二の二
翌日舟で沖島という琵琶湖の中に浮かぶ島に宿所を替えた。前述した三津首が琵琶湖の水運と関所の管理を任されている。守りの拠点であり、舟の通行を見張る為の関所である。
帝はその日から舟で対岸にある砂地に潮干狩りに出かけることにした。
あきんど達が話していた娘らは本巣国に封じられた大根王の娘で兄姫、弟姫といい、姉が十四、妹が十二でまだまだ乳臭さの残る娘らだと分かった。その娘らが山深い本巣から、ここ琵琶湖に度々潮干狩りに来るという。帝はこっそり見物致そうと考えた。
何日か経った、潮干狩りに来る者は大勢いる、しかしお目当ての人は来ない。晩の菜にシジミを獲る事七日ほど、さすがに飽きた。
長左ら四人に三野の情勢を隈なく調べに行かせた。そのうち戻った三人と八尺の大叔父はせっせと水辺をまさぐっている。帝は笹っ葉を咥えて松の木陰に寄り掛かって、流れる雲を見ながら日向ぼっこをしている。そこへ、
「ただ今戻りました」と、最後の一人、長左が戻った。
帝は笹の葉をプッと吐き出し、起き上がった。
「おお、戻ったか。御苦労であった」
と言って浜辺をあちこち見まわすが、娘らしき者達は見当たらない。
「駄目であったか、そなたが最後じゃ、がっかりじゃのぉ、とうとう姫達は来なんだか。残念じゃが、仕方がないか」
落胆する帝は額に指を押し付け擦りつけながら目を瞑り、考え込んでいる。
しかし、戻ってきた長左は表情が明るい。
「陛下、お慶び下さい、姫様達はたった今しがた近くのとある屋敷に入られました」
「なんと、其は誠かの?」
「はい、わたくしはつい先ほどまで姫様達一行のあとを付けて参りましたが、大中の湖南に蒲生と申す首が居りまして、その屋敷に入りまして御座います。明日にでも潮干狩りに参ると存じましたので、急ぎお知らせに参った次第で・・・」
「何、さようか、でかしたぞ。ああ、ようやく来たか、待ちかねたわい。して姫達の面差し、姿形はどうであった」
「はは、聞きしに勝ると申せましょう。姉妹の天女が天橋立に舞い降りてきた如くで御座りまする。つくづく目の保養をさせて頂きました」
「んん、さようか・・・それは楽しみじゃ、いい仕事をしたの。汝には御苦労だが引き続き姫達を見張ってくれ」
長左の姫達に対する形容が嫌らしく、帝は些か気になったが、気付かれぬように軽くねぎらった。
翌日の昼頃、子供達の甲高い話声が飛びかい、人が百人ほども集う引き潮の浜辺。
生活と楽しみが一緒になったものが潮干狩りといえる。人間というものは何故かこういう営みが好きらしい。何かを探すあるいは作る、そしてそれが生活の糧になる、しかも健康にいい。これこそ人間の好きの筆頭であろう。縄文の頃は、大勢でシジミや蛤などの貝をどっさり獲り、浜辺で大きな素焼きの鍋に入れ、塩水で煮込み、殻を取り去り天日に干して保存食を作る。あちこちの貝塚はこうして出来たのである。
黄色い声の主は眼がくりくりと大きい可愛い小娘で、単衣を二枚重ね着して、その上に袴を穿いている。上着の単衣はやや厚手で桜色の派手な色合い。袴は腿までたくし上げて紐でとめ、真っ赤な紐を腰帯にしてとめている。髪は中央で分けて首の後ろで髷のようにまとめて薄桃色の紐で結んでいる。小鬢が耳元に垂れて、時折穏やかな風に揺れて頬をくすぐる。浅瀬で両手両足を水に突っ込んで盛んに貝を探っている。
「あっ、見っけた」
見ると、小娘が足先を手で探り、掴み取るとサラサラと水で洗って、
「見て見て、大っきいよ」
と、これ見よがしに差し上げている。
皺ひとつない真ん丸ホッペに日が照り輝く。起き上った八尺の大叔父は目を点にして見惚れている。下の娘であろうか、はしゃいで姉や仕丁らしき者に貝を見せつけている。
姉の方は空色の単衣に袴姿。小娘二人と四十前後の女とその亭主の四人である。
帝はって言うと・・・
(あれれ・・どこへ行った・・・)
八尺の大叔父が後ろを振り返り、きょろきょろと見廻している。
帝は松林の木陰で部下達四人となにやら話し込んでいる様子。しばらくして帝はそのうち一人を連れて八尺の大叔父の方へ戻ってきた。
そして、にやっと笑うと、
「これ叔父御、われらも潮干狩りじゃ。今日もたんと獲るのじゃぞ」
「はは・・・」
帝は手足を捲くって娘らの近くで、浅瀬の砂地を探り始めた。
