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五回目






 それから、オレは、少しは変わったんじゃないかな。


 ジュリオにも、そう云われた。


 陛下の表情も、なんとなくだけど、やわらかくなったような気がする。




 久しぶりの休養日だった。


 オレは一日かけて、作りかけの木彫りをやってしまおうって計画を立ててた。


 ジーンはオレの休みに合わせて休みをとってるから、多分庭の離れにいるんだろう。


 遊びに行きたい気持ちはあったけど、ジーンのことだから、勉強してるかもしれないし。


 だから、オレは寝室の外の露台に胡坐を組んで、木を削ってた。


 あたたかい陽射しと、やわらかな風、小鳥たちのさえずり。


 そんなものを感じながら、二年前からずっと滞ってたオオカミの仕上げにかかった。


 どう考えても強度が今一なんだけど、彫ってしまったからな。飾りくらいにしか使えないのはわかってたから、刃の部分も木で掘り出して、柄にくっつけてしまおう。どうせ置物にしかならないんだし、強度はあまり関係なくなるだろうから細かく手を入れてしまえって目論んでいたんだ。


 ああ、やっぱ、オレって、こうやって木を削るのが好きだな。


 いろんなことを忘れられる。


 そうやって、どうにかオオカミの毛並みが満足行く出来になったときだった。


 テルマとかいったと思うんだけど、オレの侍従の中で一番年嵩の男が、声をかけてきたんだ。


「失礼いたします。ジュリオさまがお見えになられております」


 どういたしますか――――と、言外に訊ねられて、オレはしぶしぶ腰を上げたんだ。


「あ、これ、触らないで」


 軽く頭を下げるテルマに、オレは、オレの居間の向こうにある応接室に先導された。


「兄上」


 陶器の碗を傾けていたジュリオが、オレを認めて、椅子から立ち上がった。


 ずんずんと近づいてきて、


「遊びに行きませんか」


って、オレの耳元で悪戯そうにささやいたんだ。


「………どこへ?」


 オレは、ジュリオを見上げた。


 こちらへ――と、オレの手をとって、さっきまで座ってた椅子の向かいにオレを座らせる。


「ああ、呼ぶまでさがって」


 軽く手を振って、ジュリオはテルマをさがらせた。


 命令するのも、さまになってる。


 オレとは雲泥の差だ。

 

