尼子自慢
『父方の祖母』
この微妙な距離感が良かった。私自身は尼子姓ではない。今現在、尼子を名乗っている家で『戦国大名の尼子氏とは全く縁もゆかりもございません』という人が果たして居るのかどうかは定かではないのだが、私が尼子姓だったなら恐らく『うちは戦国大名の、いや、近江源氏の、いや、宇多天皇の子孫で……』なんて自慢をしていたに違いない。残念ながらそうではないのでこれは無かった。そして、そう自慢できる『尼子さん』は周囲にも居なかった。
遠い親戚ではない、祖母の旧姓が尼子だったというのは、その『尼子さん』に次ぐ地位であり――私の妄想内ランクづけだが――幼い私の密かな自慢でもあった。
祖母は、匹見町に住んでいた。島根県西部という場所ならなんら不思議は無いと思われるが、尼子姓は中国地方なら溢れているという訳でもない。ただ分布としては比較的多いのかも知れない。祖母の実家については私も幾つか聞いて記憶に残っているものがある。祖母は明治生まれの人だが、やはりその尼子の家は当時まで武家であった様に思われる。これまた詳しく調査などしていないのだが私は話を聞いてそう決めた。鎧兜に刀等があって、今で言うお手伝いさんの様な人も何人か居たらしく、一般的な家とは少々異なっていたらしいからだ。武家と言っても上級、下級などというランク付けがあった訳で、下級も下級、極貧の武家であった可能性もあるのだが、とりあえず百姓では無かったんだな、と、とりあえずこの事は私を喜ばせた。
私に家柄、あるいは職業差別の意識がほんの僅かでもあったという事は今となっては恥じ入るばかりだが、言い訳というかその罪な意識に情状酌量を求めたい。確かに祖母は尼子の家の出であったが、その祖母が嫁に行った先、つまり我が『家』はそういう家柄では無く、百姓であったらしい。つまり、自慢出来る要素が見当たらない。
したがって、私の自慢は『おばあちゃんはかつてこうだった(らしい)』というものになる。それを聞く小学校、中学校時代の友達などは『ふ〜ん』と言うしか無かっただろう。徳川だ! 織田だ! と言うならまだしも、尼子だ! では知名度が子供達の間では低すぎる。先祖を馬鹿にするな! というお叱りを受けるかも知れないが、何も知らない子供が尼子という名で連想するのは『尼さん』くらいのもので、私も最初口にするのが憚られた程である。中国地方の子供はどうだったのだろう? 私の住む京都府よりも尼子の名は身近なものだろうか? それならその名を堂々と口に出来ただろう。ただ、身近過ぎれば自慢にならない。それ以前に私よりランクが上の『尼子さん』本人が近くに居る可能性が高い。
ここまで『尼子』という姓について書いてきたが、これともう一つ、私の注目している姓がある。それは私がこの丹後と匹見町のある中国地方を関連付けるきっかけとなった姓。丹波の古の名、『田庭』である。