帝も珍しく砂を穿っている。八尺の大叔父は帝が何をなさる気か飲み込めないが、気にもかけずにせっせと足指を砂の中に潜らせ始めた。帝は一つ獲るたびに前方の娘らを覗き、あまりの可愛らしさに時々顔を赤くしては笊にシジミを入れている。
しばらくすると風体の良くない三人ずれが現れた。ぼさぼさ頭に毛むくじゃらの髭面で、熊の毛皮の袖なし羽織(ちゃんちゃんこ)を麻紐で締めて、下は短褌姿、三人とも長い物を一本腰に差している。下は裸足である。周りを見回す頭目らしき男がふと小娘達に気付き、腕を組み、手指で顎を抓み、上目遣いをしながらゆっくりと水辺に近づいてきた。
「おうおう、可愛い娘っ子じゃねぇか、おめぇらは一体どこの娘だ」
頭目は涎を垂らさんばかりにしながら水に入って来て、娘らの周りをゆっくりと回り始めた。震えて手を合わせる姉妹を、庇うように仕丁夫婦が前後に回ると、
「何だねあんさんらは、ええ? 何か用かね。わたしらはただ貝を獲りに来ているだけだがね、何か用かね」
周りに助けを求める如く、殊更に大きな声を出す女丁。頭目はにやにやしながらぐるっとひと廻りすると、女丁を躱すように横から近づいてくる。
女丁達四人は目で男どもを追いながら、少しずつ水辺から浜に移動して行く。あとの賊二人も浜辺でにやつきながらゆっくり遠巻きに近づいてくる。
不意に頭目が浜に上がった四人に駆け寄り、
「年寄りは邪魔だ、どいてろ」
と言って手を引っ張り、女丁を突き飛ばすと、
「やめろ」
と言って、亭主が突っかけてくる。しかし、亭主は別の賊に後ろから当て身を食らって伸びてしまった。
娘二人の腕を掴んで連れ去ろうとする頭目に、女丁は縋りついて止めようとする。
「けっ、しつこい野郎だな」
男は縋り付く女丁を足蹴にして、無理やり引き離した。
「ぎゃっ」
悲鳴をあげて女丁が倒れた。
この騒ぎに周り中の者が浜に上がって集まってきた。男どもは周りの群衆を、蠅を追うように掻き分けながら、娘らを引き摺っていく。
「むむむ、許せん輩で御座る」
八尺の大叔父が逸り、歩き出そうとすると、
「戯け者」
帝が大叔父の腕を掴んで引き止めた。
「余計な事をするでない、汝はここでじっとしておれ」
何だか訳が分からず怪訝な顔の八尺の大叔父。
すると、群衆の中から同様の出しゃばり者が大股で歩み寄ってきた。
「これ、下郎ども、左様なか弱き娘らに何をするつもりだ。返答次第では捨て置けんぞ。わが愛刀の錆になりたいか」
勇ましい若者が眉を吊り上げて、刀を引っこ抜いた。
相手の賊どもはへらへら笑っている。賊の一人が若者につかつかつかと寄っていくと、予想に反して手強そうに感じて怯んだ若者は、正眼に構えた刀をガタガタさせている。
「青二才、何か文句があるのかよ、ええ? ほら、刀が震えているぜ」
言うが早いか、
チャチャチャーン
何があったのか、一瞬で若者は伸びてしまった。群衆がざわめく。
これを見ていた帝は腰の物を確かめ、水音高く大股に歩きだし、浜に上がり賊どもに近づいた。左手にお家重代の刀剣をきつく握り締めながら、
「これ、木っ端ども、何をしておる? 左様な幼き娘御達に、無体な事を致すとただでは済まさぬぞ」
「何だと、木っ端だと?」
チッと舌打ちし、頭目は娘らの腕を掴みながら睨み返した。
すると、前方で、
「んん、何だ、兄ぃ何があった」
先を進んでいた賊の片割れが振り向いた。
「何だ、馬蠅野郎か。うっちゃって早く行こうぜ。こんな拾いものはねぇ、きっと高く売れるぜ、へへへ、これで当分食いもんに困らねえ」
と、急かす賊ども。そこへ分けるように、ゆったりと間に割り込んだ帝は、かちゃっと鯉口を切り、ゆっくりと右手で刀を抜き剣先を下げ、上目遣いに頭目を睨み付けた。
精悍な姿の剣術使いの登場で、どうなる事かと群衆が固唾を呑んで見守っている。
賊の片割れが少し怯んだのか、
「おうおう、てめぇもやられてぇらしいな」
と、上ずった声を出した。片割れ二人が左右に挟むようにしながら刀を抜いた。娘らは頭目に腕を掴まれて後ろに退いた。
帝の左手側に回り込んだ賊の一人がジリリ、ジリリと寄って来た。
帝は剣先を右の男に向けながら左右に交互に目を走らせて、瞬時に動けるように左足を半歩前に構える。
「えやぁー」
左の男が上段からいきなり斬りかかってきた。
さっと体を躱して刀を跳ね上げた帝は、その勢いのままに柄頭で相手の脇腹を突く。
「ウッ」と言って、男はそのまま前のめりに倒れた。
「野郎、よくもやったな。てやぁー」