「どうぞ」


 ジュリオが、手ずから茶を淹れてくれる。


「あ、ああ」


 勧められるまま、碗を手にした。


 ぷんと、お茶のいい匂いが鼻先をかすめる。


「それで、どこに行くって?」


 一口啜ってから、オレは、口を開いた。


「兄上がここにいらしてから、二年になりますよね」


「ああ」


 首をかしげる。


 わかってることだろ。


 何を今更。


「城から出られたことってありませんでしたよね」


と、にっこりと笑った。


 艶然――ってやつかなぁ。


 背中がぞくりとするくらい、色っぽい。


 オレより、二つも下なのにな。


 絶対、知らなけりゃ、オレのが年下に見られるに違いない。


「出たことはないけど?」


 まさか――って、遅まきながら気づいた。


 悪戯そうな笑いの正体を―――だ。


 気分転換とか、たまには外の空気も吸わないととか云われて、その気になった。


 そろそろ昼時ってころだったから、近くの森にでも馬で出かけて、そこで飯を食べるくらいかな――って、承知したんだ。


 けど。


 おしのび――ってやつだった。


 表向きは、たしかに、ジュリオとジュリオの乳兄弟と三人で王宮から比較的近くの森に馬で出かけるということだったんだ。


 その実は、城下にくりだすというものだった。


 ジュリオの友人であるらしい貴族の家に立ち寄って、馬を預けた。


 王宮の馬はどれも立派だから、町に連れてゆけば目立ちすぎるのだそうだ。


 その貴族の厩には、下級騎士が飼うていどの馬というのが数頭揃えられていて、あらかじめそれを借り受けるという話をつけていたらしい。


 服装も、馬に相応しいものを準備してもらっている。


 この手際のよさからすると、ジュリオはおしのびの常習犯らしい。


 カルスタというらしい、ジュリオの乳兄弟が供だった。


 ジュリオよりも五つ年上ということだ。彼は、つねに鍛錬を怠らない騎士の鑑に相応しい、立派な体躯をしている。


 男なら、あんな体格だったらいいのにと、絶対あこがれるだろう。


 むっつりと黙りこくっているのは不機嫌なのか、それとも、元々がそういう性格なのか判断しにくいが、あえて訊ねることはやめておいた。


 こっちこっち――と、こども返りしたかのようなジュリオについて歩きながら、オレは人混みに酔いそうだった。


 気軽に下町に足を運んだジュリオに、オレは、驚いてた。


 いくらおしのびといったって、ジュリオは王子だから、もっと貴族たちと付き合いがあるような町に行くのかと思ったのだ。けど、そういうと、ジュリオは、


「そんなとこ行ったら、ばれちゃうでしょう」


と、砕けた口調で言って笑う。


 そういえば、そうかもしれない。


「兄上とは違って、僕の顔は結構知られてるんだ」


 へらりという。


 贈り物を買いにいったりしてるしね。


「自分で?」


 ―――行ってもいいのか。


 母さんと父さんの誕生日になにか贈ろうと考えてたけど……。


 オレの考えてることを読んだみたいに、


「あ、兄上は、駄目だと思うよ」


「は?」


「僕の場合は、一応父上公認なんだけど、兄上が何か買おうと思ったら、店主を城に呼ぶことになるだろうね」


 父上に聞いてみるといいよ。多分、そう仰られると思うよ。


 そんなことを、さらりと云ってくれた。


 そこで、ふと、思い至った。


「じゃあ、オレがしのびで出たなんて、陛下……父上がお知りになられたりしたら」


 真っ青になる。


 咄嗟に帰ろうかと思ったが、


「知られないためのしのびでしょう」


と、へろりと返されて、なんか、オレの頭の中は、真っ白になってた。




 所詮オレは田舎者だ。


 育ったのは、辺境の森の中だし。


 両側にびっしりと露店が並ぶ細い道に、ごった返す人の群というのには、慣れていない。


 ひととぶつかるたびに謝りつづけ、相手を通そうと同じほうに動きつづけたり、背中に力が入りすぎて、今にも攣りそうだった。


 オレは、やっぱり、屋根の下のほうが合ってる。


 つくづくそう思った。


 ジュリオは難なく買い物したり、店を冷やかしたり、楽しそうだ。


 こんな人混みを掻き分けての買い物なんか、したことない。


 辺境の祭は、はるかにささやかだ。


 こんなひとの賑わいは、ない。


 いったいどこから現われるのか、ひきもきらないひとの群だ。これが、王都の下町の日常なのだという。


 いつの間にか、オレは、ひとごみから外れていた。


 無意識に避けて、こうなったらしい。


 不思議とひとの気配のない路地裏で、オレは、途方にくれていた。


 建物と建物の間ではあるらしいが、勝手口も窓も見当たらない。


 薄暗くまっすぐの、細い道だった。それでも、あちらこちらに脇道が見える。


 これ以上脇道に入りでもしたらどうなるだろう。いやな予想に、オレは、首を振った。


 ぼさっとしていないで、とにかく、元の道に戻らないと、ジュリオにもカルスタにも、迷惑がかかるに違いない。


