コロッケ屋
「安いよ安いよー。ちょっと其処のお兄さん方、コロッケはどうだい」
軌道ステーションビルからのメイン通りを歩く彼らに、揚げ物の匂いが漂った。
ドーム状のアーケードに食べ物屋が軒を連ね、買い物客が足を止めている。その独立した売り場は軽量金属に木目塗装を施している物や、実際にベニヤ板を表面に貼って時代を感じさせる工夫をしていた。そして主張激しく、わざわざ大きく歩道にはみ出す形態、しかも良く見ると紙で包んで手渡すスタイルは、今や地球では全く見かけない。
その商売のやり方に、姉弟とショーンは真逆の反応をした。
「懐かしいー、手渡しだー」
姉弟が指先で衣を触った。少しの油が付くと喜んで舐めた。だがショーンの顔は姉弟がはしゃぐほどに歪んでいく。混乱――それに十分近い表情だった。
外食産業が守るべき衛生義務には、最上級に位置する物が3つある。
ひとつ目は『食品に直接触れられぬようにコーティング加工をする事』ふたつ目は『コーティング自体に無菌・殺菌加工をする事』そしてみっつ目は『コーティング素材は口に入れても何ら商品の味覚を損なわない事』だ。
いずれにしてもこの売り方は、細菌が原因とされた200年前のパンデミック以降、WHOが作成したガイドラインを逸脱するものだった。
「そちらのお父さんも、どう? 美味しいよ」
大きく目を見開き「お父……」と否定し掛けて、ショーンはコロッケを受け取った。大体、今は見かけなくなった自動販売機でさえも、指紋認証で口座から即引き落としである。お釣りを手で渡された後、ショーンは保管場所に戸惑った。
目に見えないコーティング素材も、人間の触覚の方が遥かに優れている。例えナノミクロンの皮膜で包まれているとしても、手にした瞬間にそれと判るものだ。いや何も、わざわざ触らなくとも此処は屋外だという事実、当然の処置をしていないと思う方がおかしくて、地球ならば衛生面から詐欺だと言う者もいるだろう。
だがショーンが、ここが月だと認識するのに時間は掛からなかった。
「お嬢さん達と違って、月は初めての様子だね」
同年代だろうか、店の中で調理をする青年はおそらく息子で、ディスプレイに並べている女性は奥さんだと決め付けた。
「まあそんな所です。ところで家族で営んでいらっしゃるんですね」
ショーンの何気ない質問に、店主はその答えは難しいといった表情で
「ああ、アレは二人共良く働いてくれるんだ。尤も『見せている』のが仕事だから、良く見えるように動いている、と言った方が正解なんだろうが」
「なるほど」
ショーンは、再び家政婦ロボットの事を思い出した。
『彼女』もその点は良くプログラムされていたと見るべきで、材料を入れてボタンを押すだけの万能メーカーを決して使わず、じっくりコトコト煮込んだり、油を使ってジャージャーと臨場感のある料理をしてくれていた。
勿論、この行動は全て彼のリクエストで、油が撥ねて金属のボディに付着し「あつっ!」と言ってしまうロボットにも、笑顔で頷いていたショーンには『見せている』の意味が良く理解できた。
この時、彼が敢えて人型アンドロイドにしなかった理由は、亡くなった母親の姿を思い出してしまうからである。だがしかし注文時に『声は絶対に女性』と、多少の未練も残した。
家に初めてレンタル品が到着した時には、クリスマスプレゼントを貰った子供のようにはしゃぎ回った。「よろしくお願いします」と頭を下げた、その下半身と頭部分は全くロボットのそれで、彼のリクエスト通りの品が届いた。
真に技術革新と呼べるものは、およそ100年に一度起こる。
古くは月へ到達した次の世紀。誰もがいずれ新しい地球の支配者に取って代わると危惧した、21世紀のアンドロイド。続いて22世紀に入ると、所謂AIが科学者以外の人間には全く区別がつかなくなるまで発達した。次の世紀、成るべくしてこの組み合わせでひとつの統治国家が生まれそうになるも、それを阻止――正確にはアンドロイド方のリーダー格を説得したのは、23世紀に新たな人権法と共に誕生したサイボーグである。
ショーンは、あわよくば3人が友達に見えるのでは、くらいに思っていた。
その為のシミュレーションを重ね、ファッションを若者寄りにしてきたつもりだったが、今さっきお父さん呼ばわりされ、その想いは砕け散った。
月の住人達のファッションが、最先端をいっていようがいっていまいが関係ないが、この時点で貼られた『若作り』のレッテルを、暫らく彼は剥がす術を知らずに過ごさねばならなかった。