おしどり花
こんなところで何してるんだい? と“彼”に尋ねられた。
寂しくないの? と少女は逆に質問した。
うーん、と少しだけ考えた“彼”はしばらくしてから、慣れれば平気だよ、と元気そうに答えた。きっと“彼”に顔というものがあったら笑っていることだろう。
独りぼっちだからきっと寂しいのだろうと推測していたのに、予想外のことを言われて、と少女は、そうなの、と呟いた。
少女がいるここは一面の廃墟。少女が生まれるのよりもずっと昔に起こった戦争で崩された彼女の住んでいた街。
少女の生まれ育って暮らした家も、優しかったおばさんがやっていた隣の家の果物屋さんも、知らない誰かの家も全部壊されてしまった。
たくさんの人が死んで、もっとたくさんの人が怪我をした。
少女もその一人だった。
「ねえ、君は何をしてるの?」
再び“彼”になにをしているのか少女は尋ねられた。
「ん?」
ガレキの山に寝転がって“彼”を眺めていた少女はふいに質問をされ、きょとんとした表情を返した。
そういえばさっき“彼”に同じ質問をされたことを思い出した。その時は逆に質問してしまったので、答える機会が無くなってしまったのだった。きっと少女が“彼”に抱いた疑問と同じくらい、“彼”には少女が何をしているのかが不思議なのだろう。
正直なところ、少女も自分が何をしているのか分からなかった。もちろん“彼”が寝転がって何をしているのか、という意味で聞いているわけではないことくらいは分かっていた。
少女以外の人間はすでにこの崩れ去った街を離れている。少女は一人だけこの街に残った。自分でもなんで残ったのかが分かっていないほど残ったことが不思議だった。
「いかなくていいの?」
“彼”が質問を変えた。いく、という単語は、“彼”がどんな漢字を充てて言ったのかは表面上は理解していたが、あえて知らないふりをした。もし完全に理解してしまったらこの街を離れなければいけない気がした。
「もしかしたらもうちょっとだけこの世界に浸っていたいのかも」
「なるほどねー」
少女のずぼらなその答えで“彼”は満足したかのように頷いた。それ以上聞く意味はないことを“彼”は分かっていたのかもしれない。だって少女がここにいる理由はそんな曖昧なものでも成り立ってしまうものなのだから。
その時風が強く吹いて、“彼”が寒そうに身を強張った。ぶるぶると震えて“彼”は風に耐えた。彼女が寒さなど何事もないように見ているのが申し訳ないほど、“彼”は寒そうだった。
寒い風から身を守るものを着ていない“彼”のために、彼女が自分の被っていた帽子で風避けを作った。もちろんそんなもので風を防げる訳はないが、単純な気持ちの問題。
彼女は自分のその作品の出来を満足そうに笑った。“彼”は感じていた寒気を当てられたことが恥ずかしかったみたいで、「ありがとう」と小声で呟いた。実際には風を全く防げていないのにも関わらず。
きっと“彼”は優しいのだろう。
にっこりと笑って、寝転がったまま“彼”を見た。細い長い胴体に支えられて一人で立っている“彼”は何となくたくましく見えた。
多分“彼”はここで生まれてからずっと独りぼっちで毎日を過ごしてきて、友達を作る楽しみも家族と共に過ごす喜びも味わったことがないのだろう。
今、“彼”の見ている世界にはコンクリート片しかなくて、何も喋ることのないその塊を眺めて暮らしている気分はどうなんものなのだろう。
遅れながら先程の“彼”の慣れれば平気、という言葉の意味を考えた。寂しさに慣れるというのは彼女には分からない感覚だったが、慣れれば、というのは、寂しくないとイコールではないだろう。
「私は寂しいよ。すごく寂しい」
風が収まった。軽い彼女の帽子はやっぱり風に揺られても吹き飛ばない以前に、微塵も動くことはなかった。
それを見て彼女は悲嘆してしまった。やっぱり私は死んでしまったのだと。
彼女が『花』である“彼”と喋ることが出来るのも、帽子が風を受けても動かないのも、それは全部彼女の本当の体はこの崩れた街のどこかにあるガレキの下にある。風を受ければ吹き飛んでしまう帽子も、寒さを感じる体も、そんなもの少女には未来永劫戻ってこない。
「私の両親はガレキに埋まった私を助けようともせずに逃げ出してしまったの。私の気持ち分かる?」
「分かるよ」と“彼”は言った。
「僕も昔、君と同じような感じで死んだの。まだ人間だった頃にね」
その最後の言葉に少女はさほど驚かなかった。何となく“彼”からはそんな空気が漂ってきていたのだ。
「やっぱり貴方も人間だったんだ」
“彼”は少し笑って、「もう大昔の話だけどね」と付け加えた。
「僕はもうどこにあるのかもわからない小さな町で、そんな小さな町だからこそ、賊が多かったんだ。その賊に僕は殺されて、お父さんもお母さんも兄妹も誰も僕を助けようとせず逃げてしまったんだ。それで僕は一人だけで死んで、一人でこの場所に花として生き返ることに決めたんだ。もう誰かに見放されるのは嫌だから」
“彼”のその言葉には“彼”の強い決心が現れていて、今更少女がとやかく言える権利はどこにもなかった。でも少女にはその決心は悲しいものに聞こえた。誰にも頼らずに一人で生きていくことを選ぶのは簡単じゃない。少なくとも少女には無理だ。
少女は生前、恵まれた環境に生まれ、何でも親にやってもらえて、望むものは何でも手にすることができた。友達もたくさんいたし、誰とでも仲良くすることができた。でもそれゆえに一人では何も出来ないことを少女は知っている。だから素直に“彼”をすごいと思った。
「ねえ」
それを知って少女は一つ“彼”に提案した。
「何?」と“彼”は聞いた。
「もし私が生まれ変わったら貴方のそばにいていい?」
自分のポリシーを粉々に破壊する無遠慮な質問に本来なら“彼”は怒っていたのかもしれない。でも少女も“彼”と似た境遇で死んだ人間だった。きっと”彼”なら許してくれるという自信があった。
案の定“彼”は突き放すことはしなかった。代わりに条件をつけた。
「もし僕が何かで怒ったら、君の分の養分まで吸いとって君を殺すかもしれないよ? むしろそうなると思う」
“彼”はそう言えば、少女は不満を言うかもしくは諦めるだろうと、“彼”は思っていた。もしそうなら完全に突き放すつもりだった。もちろんそれならそれでよかった。
しかし少女の答えは予想を裏切るものだった。
「いいよ。貴方に殺されるならそれでもいい」
あまりに間に迫った、リアリティーなその答えに“彼”は戸惑った。
結局出てきたセリフは、「好きにして」
というものだった。
ここは商業の豊かな街。街の至るところに店が立ち並び、大勢の人で賑わっている。
その街の片隅に大きなタンポポの花が咲いている。その横には寄り添うように小柄なタンポポが咲いている。
その他にこの辺りで咲いているタンポポはおろか、何かの花もない。
毎年春になると決まってその場所に咲く2房のタンポポにはいつしか名前がつけられた。
おしどり花、と。




