三の二
「ささ、一献どうじゃな」
大根王が酒の壺を持ち上げ、注ごうとしたが大碓が茫然としている。
「んん? 汝、どうしたのじゃ」
はっと大碓が大根王の差し出す壺に気が付き、
「はは、これはどうも・・・いや、驚きました。なるほど噂に違わぬ・・・それどころか、この世のものとも思えぬ美しさで御座いますな」
「ははは、そうであろう、そうであろう」
と、大根王は御満悦で大碓に酒を注いだ。
「陛下は今四十九ですかな、吾は四十二で御座るぞ。まだまだ幼さの残る娘を・・・年寄りの相手とは可哀そうな気がしてならんでのぉ、何かいい方法はないものかのぉ」
大碓は茫然と考えていて、酒を注がれたが、漆器の茶碗が動かない。
大根王は大碓を見つめ、
「おっと、これは失敬、失敬」
と言って、自分の茶碗の酒を飲み干した。そして酒壺を大碓の物と交換した。
これは一種の礼儀であった。客人は毒を恐れて酒を飲まない、それを安心させる為に主が毒味をする。それを見て大碓はそんなつもりではなかったのだが、失礼にならないようにと一口酒を口にして、
「帝もだいぶお歳ゆえ、幼いことを理由に時を稼げばあるいは数年は・・・」
と、ふと頭に浮かんだことを口走ってしまった。
すると、今度は大根王の方の茶碗が一瞬動かなくなり、キラッと眼が光った。酒をあおり、勢いよく床に茶碗を置くと、
「ほぉ、そうか、そうじゃのぉ」
と、思わず手を叩く大根王。
「陛下が亡くなれば次の帝は大碓殿、御子様では御座らぬか。ならば御子様に娘を託すとしよう、それが良い。御子様ならば吾は喜んで娘を差し上げましょうぞ。んん、そう致しましょう、のぉ大碓殿」
「はぁ? しかし、それはちと・・・」
大碓は考え込んでしまった。
当時は立太子の制度も出来ていないから、必ずしも大碓が跡取りとは限らない。これまでは必ずしも長子継承ではなかったが、直系による継承は守られている。
「なぁに、陛下は娘達の噂を聞いて気に入っただけの事、見ていない限りどうにでもごまかせましょうぞ。ほどほどに美しい者を替わりに宛がって、時の経るのを待てばよいではないか」
「さ、左様な事が・・・」
思案に暮れる大碓だが、あの可愛らしい娘らをひと目見て心が揺れた。あまりにも甘美で魅惑的な誘いであった。そしてついには臆病で用心深い心が消し飛んでしまった。
「分かりました、では吾の方で何とかやってみましょう」
「やってくれるか、いや、それは有り難い。なればさっそく御子様に娘達を預けましょうほどに」
そう言うと、大根王は酒壺を持ち再び大碓に勧めた。
大根王は娘達を呼んで、改めて紹介した。大碓の両側に座って酌をする二人、何ともお似合いであった。しかし姉妹二人共とはどうであろうか、あまりにも不謹慎な気がするが、時代が違う。現に帝も同じことをしているのである。
すっかり馳走になって一泊した大碓は、翌朝早く屋敷を辞去した。亀甲卜により十日後が吉と出たので、その日に二人を大碓の元に輿入れさせると決まった。大碓が持参した土産は二人の娘が輿入れする代償として大根王が受け取った。
ちなみに、亀甲卜とは、日の本独自の占い方法で、綺麗に磨いた亀の甲羅を火に焼べてその内側に出るヒビの入り方で占う方式である。ヒビの見方は占い師によって異なり、一子相伝で、その占い師以外に誰にも分からない。
屋敷に戻った大碓は、家来に命じて見目良き乙女を二人探させた。そしてひと月あまりのちの吉日を選んで姉妹をお届けする旨、帝に使いした。
