俺は『神影』に忠誠を誓った覚えはないよ
一面に広がるのは、闇。
視界を遮るものはない。
どこまでも続く闇色の世界に歩む足が躊躇する。
――――この道は本当に正しいのか?
問いかけに応える声は――……
――――ない……。
序章『……俺は『神影』に忠誠を誓った覚えはないよ』
夜空はとても澄んでいた。
一面には星が瞬いている。その中でも一際輝くのは静かに強い光を放つ満月。
月は地上に佇む一つの影を照らしていた。
月の光を受けとめた影は、ちらりと空を一瞥する。
それから一つ息をつくと、ひっそりとした竹林の中へと足を踏み入れていった――……。
竹林の中に足を踏み入れた青年――、藤真悠夜は辺りの様子を伺う。
静寂に包まれた闇夜の中に耳を澄ませ、気配を探る。そして不意に顔を上げると、ゆっくりと体の向きを変えた。
見えるのは奥深く続く暗黒の竹林―――……。悠夜はその暗闇に向かって声をかけた。
「いつまで逃げているつもりだ。そろそろ終わりにしよう」
投げ掛けられた言葉に竹林の奥で何かが動く気配がした。気配と同時に伝わってきたのは、――――殺気。
悠夜はその殺気に顔色一つ変えず、定まった一点を真っ直ぐに見据える。視線の先から現われたのは鋭い眼光を放つ男だった。
尋常ではない殺気。それはあまりにまがまがしいものだった。
人間の持つものとは違う。もっと野生的な、獣に近い殺気。興奮している男が荒々しく叫んだ。
「おまえ、『神影』の者かっ!!」
藤真悠夜はその言葉に沈黙で答える。沈黙を肯定と理解した男は途端にガタガタと震えだした。そんな男とは対照に悠夜は静かに口を開く。
「『妖影』を狩るのが俺の仕事だ。だからあなたを見逃すことはできない」
口調は穏やかだが、その先に見えるのは――……絶望。
『このままでは確実に殺られる』
男は頭では十分に分かっていたが足が竦んで動けずにいた。力の差は歴然だった。ここまで逃げて来るのがやっとだったのだ。
勝てる可能性は――ない。本能で分かる。それこそ人間には乏しい野生の本能で。
……だが、やっと手に入れた人の体――……。
このまま、
このまま易々と封じられてなるものか!!
男は己の欲望を手離したくない一心で奇声をあげながら悠夜に襲いかかった。
「『神影』の犬がーっ!!」
瞬間――、閃光が走った。
……眩しい閃光の後、そこに残ったのは静寂と暗闇と、一人の青年の影――。何事もなかったかのように藤真悠夜は闇夜の竹林の中に立っていた。
そして、ずっと変わらない、感情の読み取りにくい表情のまま小さく呟く。
「……俺は『神影』に忠誠を誓った覚えはないよ」
青年は再び、闇空に浮かぶ月を見上げた―――……。
****
影は、光を求める――――。
影は、
『命』の輝きに吸い寄せられる。
『命』の鼓動を渇望し近づいてくる。
それらは花であり、虫であり、動物であり、――そして人間だったりする。あらゆる『命』を持つものの魂に惹かれて、影は近づいてくる。その輝きを奪うために――。
影は、実体をもたない。
普通の人間に見えることはない。遠い昔、『妖怪』としてその存在がまだ人間達に認知されていた頃、影は人によって名をつけられた。
妖怪だが、実体のない影。
『妖影』、と。
妖怪・妖影は心の隙をついて宿主の体を乗っ取る。その中でも、知能の高い人間はよく狙われた。
人間ほど知能が高く、そして心の弱い生きものはいないからだ。何千年の時が過ぎようとも変わることのない、弱く、脆く、儚く、愚かな、人の心。
人に心がある限り、妖影は存在する。
断ち切る術はない――……。
長い時間の流れの中で、時代も随分と変わってしまった。今や『妖影』を表社会で追うことはできなくなっていた。
今の人間は昔とは違い、「目に視えないもの」の存在は否定し、受け入れない気質がある。
その為、裏でそういった『視えないもの』を一手に引き受ける組織がある。それが。
神影一門。
遡れば妖影を狩ることを生業にしていた時代から続く、歴史ある一族。現代では表社会にも精通し、裏社会も知り尽くしている巨大組織。
どれだけの人間がこの一門の実体を把握しているのか、知る由もない――……。




