丹後と匹見
以下の文章は私個人が子供の頃何となく考えてきた妄想であり、その内容を調査、吟味したものではありません。以下に書く内容に関してなんらかの知識を持っておられる方には「フン」と鼻であしらわれる可能性があることを私は認識致しております。「こんなだったら良いな。面白いな」という話。
私の住んでいる京都府京丹後市はその名にあるように「丹後」と呼ばれている。周辺には丹波、但馬などの地域がありその名の元となる由来には共通点があるように想像するのは容易だろう。
京丹後市はまだ新しい名前だ。市町村合併によって出来た新しい名前。京都府北部の丹後半島にある六町が合併して出来た。この新しい市の名前を決めるにあたって一般からの公募がなされたのだが、その中で割りと多くの応募があった名前に、「田庭市」というものがあった。
田庭というのは丹波の元の名で、近畿北部の広い一帯を指していた。田庭から丹波となり丹後と分かれ……といった具合に変化して今の地方名があるという説。よくは知らないがこの辺りについてはネットで解説しているサイトが割りとあるようなので見てもらえば詳しく知る事が出来るだろう。
そして現在、「田庭の里」という名称はこの丹後をPRする中でしばしば用いられている。
所変わって島根県西部、中国山地の『中』に匹見町という町がある。現在、合併により益田市匹見町となっている。京都府京丹後市から随分離れている町だが、私はそこに縁があって幼い頃から幾度も訪れている。ここで書くのは私の幼い頃の印象とふんだんに盛り込まれた妄想である事をもう一度言っておこう。
益田市は海に面しており、その中の匹見町は南部と呼ぶのか東部と呼ぶのかは知らないが、山側だ。益田市街から匹見町までは近年は道がかなり整備されているようで昔よりは速く行けるが、私の幼い頃の記憶(昭和50年代)では車で一時間半位はかかっていたのではないかと思う。
匹見町へ至るルートは幾つかあるが、どこを通っても初めて訪れる者にとっては『この先に街があるのか?』と思わせる様な細く曲がりくねった、左右に山が延々と連なってそびえるその間の深い谷底を走る道。広島側から北上して至る道の中には、車の運転に自身の無い人は決して通ってはならないという様な峠もある。車が落ちたら、放置しか無いという……(よそ者の妄想であって、実際はどうしているのかは分からない)。
そして匹見町に入り、役場のある中心部。私が持った一番古い記憶にある感想は、「まるで秘密基地」というものだった。私の生まれ育った京丹後市は田舎で、どこを向いても山が見えているが、この匹見町は、「山」だった。どこを向いてもすぐ近くに山が迫っている。幼心にこれには感動した。我が家のある京丹後市の様な中途半端な田舎っぷりではない。いや、これは全く別なものだと感じた。
ここは山奥のものすごい田舎とかそういう場所じゃない。人が生んだ里なのか、或いは神の箱庭か? 島根県と言えば神話の国。神の箱庭という方が似合っている。
もし地元の方がこれを読んだら「大袈裟な」と笑うか、或いは怒られるかもしれないが、あの狭い景色を見るだけでワクワクした。狭いという言葉は私にとって悪い意味では無かった。子供の私にとってあの町は「凄い場所」。しかも程よく狭いあの谷間に凝縮された芸術作品の様な土地だった。