五月晴れ、梅雨の晴れ間のある日、大碓は二人の娘を伴って、仕丁二人と共に纏向に向かった。琵琶湖、淀川、河内湖、倭川と辿って一日半ほどの旅程である。当時は道を通るより舟の方が便利だった。纏向と近江は水の道で繋がっていたのである。
日代の宮の南門、朱雀門の外側最初の屋敷は、大路を挟んで西側が大后と大碓が住む屋敷、その対面東側が小碓の屋敷である。纏向についた大碓達は一度自分の屋敷に入り、旅装から正装へと身綺麗に整えた。その間に使いをやって帰京したことを八尺の大叔父に取り次いでもらった。
日代の宮の朱雀門を潜ると正面奥に正殿が見える。正殿の階の上に出ると東西に廊下が走る。長さ二十メートル、幅十二メートルほどの正殿はおおむね三つの区画に分けられ、正面が玉座の間。西側が西の間で帝の書斎兼寝室のある居住区である。東側が仕丁や執事などの居住区。大根王の屋敷は、ほぼこの日代の宮の正殿を真似たものである。
西の間に八尺の大叔父が報告に行く。麻の狩衣に長褌姿、饅頭髷を黒い麻布で巻いている。当時の宮仕えの姿である、絹などはめったに着ることがない。
「何、大碓が来たか、いや待ちかねたわい、ささ、早く通せ」
「はは、ただ今自邸で旅装を解いでいるとのことで、ほどなく参られることと存じますので、今しばらくお待ち下さい」
「んん、そうかそうか、相分かった、八尺の大叔父よ、あれを用意しておけ」
「あれ・・ああ、はは、畏まりました」
八尺の大叔父が九拝して下がっていく。
帝は玉座の間に移り、そわそわ、わくわく、落ち着きがない。部屋は戸を全開に開けてあるが、日は中天の頃で日差しは奥まで届かない。
南北に長い十メートル、幅八メートルほどの広い部屋の奥に、一段高くなっているところがある、玉座である。二メートル角(一坪)ほどの広さで高さが七センチほど。意外に低いのに驚かされる。その部分だけ菅畳が敷かれ他の部分は板敷きである。
帝は玉座の中央で菅畳に鎮座して待った。公式の行事でもないから錦糸の狩衣に長褌姿、髪は饅頭髷を黒布で巻いている。太い紫紺の帯で腰を引き締め、小刀を差し、絹の白足袋を履いている。帝は普段着でさえ上から下まで絹尽くしの姿。
ちなみに公式の場合は角髪で上は盤領の長袍、下は足首まで隠れる長褌姿だが、即位式などの最も重要な儀式では丸髷に、冕冠という前後に簾の付いている冠を被る。褌を着けず錦糸の長袍を足先まで全部隠れるほど長々と垂らして着て、広幅の革の帯(ベルト)で腰を引き締め、上着にもう一枚方領の襲を着る。支那式である。簾が顔の前でちゃらちゃらうるさく目障りに動く。
大王という存在の権威を保つために、公式では出来るだけ肌を見せない。下々の者を見たり、下々の者に見られたりすると権威が穢れるという考えが支那国から伝わっている。のちの世で御簾内から話をすることなどもそのためである。
…ここで少し余談を記したい。出土品を含めて記録された歴史にはとかく落とし穴がある事を思わねばならない。引き戸の存在、竪穴式住居の窓の存在、貫頭衣と角髪の非日常性、障子の原型となる麻布張りの窓や灯し火皿の存在など、歴史に記録された内容とだいぶ異なる事を本書は記している。
筆者は復元模型の竪穴式住居に煙り抜き用の天窓以外に、窓があるものを見たことがない。これでは暗くて昼でも明かりが必要であろう。発掘調査で知り得ない窓を、うっかり造り忘れたと思えてならない。土台や柱は出土するが萱葺き屋根の部分は殆んど原型を留めないからである。突上げ窓とか取り外せる蓋式の窓が当然あってしかるべしである。
人間とは常に便利さを追求する生き物であることを忘れている。記録された歴史がいつも正しいとは限らないのである。…