右の男も喚き掛かってきたが、三合と交えぬ間に刀を弾き飛ばされ、鼻先に剣先を突き付けられて、へなへなと地へ尻餅をついた。斯程の剽悍な賊共も子供扱いである。群衆がどっと湧いた。
頭目が、チッと舌を鳴らし、娘らを後ろに突き飛ばした。勢いよく刀を抜き、腕捲くりしながら大股に駆け寄ってくる。相手の間合いに入らない程度の所で立ち止まって刀を構え、周りを見回す。
中々かかってこない、刀を肩に担ぐようにし、視線を逸らさずに摺り足で帝の周りを回り始めた。気絶している男の側まで来ると、軽く二度頭を足で蹴飛ばした。
「ウッ」と言って、男は目を覚ました。
帝を見ると慌てて刀を握り締めた。賊共はゆっくり旋回して三人とも互いに近寄った。視線で確かめあうと、何を思ったのか頭目が、
「おい、行くぞ。けっ、覚えていやがれ。それっ」
捨て台詞を残して三人とも一斉に駆けだして失せてしまった。
辺り一面どっと笑いが巻き起こる。良い見せものが終わったとみたのか、群衆も散り始めた。
刀を鞘に納める帝が、
「はっはっは、不甲斐ない奴らめ」
膝元の塵を払って後ろを向くと、娘らの方へ向かう。
仕丁夫婦が既に娘らに駆け寄り介抱していた。八尺の大叔父も寄ってきた。
「怪我はなかったかの」と、帝が気遣った。
「へぇ、お蔭さまで助かりました、お嬢様方に何かあったら、わたしら生きておられんところでした、有り難う御座いました」
女丁は半ベソをかいている娘らを抱きかかえていたわっている。
「それは良かった、危ないところであったの。ここいらは物騒なところじゃな」
今しがたまで伸びていた亭主が、赤面しながらお辞儀をして口を開いた。
「はぁ、このような事はめったにない事でして、不意を突かれてしまいました。わしが付いていながら恥ずかしい事で」
「いや、無事で何よりじゃ。それより其処な娘らは何とも麗しいのぉ、これでは汝達も大変じゃ。さぞ名のあるお方の御息女と見えるの?」
「へぇ、これなる姫様方は本巣国の造、大根王が御息女、兄姫様と弟姫様で御座います。琵琶まで水遊びにやってきたところでして」
と、女丁が答え、
「姫様方もお礼を言って下さいまし」
促すと、兄姫、弟姫が膝を崩して九拝し、
「有り難う御座いました」
黄色い声を揃えて礼をした。
「んん、んん、初々しいの。尊きお方の御息女方よ、無事で何よりじゃ」
帝はにんまりした。そこへ亭主が割り込んだ。
「それにしてもあなた様は大層お強ぉ御座いますな。どちらのお大尽で御座いますかな。いずれ主家から礼など致したいと思われますので、是非お名前と在所を教えて下され」
「んん、まあ気にせんでよい、吾はしがない旅の者、名のるほどの者ではない。晩の菜に魚介でもと思ってシジミ獲りに立ち寄っただけじゃ」
と言って、帝はにこっと娘らに微笑みかけた。
「もう一人くらい護衛を増やすべきではないのか」
「はい、有り難う御座います、以後はきっとそう致しますので」
亭主が恐縮している。
「どれ、貝も獲れた事だし、叔父御、そろそろ行くとするかの。汝らも気を付けて帰れよ、ではまたの」
「ああ、もし、お大尽様、本当に有り難う御座いました」
「有り難う御座いました」
四人は再び口を揃えて礼をした。
帝の一行は浜辺をあとにして沖島へと向かった、途中部下の四人も舟で合流した。
(わざわざ臭い芝居をして)
と、八尺の大叔父は渋い顔をして帝を見つめる。出しゃばりの青二才も仲間の一人だった。
「おほん」
帝はひとつ咳払いをして貌を赤くした。
「ああ、これ叔父御、これも作戦じゃ、これで娘らは吾に良い印象を持ったであろう。それにのぉ、何か切っ掛けがなくてはのぉ、話がしづらいではないか」
「ははぁ、左様で御座いますかな・・・」
恥ずかしがり屋なのか、妙に芝居っけのある帝であった。
「汝ら、御苦労であった、怪我はなかったであろうの」
「はは、何ともありません、御心配には及びません」
頭目役の長左が言った。
「いや、それにしても汝らの出で立ち、中々板に付いて見事であったぞ、のぉ叔父御」
「左様で、初めは本当に追い剥ぎか、人攫いと思ったくらいで・・・」
三月半ば、一行は纏向への帰路についた。帝は麗しき娘らに再び会える日を思い描いて、心が弾んだ。
一方、八尺の大叔父と護衛の者一人は舟を下りて三野方面に向かった。帝の第二子、大碓の屋敷に使者として向かったのである。