表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第十章、 イブキドヌシ
104/109

     二の四

「兄者、仇は討ったぞ・・」

 弟彦は一瞬呆然と小猿を見つめていた。そして湧きだす涙を手で拭い取ると、鉾の柄に火矢を括り付けて持ち、南に走り下った。

(いかん、(よもぎ)だ・・)

 そう思いだすと、火明かりを頼りに蓬をたくさん摘みながら進んだ。幸い蓬は至る所に生えている。元の大木のところに戻り、笠の中に摘んだ蓬を入れ、置いてある三つの背負子をあさり、衣類や食べ物など必要な物だけかき集めてひとつに詰めて担ぐと、笠を左手に、火矢を括り付けた鉾を右手に持って主タケルのもとに走った。

 タケルは仰向けになって苦しそうに喘ぎ、脂汗を浮かべている。弟彦は側の地面に鉾を突き刺すと、屈んでタケルに寄り添った。

「主、しっかりなさって下さい。もう一度毒を吸い出して、手当てを致しましょう」

「お、弟彦か・・やったのか」

「はい、主の鉾が見事に小猿の腹に命中していました。それからあいつめ、騙したとかほざいていましたが、何かの罠だったのでしょうか」

「何?」

 タケルは目を瞑ったまましばし考えている。

「そういうことか、なるほど・・・」

「どういうことです」

 弟彦は話しながらタケルの太腿と膝を縛った布を解き、傷を確かめ、水をかけて洗った。

「それは・・く、ううっ」

 タケルは言いかけて苦しみ出した。

「や、山を降りるときは気を付けろ、必ず敵が待ち構えていると思え・・ううっ」

「ああ、もう何も言わないで、それより早く手当てを致しましょう」

 弟彦が毒を吸い出すとすぐに吐き出しては、傷口を(ふくべ)の水で洗う。今度も三回繰り返すと、採ってきた蓬を手ですり潰すようにして傷口に当て、背負子から綺麗な布を出して縛った。蓬の汁は血止めになるのである。

 …野菊とよく似ていて間違えやすい。重宝な草で薬草として色々に使われる。解毒作用もあり、葉に付いている産毛を集めたものがお灸で使う(もぐさ)である。…


 アルテミスはこの罠とは一体どういうことだったのか疑問でならない。タケルの身体(からだ)を心配しながらも、別の画面を開いて見始めた。年初に行なわれた都纏向(まきむく)での東征部隊の歓待後に映像が飛んだ。


 ――帝の使い番、長左が近江に住む伊福多多美彦連(いふくのたたみひこのむらじ)の屋敷に来ていた。上座の伊福連を前に円座に座りじっと押し黙って待っている。支那風の(まげ)を黒布の冠で覆い、単衣(ひとえ)の上に黒っぽい水干と(はかま)姿。一方の伊福連は苔色の錦糸の水干の上に、派手な刺繍の付いた肩衣を羽織り、ふっくらとした(はかま)姿、貿易による豊かさが窺える。

 伊福連は帝の書状を見つめ、左手で顎の泥鰌髭を(さす)り、狐目を一層細くして首を(かし)げて考え込んでいる。

「長左殿、説明して下され、この歌は一体なんなのです。ひとつは祝いの歌のようだが、もう一首は何の事なのかよく分からぬ」

「さればで御座る、今の帝の御心(みこころ)を語っている文かと存じます。伊福連様と尾張の乎止与命(おとよみのみこと)、そして本巣の大根王(おおねのおおきみ)御三方に発せられました詔勅(みことのり)かと存じます」

「なんと、左様な大事がこの歌に込められていると申すのか」

 伊福連は膝もとに置いた竹簡を両手で持ち上げ、押し黙り再び竹簡に見入った。竹簡には二首の歌が書いてある。


  ちはやぶる 大国主の 手弱女(たおやめ)