やがて人の気配がして、八尺の大叔父に伴われて大碓が二人の娘を連れて入ってきた。供に連れていた従者は宮中には入れず、朱雀門の外の川端に控えている。
離れた所で九拝している三人に、帝が、
「待ちかねたぞ、大碓よ、御苦労であった。ささ、近くに来て顔を見せてくれ」
「ははっ」
大碓のこめかみから雫が一筋流れ落ちる。二人を促すように目配せし、低頭して九拝の形のまま玉座の五メートルほど手前まで進み、再び深く九拝した。
いつもの姿とは違い、盛装している大碓は角髪を結って、絹製の黒地の長袍に、褌姿。
娘らは鬼髷の角髪で、髷に挿した数本の簪がぴかぴか輝きを放っている。綺麗な柄の袖なしの長袍を上に羽織り、内側には肘が隠れる程度の中途半端に袖の長い薄紫の単衣を着ている。膝下に濃い褐色の袴が見え、足には真っ白な絹の足袋を履いている。顔が真っ白に塗られ、口と頬に薄紅を注している。
「陛下、長らくお待たせ致しました、これなる二人が兄姫に弟姫でおわします」
「んん、左様か、苦しゅうない、座って、面をあげてよく見せてたも」
「はは・・・ささ、お二方・・・」
大碓が目配せをすると、三人とも板の間に腰を下ろした。二人の娘は手を下ろして顔を少し上げた。非礼にならないように決して正面の高さまでは目線をあげない。
玉座付近は天窓のお陰で少しだけ明るいが、他は日差しが届かずやや薄暗い。帝からは、姉妹の姿がはっきりとは見えなかったに違いない。
「ほほぉ・・(おや、以前見た時と幾分様子が違うようだが、化粧のせいかな?)」
と、何か違和感を感じた帝だったが、さほど気にも留めずに続けた。
「んーん、さすがに噂に違わぬ美しさじゃ。大碓よ、良き働きであったぞ、褒美を取らす。これ八尺の大叔父よ」
八尺の大叔父が低頭したままツツツと寄ってきて片膝ついて、両手を前に差し出して何かを大碓に渡した。鳥の羽らしき模様が白銀色にキラキラ輝く。鳳凰の図柄をあしらった長袍であった。機織りの技術も未熟な時代に、絹糸で紡いだ着物は極めて貴重である。
受け取って帝に向き直る大碓は、八尺の大叔父と同じように着物を両手で前に差し上げ、
「有り難き幸せでおわしまする」
「んん、舟旅疲れたであろう、ゆっくりと休む事じゃ」
帝は目を細めて大碓をねぎらった。そして姉妹をもう一度舐めるほどによく見て、
「二人とも、これからはここが汝らの家じゃ、宜しく頼むぞよ」
「はい、こちらこそ宜しくお引き立てのほど、お願い申し上げ奉ります」
姉妹は黄色い声を揃えて答えた。
「んん、んん」
と、目尻を下げて、すっかり御満悦の帝であった。
今日は旅の疲れも残っておるだろうと、八尺の大叔父に案内させ、二人を用意した屋敷に下がらせた。大碓もほっとしてそそくさと自邸に下がって行った。
翌日、膳処(大食堂)で朝食後に帝が二人と親しく話をするうち、
「おやっ」と、気付いた。
真っ白に厚化粧した為に違って見えていたと思っていたが、薄化粧に変わると、やはり別人だった。近江の浜で会っているのに、どうも話が合わないのである。
娘らを部屋に下がらせると、
「八尺の大叔父、八尺の大叔父を呼べ。西の間じゃ」
と、声を荒げた。
水仕が慌てて下がっていく。
帝は立ったまま拳を握りしめ、吐く息も荒げ、今にも暴れ出しそうな形相で、
「ええいっ」
と怒鳴り、けたたましい足取りで膳処を出ていった。膳夫の者達が何か粗相でもあったかと、心配そうに見送っている。
西の間に戻った帝は菅畳にあぐらをかいて不安そうな面持ち、頻りに指をくわえて爪を噛んでは眉間にしわを寄せている。
