終えたところでグレイ氏に尋ねられた。
「えーっと」
困っていることだらけです、とは言えない。おそらくこの世界で流通している貨幣は俺が所有している紙幣や硬貨とは違うはず。
つまり俺、文無し。そして宿無し。更にこの世界の知識無し。無し無しパレード。
やるべきことはたくさんある。しかし今の俺が最優先でやるべきことは一つだ。
「働き先、を探しています」
お金を稼ぐ。これだ。お金がなければ何も始まらない。お金があれば寝床を確保できる。食料だって確保できる。
「失礼だが、君の年齢を教えてくれないか」
「18です」
ふむ、とグレイ氏が顎をさする。
「君と同じくらいの年の子の多くは学生という身分だ。そうでない者は家業の手伝いをしているのだろうが、それでも一般的に多くの君と同世代の子は学校に通っている。記憶喪失、と言ったね。それは君自身に関すること以外、全て忘れているということなのだろう?」
つまり、グレイ氏は俺は働くべきではなく学ぶべき、だと言いたいのだろうか。そりゃ、もちろん俺だって学ぶ機会は手が出るほど欲している。しかしそんな悠長なことを言っていられないのも事実だ。いつまでもこの家に厄介になるわけにもいかないのだから。
「もちろん、学校に通いたいという気持ちもあります。ですが、今の私にはお金がありません。住む家も。まずはそれらを確保する必要があると思っているのです。だからー」
俺の言葉を制するようにグレイ氏が右手を俺の前にかざす。
「ならばなぜ私を頼らない?」
え?
「私は言ったはずだ。困っていることはないか、と。そう聞いたはずだよ、君に」
確かに聞かれたけど、今日会ったばかりの相手に頼めることとそうでないことがある。
「君は遠慮しているのだろうが、気にする必要はない。なぜなら君がしてくれたことは何にも代えがたいことなのだから。私の、私たちの一番大事なものを君は救ってくれた。それは何にも代えがたい恩なのだよ」
一番大事なもの。そう言ったときグレイ氏はエリルのほうをちらっと見た。
娘の命。それは親にとって何にも代えがたいもの、なのだろう。ふと父親と、俺が小学生のころに家を出て行った母親の姿を思い描いた。
父親は、俺に関心がなさそうな感じだった。たぶん、自分自身にも興味がなかったのではないか。今となっては分からない。
母親は、他に男を作って家を出て行った。思えば父親が無関心を決め込むようになったのは、母親が出て行ってからだった。信じる者に裏切られた男は、これ以上傷つかないために無関心を決め込んだ、そんな感じだったのだろうか。
「家がない、と言ったね。ならばここに住むといい。君が帰る家を見つけるまで、ここが君の家だ。食事ももちろん出そう」
俺が言葉を紡ぐ前にグレイ氏が続けた。これは私の好きでやることだから、と。好きでやることだから気にするなと。
そこまで言われて、言ってもらって断れるほど俺に余裕はない。
俺は頭を下げて礼を言った。
☆
それからグレイ氏は出かける、と言って家を出ていき、モナ氏もやることがあるということで食堂を出て行った。
「ユキ様、これから何かご予定はありますか?」
にこっと、微笑とともにエリルが聞いてくる。っていうか、様?
「いや、特にないです、っていうか様付けはちょっと……」
「嫌ですか?」
「いや、嫌ってわけじゃないけど」
同い年くらいの女性に様付けされたことのない俺は嫌悪感というより戸惑っていた。照れくさい、というか。
「敬意を抱く相手に、敬語を使うのはおかしいことでしょうか」
少しだけ落ち込むようなそぶりを見せたエリルに俺は慌てて言葉を掛ける。
「いや、おかしいってことは、ないと思います、エリルさん」
俺の言葉にエリルの頬が膨れる。
「え、何かまずいこと言いましたか?」
そういった俺にふるふると首を横に振りながら彼女は答えた。
「あの時はエリル、と呼んでくれたではないですか」
あの時っていうとミノタウロスを前にして、エリルが戦意を失っていた時のことだろう。言葉に気を遣う余裕など
なかったからな。
「ユキ様は、もっと堂々とした口調のほうが似合っています!」
似合っているって……。もしかして俺の慣れない丁寧語が気に障ったのかな。
「えっと、じゃぁ。そのエリル、と呼ぶよ」
「はい。1つ言えば、この世界で物を言うのは『強さ』です。もちろん地位も影響してきますが、それよりも力を持つ者、強者
は何よりも敬意を表されます」
弱肉強食、という言葉が浮かんだ。力が者を言う世界、ということか。
「事実、強力な力を持ち、武勲を打ち立てた者は平民出身であっても爵位を与えられることもあります。
逆に言えば、地位だけ高く力の無い者は、喰われます。強者に」
喰われる、というのは比喩表現だろうが、力があれば地位を手に入れられる、というのは分かりやすくて良いな。
まぁ、高い地位まで上り詰めた者は何かしらに秀でているはずだからおいそれと喰われたりすることはないのだろうが。
さて、とエリルが立ち上がる。
「何もないのなら買い物に出かけませんか?」
「行きたいのはやまやまだけど、お金がないんだ……」
かっこ悪い。今まで人生で吐き捨ててきたどの言葉よりもかっこ悪い。でもちゃんと言っておかなきゃな。
「お金のことなら気になさらないでください」
「いや、それは気にするよ」
ここでまじで!やったー、と言えるほどは図太くない。
「うう~ん」
手を顎に当てて首を傾げる、それだけの動作なのにかわいい。目はぱっちり二重で肌もきめが細かく、そして白い。
今まで出会ったすべての女性の中で一番綺麗だな。恥ずかしくて口に出せないけどさ。
「それなら、お金をお貸しする、ということでどうでしょうか?返してもらうのはいつでも構いませんから」
うぅん、そこまで言ってもらえると断るのも申し訳ない気がしてきた。買いたいものはいくつかある。
まず服。洗ってくれているそうだがミノタウロスとの戦いで結構擦り切れていた。
着れないことはないがかなり見栄えが悪い。第一印象が相手に与える影響は大きいと聞くし、服はちゃんとしたものを一着手に入れておきたい。
それと、武器。あんな危ない怪物がいるこの世界で丸腰で歩くのはさすがに怖すぎる。思い出しただけでも恐怖が蘇る。
他にも店を見て回っていたらほしい物が出てくるだろう。でも無駄遣いは禁止だな。貸してくれるといってもそれはエリルのお金であって俺のお金ではない。当然返すが返済する額は少ないに越したことはないし。
「そこまで言ってもらえるなら、うん、買い物連れて行ってくれ」
こうして俺の一日が始まった。