          倭の御魂(みたま)に せぅえにし桃花


  奥山に 渦巻く伊吹の すすどさよ

          西の伏屋(ふせや)に 白羽立つらむ


 意味は何ともあけすけな歌であり、分かりやすいが、伊福連には意図する寓意がとんと分からない。一首目は大国主神の娘が倭の繁栄を祝って桃の花を贈ってきたという歌。そして二首目は西の山奥のどこかに神の白羽の矢が立ったという歌であろうか、とも思う。

 …ちなみに、「ちはやぶ(ふ)る」はのちの時代に神に係る枕詞となった。…

 これを以って帝が何かを憂えているという事かと察したが、皆目分からない。

「長左殿、助けて下され。一体この歌は何を言わんとしているので御座るか」

「この二首の歌には帝の深き想いが隠されて御座る。それぞれの(ことば)の、(かしら)文字の第一音を繋げて見て下され。さすれば帝の意図が分かります」

「何じゃと、語の頭だと、ほほぉ・・・()・・()・・()・・()・・()か、ふむふむ。それから、奥山にだから、()か・・ええと、おうすに(・・・・)・・なんと!」

 最後の一字を言葉に出来ず、伊福連は絶句してしまった。竹簡と長左を見比べ、ただただうろたえている。そしてひとつ頷くと、背筋を伸ばし目を輝かせて語りだした。

「委細相分かった。(おこと)はこのままこの書状を持って尾張に向かい、乎止与命(おとよみのみこと)に本巣まで参るように伝えてくれ。途中大根王(おおねのおおきみ)の屋敷に立ち寄って・・そうだな、五日後に吾と乎止与命と汝の三人で屋敷に伺うと申すのだ。それとのぉ下話しをしておくのじゃぞ」

「畏まりました」

 長左は竹簡を丸めて懐に仕舞い、一礼してすぐに立ち去った。

 伊福連は茫然と庭を見ていたが、次第に顔が紅潮し、目が異様に輝いてきた。そして、

「誰かある」

 と、大声をあげて人を呼んだ。

・・・

 五日後、大根王の屋敷では、手炙(てあぶ)りを四人が囲むように座って密談となった。長左が三人を前にして帝の気持ちを語り始める。

「今まさに日の本は、ヤマトタケルの命によって一つに纏まりました。帝はゆくゆくは御子様に恩賞を与えねばならないことで御座いましょう。大碓命は既に亡き人で御座います。そして今や日の本中の名声を手にした御子様は、聞けば尾張の姫様と婚儀をなさったとか」

 乎止与が思わず伊福連を見つめ、決まりの悪そうな顔をしてひとつ咳払いをした。

「近江、三野、尾張と御子様の支配地が広がることに、帝はひどく憂いに病んでおりまする。かと言って帝が己が地位を御子様に譲れる訳もない。帝は(よわい)六十五とはいえ、まだまだお元気なので御座います。これまで生前に地位を譲った例えは御座いませぬ。どうかこの憂いを御三方の手で取り除いて頂きたい、との仰せで御座います」