ほどなくやってきた八尺の大叔父も、娘らが既に別人である事に気付いていた。大叔父が傍らに来て九拝すると、大叔父の落ち度と言わんばかりに、
「八尺の大叔父、これは一体どうした事じゃ」
と、怒鳴り散らした。
「姫様達の事ですな、わたくしにもちと分かりかねますが・・・」
「大根王が替え玉を寄越したのであろうか、もしそうだとしたら・・・妙な事をせぬ証を寄越せという意味だったのに、何か変に受け取ったようじゃな。大碓に使いを出して、もう一度参内させよ」
一喝すると、帝は怒りと不安で菅畳上で立ったり座ったりして考え込んでいる。大碓か大根王か、どちらかが謀反していると思ったのである。あるいは両方結託しているかもと。
やがて帝は八尺の大叔父から、
――大碓命は纏向の自邸に戻ると、すぐその足で垂井に向かわれました
との報告を受けた。すぐさま大叔父に護衛を二人付けて垂井まで追わせた。長左には人を集めさせ、軍備を整えるよう指図した。
一方、垂井の大碓の屋敷である。ほどなく纏向の自邸付きの仕丁がやってきて、
――宮中から使者が来て至急もう一度参内せよ
との報告を聞いた。
大碓は戦慄した。替え玉であることがばれたに違いないと思った。気の小さい大碓は、帝の怒りを恐れて門を閉ざして屋敷に籠ってしまった。そして帝に殺されると思い、屈強の者十人に屋敷を警護させた。
さらに、大碓は家来の伊福連にも応援を頼んだ。人を貸してくれとの要請に、伊福連は何があったかも分からずに、言われるままに仕丁二十人を送り込んできた。
物々しい雰囲気の中、帝の使者が今度は垂井の屋敷にやってきた。大碓は家来に命じて、
――急な病ゆえに会えない。いずれ良くなったら参内する
と伝えさせた。
(これはおかしい、いったい何を企んでいるのか)
と、使者の八尺の大叔父は不審に思い、従者の一人を帝に報告にやり、もう一人を本巣に探りに行かせた。そして自分はこの地で探りを入れる為に留まった。
身なりを粗末にして金山神社に身を寄せて、遠目に何か起こらないかと見張っていると、屋敷から五人ほどの一行が出てきて西に向かう。その中になんとあの娘らが混じっているではないか。紛れもなく兄姫、弟姫であると八尺の大叔父は確信した。
秘かに跡を付けると琵琶湖の南、蒲生首の家に入った。どうやら潮干狩りに来たらしい。大碓に軟禁されている訳ではないが、出歩いてはいけないと釘を刺されている。しかし、若い娘が何もせずに家の中で閉じ籠って居られる筈もなく、せがまれて許したのであろう。
数日後金山神社で部下と落ち合った八尺の大叔父は、部下の報告を聞き今度は二人で本巣に向かった。
大根王は気難しい顔で項垂れ、後頭部を叩いている。
「なるほど、そうであったか。吾としたことが軽忽の仕儀じゃった。このところ南の方にばかり気を取られておった。纏向に伺候せなんだ事を気にとめられていたとは、迂闊であった。八尺の大叔父よ、吾は一体どうすればよいのじゃ? 頼む、教えて下され」
もし謀反の企みがあったなら、生きて屋敷を出られないと、悲壮な覚悟してやってきた八尺の大叔父である。家来には外で物陰に身を隠させている。もし吾に何かあったら纏向に走れと告げている。しかし、噂は流説に過ぎなかった。
八尺の大叔父は大根王と話をして、謀反の企みなど一片もない事を悟った。大叔父とは従兄弟に当たる大根王だが、直系に近い八尺の大叔父の方がやや格上に当たる。
「本巣殿は一切関知せぬことと致しましょう、わたくしはそのように陛下に報告致します。そして何か手土産を御用意頂く、わたくしが陛下に届けて事を納めまする」
