田庭の里と田庭姓
田舎は特に多いと思うが、『この集落は殆どが○○さん』という所がある。私の住む街にもそういう集落が幾つもある。時代を経るにつれてその『○○さん率』は低くなってくるようではあるが……。
このような『この集落は殆どが○○さん』の『○○さん』の姓はどのようにしてそうなるのか? これには無数のパターンがありそうだが、地元の地名や俗称から来るものは無いだろうか。鈴木や佐藤といった圧倒的多数を占める名は地名とは関係無さそうだが、少々珍しい名前になら地名に関係するものも在りそうではある。
丹波という人は結構多いと思う。地名を意識せずにそう名乗り始めたという人は居ただろうか? 社会的に地位の高かった者以外の庶民が姓を名乗る事を許された時、何を考えて自分の姓としたのか。住んでいる土地の地形もあったろうし、それとは関係なくその人の趣味趣向であったかも知れない。
丹波という場所があると知らずにこれを名乗った人はかなり少ないのでは無いだろうか。ここで言っているのはもしこれを読んでいるあなたが丹波さんであったなら、あなたの家、丹波家の祖先、最初の『丹波さん』の話である。あなた自身が丹波という場所を知らなかったとしてもそれは関係がない。
冒頭に書いたとおり、丹波、丹後地方は古代に『田庭』と呼ばれていたらしい。この字面、何ともシンプルで『田』、『庭』という非常に身近なものの組み合わせだ。『庭なんて無い!』という方も大勢居るだろうが、とりあえず見かける事はよくある。ちなみに我が家にも『庭』は無い。
この『田庭』を自分の姓にした人はどれだけいるのだろう?
私の身の回り、京丹後市に昔――少なくとも大正以前――から住んでいる人で『田庭さん』は、かなりの確率で、居ない。昭和になってこちらに移り住んできたという田庭さんはある。しかしそれ以外はまず聞いた事が無い。街のPRに登場する事もある古の名、『田庭』と同じ姓を持つならきっとこの土地の人の中の記憶に残りやすい筈だが、さっぱり聞かない。田庭を名乗ろうと思った人は皆無だったのか? 新市名の公募に『田庭市』が上位にくる程であるというのに……?
『田庭』と呼ばれたという地域は京丹後市だけではなく他の京都府北部地域や兵庫県の中部北部もその範囲に含まれていた様なので、そちらには『田庭さん』が居るかもしれない。地名由来の、という話であり全国的にはある名前だとは認識している。このシンプルな字面にしては極めて少ないと言えそうだが。
さて、また私は島根県西部の町と丹後を繋げる作業を続ける訳だが、私が赤ん坊の頃から訪れる島根県の益田市には『田庭家』が昔も今もある。そして匹見町にも、ある。
京丹後市には無い。我が家の先祖が古くから居たこの島根県西部にはある。しかも割とあるらしい。これがとても不思議な事の様に、幼い私には思えたのである(そんな事ばかり考える変な子供だが)。