「何じゃと、してみるとこの歌に込められた、ちをたやせ(・・・・・)と、おうすにし(・・・・・)とは・・」

 上座の大根王が動顚し、腰を浮かせて言葉を濁した。

「言葉にお気を付け下され。滅多なことはお口に出されませぬように・・どこに漏れぬとも限りませぬぞ」

 すかさず長左は釘を刺した。

 そして伊福連が一歩前にすり寄り、ひそひそと段取りを話し出し、皆の貌色を覗う。皆で相談しながら、着々と謀略の筋が出来て行く。

・・・・・

 やがて纏まったのか、伊福連が、

「全ては吾と乎止与命が事を進めまする」

 と宣言した。

「事情は心得たが、吾は一切係わりのないこととして進めよ、よいな。それからこの書状は長左が持って帰れ、吾は斯様に物騒な物を持っていたくはないでな」

 と言って、大根王は竹簡を放った。竹簡を受け取った長左は、

「念のために皆様に伺います。帝は東征完了の祝の歌を贈ったので御座いますな。左様ですな、御三方」

 と言葉を加えて、三人の様子を窺った。三人は小さく肯くだけで言葉も出ない様子。

「宜しい、ではこの書状はこうすることに致します」

 と言って、ただちに竹簡を手炙りに焼べて燃やしてしまった。詔勅の痕跡を残させなかったのである。めらめらと燃える竹簡を皆が不気味な貌をして見つめ続ける。

 帝にとって国が纏まることは喜ばしいが、名声がタケルにだけ集まることは許しがたい。それなのに此度のことで、タケルにも相応の褒美を取らせねばならないのである。

 また三野は鉄の生産拠点である、当時鉄は最も重要な産物となりつつある。鉄を征する者こそ国を征する。実にこの言葉は今現在でもよく使われる、鉄を征する者は世界を征する。いつの時代でも鉄は人類にとって欠かせない資源なのである。

 鉄だけではなかった。伊吹山の石灰岩も当時は欠かせない産物だった。石灰岩は漆喰(しっくい)の材料となる。石灰岩を砕き、粉にして水で溶いで、海藻などの粘着物を混ぜて固める。急速に増えてきた切り妻屋根の建物(掘立柱式)では、漆喰の壁が欠かせない。セメントが無かった時代にあって、漆喰は日本独特の建材であった。

 …字面(じづら)は当て字で、漆は使われていない。石灰の支那読みがそのまま名称となった。…

 女帝の御世を除いて、大王(おおきみ)は終身制である。タケルに帝の地位を与える訳にはいかない。地位を譲るということは、自分の死を意味するからである。まだ隠居という概念が無かったのである。

 タケルを排除しよう、それしかないと帝は考えた。かと言ってあからさまにタケルの処分を行えば、民の心は今上(きんじょう)大王から離れてしまう。畢竟国中で倭を見限る者が出てこよう。そこでイブキドヌシというヒントを与えたという訳である。――


「なるほどそういう訳か。酷いわねぇ帝も、ずいぶん身勝手じゃなくて」

「(ポーン)アルテミス様、まだまだ時代が未成熟なのですよ、仕方がないことです。彼らはこれから時代を作っていく人達なのですから」

「だけどさ、どうして真奈達を縛って閉じ込めたりしたのだろう。人質として山に連れて行けば、絶対的に有利だったじゃない、どうして? 気になるなあ・・・」

 やがてアルテミスの見ている画面は、さらに別の時期に置き換わった。

 伊福連に指令を受けた小猿は一人で旅に出て丹波の穂井村へ行き、魚売りの漁師に扮した。既に小猿は真奈と親しくなっていた。真奈の子にも優しい小猿であった。

 数月調べながら過ごすうち、小猿は真奈の人柄の素直さ、そしてなにか神々(こうごう)しいような気品の高さを感じていた。真奈は仇であるタケルの妃であるから、八つ裂きにしたいほどなのに、優しさと気立ての良さに、すっかり魅了されてしまったのである。

 その小猿と真奈とが親しく言葉を交わす姿がアルテミスの目に映った。


 ――白羽の矢を打ち込んだ小猿は、一度近江に戻り伊吹山で櫓などを手下と共に造った。そして再び手下と共に穂井村に向かった。

安八(あんぱち)、いいか、あの親子は伊富岐神社の裏の小屋に縛って隠しておくのだぞ」

「お頭、いいんですかい山に連れてかなくても」

 と、安八が(いぶか)る。

「あの女は後で俺が面倒をみる、誰にも言うなよ。神社に着いたら二人は見張り、安八とお前は山に上がって来い、俺は先に帰ってすっかり用意しておく、いいな」

「へい、分かりやした」

「ほれ来たぞ、あの親子だ、婆の(なり)をしてはいるが、若い女だ。上手くやれ、じゃあな」

 と言って、小猿は去った。

 小猿は事が終わったら、真奈を自分の女房にする算段を立てていたのである。――


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