「さ、左様か、それは忝い、是非にそうして下され。土産は何が良いかな・・・そうじゃ、あれが良い、柊の八尋鉾じゃ、これ以上はない」
「なんと、柊の八尋鉾ですと、あの伝説の鉾で御座るか? 神武大王以来どこに消えたのかと一時噂がしきりで御座ったが・・」
「左様、この鉾はわが父彦坐王が四道将軍を束ねるにあたり、兄の崇神大王から授かった物と聞いておる。以来家宝として倉の御棚(神棚)に納め、毎日拝んでおるものじゃ」
柊の八尋鉾とは出雲族の神、大国主神が倭に降った時に神武大王にその証として渡した物であった。魔除けの力があると言われている青銅の鉾である。
「なんと、そういう経緯でしたか。この老いぼれそんな事とはつゆ知らず、何者かに盗まれてしまったものかと思っておりました。これは大変失礼致しました、柊の八尋鉾であれば帝もことのほかお悦びで御座いましょう」
「それは良かった、では早速準備いたしますかな。何せ家宝ですから吾以外には触れさせないもので、酒でもやっていて下され」
と言って、一旦大根王は席を外した。すぐに水仕が現れ、酒を運んできた。
八尺の大叔父は水仕が去ると、部屋や外の景色などをそれとなく窺った。
(屋敷の様子、田畑の具合などを見るに、本巣殿はいやに裕福じゃのぉ)
と訝る八尺の大叔父である。
しばらくすると大根王が絹に包まれた長いものを運んで戻ってきた。
「ささ、大叔父、これで御座る、宜しくお執り成しのほどを、お願い致しまする」
「畏まって御座る」
八尺の大叔父は丁重に受け取り、脇に置いた。
「それから本巣殿、年に一度は纏向に伺候して下されや。そうでないと神経質な陛下がやきもき致しますから」
「はは、承って御座る」
と、大根王は恐懼して九拝した。
「ときに大叔父よ、大碓命は如何なることになろうかな」
「そこが悩みの種で御座るが、わたくしが穏便に済むように陛下を説得致します、任せて下され」
「頼みましたぞ」
再び大根王は九拝した。ひと際力の籠った言い方であった、愛しい娘達のことが気になったのであろう。
こうして八尺の大叔父は大鉾を手に、部下と共に纏向に返っていった。
宮中に戻った八尺の大叔父は直ちに帝に報告した。
「本巣の大根王はいたって平穏で、話をしてみると大層驚いて寝耳に水の態で、殊更に何か構えている風では御座いません。御無沙汰致しおることを平に謝っておりました。そのお詫びにと柊の八尋鉾を頂いて参りました。これで御座います」
「なに、柊の八尋鉾とな・・」
と、帝は差し出す鉾を受け取って、
「かつて大叔父に聞いたことのあるあの大鉾か、大根王が持っておったのか」
八尺の大叔父は鉾の経緯を話して聞かせた。
そして幾分顔を曇らせて、
「ですが陛下、大碓命は陛下の裁きを恐れて自邸に籠って見張りを増やしている御様子。あまりに美しい娘らを、つい魔が差してわがものにしてしまった模様でして、どうか御穏便に処置願います」
「なんとのぉ、わが息子殿は吾の大事な客人を横取りしおったか、はっはっは。まあよいわ、どうせ御子に跡目を引き継ぐつもりでいたのじゃ。大碓は吾があの小娘達に何かするとでも思うたのかのぉ。斯様な者でわが跡取りが務まるかのぉ。やれやれだ、少しだけ安心したわ、大根王でなければ大目に見てよい、捨て置け」
事態はこうして一件落着したかに見えた。
しかし、帝は偽の娘二人には辛くあたった。以後一切会うことがなく、二人を屋敷に軟禁状態にして、飼殺しのようにして過ごさせたのである。