 方向転換をした。


 そこで、オレは息を飲む羽目になったんだ。


 オレよりも頭ひとつ以上高い位置にある一対の灰色の目が、オレを見下ろしていたからだ。


 それが、まるで、喉元に当てられた白刃ででもあるかのような錯覚に、オレは、その場から駆け出したい衝動と必死になって戦っていた。


 カルスタは、オレを嫌ってるんだろうな。


 漠然とした感覚はあった。


 それが、抜き身の刃とも思えるほどの嫌悪だったなんて、咄嗟に信じられなくて、オレは、どうしたらいいのかわからなくなったんだ。


 カルスタに嫌われるようなことをやった覚えなんかない。


 だいたい、喋ったことさえ、数えるくらいなんだ。


 薄ら寒い沈黙を破ったのは、


「兄上、こんなところにいらしたのですか」


 ジュリオの明るい声だった。


「カルスタ。兄上を見つけたらすぐに戻ってくれないと。時間に遅れるだろ」


 そういうジュリオの手には、花束がひとつ、それときれいに包まれた小さな包みが握られている。


 謝罪を告げる硬い声を聞きながら、オレは、ジュリオに手を引っ張られて、そこに連れて行かれたんだ。




 そこは、町外れの広場らしいところだった。


 らしいというのは、今は大きな、しかし粗い造りの建物がひとつぽつんとあるからだ。


「ここは?」


「劇場です。といっても、王立劇場ではなく、町場の興行主が掛けるものですけどね」


 一緒にきてくれますね?


 訊ねられて、オレはうなづいていた。


 慣れたようすで裏口から入ってゆくジュリオの後に、オレはついて行った。


 仕切られた小部屋に声を掛けて、ジュリオが入る。


 甘い化粧のにおいに、かすかな花のかおりがまじっていた。


 立ち上がってオレたちを、というより、ジュリオを出迎えたのは、ひとりの女性だった。


 二十歳は過ぎているに違いない。目鼻立ちの一つ一つが大きく印象的な、彼女は決して美女というのではなかったが、野性的なという表現がしっくりするだろう。


 恥ずかしいほど少ない布地のドレスは舞台衣装は、その女性らしい肢体を惜しげもなく強調している。


 赤く塗られたくちびるに、


「ジュードさま」


 蠱惑的な笑みが刻まれた。


 年の割には大人びて見えるとはいえ、ジュリオはまだ十四才なのに、ふたりはオレの見ている前で、濃厚なくちづけを交わすのだ。


 目のやり場に困るとは、このことだろう。


 オレって邪魔者。


 カルスタがドアの外で待っている理由がよくわかった。


 けど、だから、オレは、外に出るのがいやだった。嫌われてるって知ってるのに、隣で並んでなんかいられない。だから、オレはこの場で、真っ赤になってたんだ。


 背中は向けてたけどな。


「兄上。もういいですよ」


 笑いを含んだ声だった。


「カリー。僕の恋人です」


 ジュリオと同じくらいの背の高さのカリーの肩を抱いて、ジュリオが紹介する。


「こいびと?」


 衝撃――いや、びっくりっていうのが、しっくりくるか。


 名前すら本名を教えていないっていうのに、それでも、恋人なのか?


 そんな疑問もあった。


「カリー。僕の兄ですよ」


 にこやかなカリーは、


「いつも、ジュードさまにはよくしていただいていますの」


 今日は楽しんでいってくださいね。


 まぶしいばかりの歓迎だった。


 派手な舞台だった。


 もちろん、派手なばかりじゃない。


 観客を楽しませるつぼはすべて押さえているのだろう。


 客たちは、わき目も見ずに、舞台に食い入っていた。


 舞台の中央で、ひときわ人目を引くカリーは、まさに劇場を支配する女王だった。




 熱に当てられた気分だった。


 ぼーっとなって、何をしても身が入らない。


 陛下の目も、ジーンの目も、オレを見るたびに、いぶかしんでいるようだった。


 けど、


 なにがあった――


 聞かれても、オレにも何がどうしたって、わかってなかったんだ。


 いろいろ考えて、ジュリオに連れて行かれた劇場が原因だろうっては思ったんだけど。


 それの何がこんなに気もそぞろにしてしまうんだろう。


 カリー?


 ジュリオの恋人が?


 気に入ったんだろうか。


 好きになったんだろうか。


 弟の恋人を?


 そんなばかな。


 いくらなんでも。


 気になって、確かめたくて、次の休日、オレは、ひとりで城を抜け出したんだ。


 勇気が要った。


 オレは、ジュリオとは違うから、それとなく助けてくれる友人なんていない。


 だから、服装ひとつ替えるのも大変で。徒歩を覚悟した。


 朝早く、遠駆けしてくると侍従に告げて、出たんだ。


 お供を――って声が聞こえたけど、無視した。


 無視したことが、どんな騒ぎにつながるかなんて、考えてもなかった。






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