2505
西暦2505年
「二人とも。ほら、お父さんも。今日はもう遅いわよ」
まだまだ全然遊び足りない。月の地平に陽が落ちて家に帰ってからも尚リビングで遊ぶ姉弟は、ちっとも疲れてなんかいなかった。
姉のマリアが「まーだ、もう少しー」と言って母親のエプロンの端を掴むと、弟のユスケンの方は思い出したように冷蔵庫を開け、取っておいたプリンを満面の笑顔と一緒に母親に差し出した。しかし彼女はコーヒーカップを拭きながら微動だにせず、見上げる二人から目を逸らし少し悪戯に微笑むだけである。
「よーし、ここはママの言う事を聞こうか」
そう言ってちょっと声を張った父親の、両手を置いた膝や痺れて踵と足の甲と混ざり合ったつま先周りは、そのギリギリを玩具で囲まれていた。姉弟のどちらかが「今からパパは怪獣さんです」と言ったので笑いながら捕まった夫を、カラフルなブロックを敷いて「怪獣さんは動いちゃダメ」と正座させてから30分程経つもんだから、見かねた妻が助け舟を出したのだ。
元々の月と地球の中間に位置する人工月・セカンドムーンは、西暦2485年の完成から20年が経っても人類が移住する計画だけが進まずにいた。
当初、懸念されていた環境的な問題はクリアされたどころか、あらゆるデータを比べても地球より住み易い、が為に希望者は推定で20億人を超え、実に全人類の1/5が待ち望んでいたプロジェクトだったのにである。
原因のひとつに当時の各国、主に大国の陣取り合戦が挙げられる。
彼らにとって大事なのは、やはり権力。それを開発に関する発言力と言い換えた所で『軍事力』という後ろ盾が有耶無耶になるわけでも無い。
長年に渡って著名な科学者や研究者を取り込み、その国籍ごと奪って自国に尽くさせるやり方は有史以来変わらない戦略だった。
一方でこの星のプロジェクトに導入された技術は素晴らしい。
地球と全く違わない生活など無理難題かと思われたが、設計者はいとも簡単に実現してしまう。外殻を纏う人工大気及び人工重力がそれで、監視をする中央システムが『安全数値』を厳格に管理する事で可能にしていた。
「ママー、見て見てー」
ユスケンが軽く飛び跳ねて見せた後、天井にゆっくりと頭をぶつけた。ふわふわと笑うマリアの横では、父親が「イタタタッ」と悶絶している。「やめなさい」と言って母親が壁のスイッチを切ると3人共『ポトッ』と床に落ち、暫らくリビングに転がった。それぞれ頭とお腹と足を抱えて。
「思う存分転がったら、もう寝るのよ」
「はーい」
これは正座したまま血流だけが良くなり、格好悪い姿を晒した父親考案の重力磁場解除装置と呼ばれる物。本来この星の重力は1/10程度で、親の才を譲り受けた彼が遊び心で設計した物だった。
26世紀に入っても地球は人類の占有物では無い。
『自然災害も起こればそれを切欠に人災も発生し、知恵を絞って収めたはずの頑丈な蓋は、地球からすればビニールシートの如き脆さである事は否めない。それでも頑なに『彼』を友達と呼びたいのなら、せいぜいお腹が痛くなった時に紹介出来るような、近所の名医くらい用意しておくべきではないだろうか』
言うだけの評論家の意見を真に受けて、移住希望者の中にはセカンドムーンに楽園の姿を夢見る者も多い。悲しいかな以前裏切りを受けたか、いや元々『彼』にもそんな事を言われる筋合いは無いのかもしれないが、そう感じざるを得ない不幸と言う物も有る。
それは、ボロアパートの床が抜け落ちて「膝を擦り剥いたから引っ越します。大家さんもお元気で、落ち着いたら手紙出しますね」などとは訳が違うが、新築物件だからと言って過剰な期待は禁物だ。
当然セカンドムーンにもリスクはある。
もし万能と信じたテクノロジーが、根本から揺らいだとしたら――。最早新天地での出来事は全て人災であり、言い訳の類は何も通らない怖さも秘めているのだ。
完成後、月に残った研究者や作業員は、テクノロジーの維持に力を注いでいた。
超巨大人工物、しかし人員は数万人程度。それがいかに手の掛からない優等生であるのかが証明され、設計責任者の比類なき才能が再認識された形だ。
やがて月日を追う毎に、より安定的な物に成って行くと、今度は動きの鈍い地球政府に反発するように人口が増加する。渡航規制という法の網は事実上広がるばかりで、26世紀に入る頃には地球の大都市に匹敵する規模を誇った。
各企業も月に進出し、完全自由貿易の旗の下取引も盛んに行なわれるようになったが、原始的過ぎる仕組みに初めは四苦八苦する。
そのような中にあって、月に新工場を構えた日本製月見団子は、とにかく世界各国から集まった民族に大好調だった。『食べれば良さが分かる』このシンプルさを武器に、和菓子の技術力の高さと相まって地球からも注文が殺到した。
しかしそんな平和な星に、突如テロ組織が襲い掛かる。
『ただ今、軌道エレベーターにトラブルが発生致しました。用事の無い方は軌道ステーションに近づかないで下さい』
「ねえパパ、なーに? この放送」