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三回目





 アルシードに住む者なら、失われた世継ぎの君のことを知らないものなどいはしない。




 十三年前。




 遠く王家の血を引く姫との間に生まれた王子は、身分の隔てなく開け放たれた国王の居城の露台で、国民の祝福を受けた。


 それは、間違いなく、その王子こそが王位継承権第一位、未来の国王に他ならないという披露目だった。


 しかし、その夜、厳重な守りを誇る王宮から、王子は何者かによってかどわかされたのだ。


 切れ者と評判の国王が手をこまねくはずもなく、すぐさま国中に探索の手は放たれた。


 しかし。


 その夜以来、アルシードの世継ぎの座は空席のままであるのだ。








 テオじゃなくオイジュスと呼ばれるようになってからも、みんなを名前で呼ばなけりゃならなくなってからも、三年が過ぎた。


 迷子になるみたいに広い館をぽんと贈られて、僕のものだといわれた日が、はるかに遠いように思える。この館が、皇太子だっていう僕だけのためのものだって知って、どれだけ驚いたかしれやしない。


 あれからずっと、自分にのしかかってきた信じられない現実に、僕は、今でも押しつぶされてしまいそうだ。




 三年前のあの日。


 僕は、一足先に王宮に戻っていた陛下によって迎えられた。


 父だという実感も沸かないまま、僕は、これから僕が暮らすのだという皇太子の館に案内された。そこは広い城内でも、王さまが日常的に生活する城にほど近い、日当たりの良い館だった。規模で云うなら王さまの居城の三分の一くらいだろう。それでも、あの辺境の領主の館くらいはありそうで、僕は、自分の環境の変化にめまいを覚えるだけではすまなかった。


 事実、翌日からの二日間を、僕は、初めての館のベッドで過ごしたのだから、情けない。


 僕の看病をしてくれたのは、母さんだった。


 僕の家族もまた、ここに迎えられた。僕の乳母とその夫、それに、僕の乳兄弟というのが、みんなに与えられた役割だった。館の敷地に小さな家を一軒構えて、みんなはそこで暮らすらしい。


 こんなこと陛下に知られたら、やっぱりやばいかなって思うけど。僕にとっての家族は、どうしたって十三年間一緒に暮らしたみんなだから、僕は、ただ、みんなと別れずにすんでよかったと単純に喜んでいたんだ。それに、兄さんのこともある。兄さんの名前はジーンっていうんだけど、かなり頭がよくって、ちゃんとした勉強をさせたいって、母さんも父さんも考えてたらしいんだ。でも、田舎じゃあ、な。あんま裕福じゃないから都会で勉強をさせるって云う踏ん切りもつかなかったらしい。それに、流れの民って家族は一緒に暮らすんだって云うのが伝統らしいんだよな。僕だって、離れるなんて、考えたことなかった。


 ―――ともあれ、僕の熱は三日目になって下がった。要は、環境の変化に、神経が疲れたって云うことだったから、重病ってわけじゃないんだよな。


 起き上がれるようになった僕のところに、陛下からの使いだってひとが来てさ、僕を陛下の居城に案内してくれた。


 僕のところが一番近いって云ったって、それでも結構歩かなきゃならなかった。

 

 そうして、僕は、陛下にとある部屋へと案内されたんだ。


 ひとの気配の感じられない部屋だった。


 女性のものらしいやわらかな色調で整えられた繊細な部屋の中、咲き初めた春の花がやさしい香を漂わせている。


「后の部屋だ」


 陛下の声は、穏やかだった。


 まるで大切な宝物でもあるかのように、目を細めて室内を眺めるさまに、陛下がどれだけこの部屋のひとを愛しているのかがわかるような気がした。


「オイジュス」


 肩を抱かれるようにして導かれ、連れて行かれたところは、その奥の部屋だった。


 扉ではなく、豪奢な織物が、矩形に刳り貫かれた出入り口にかかっている。


 織物をめくった途端馥郁とたちのぼったその香に、僕は、ほんの少し、めまいを覚えた。


 なぜだろう。もちろん僕には、その匂いをかいだ記憶なんかない。


 なのに、懐かしいんだ。


 胸の奥に熱いものが溜まり、せりあがる。


 部屋の真ん中にベッドがあった。


「そなたは、この部屋で生まれたのだ」


 支柱に支えられた天蓋から垂れ下がる帳はやさしい春の色で、軽やかな刺繍が縫い取られている。


 居心地のよさそうな室内だった。


 まるで今にも帳の奥から、僕の母だという顔も知らない女性が手を差し伸べてくれそうだった。


 そのやさしい声さえも耳の奥によみがえるかのようで、僕は、顔を伏せた。


「そうして、ここから、攫われた」


 陛下が帳を掻き分けると、そこには小さな、それでいてみごとな細工の、ベッドがあった。


 中にはなにもない。


「后は、そなたの帰りを待ちわびて、そうして、やがて、はかなくなった」


 今は、お前の帰還を喜んでいるだろう。


 そういいざま、陛下は太い金糸の紐を引いた。


 ベッドの足元のほうの壁に掛けられた織物が、するすると左右に分かたれてゆく。


 そこに現われたものを見て、僕は、目を見張った。


 そこには、壁一面の画布に女性の全身像が描き出されていた。


「そなたの母、ユゥフェミアだ」


 窓越しの陽光が画布を照らし出す。


 淡い緑色のドレスが、そのひとの印象をやわらかく彩る。


 小作りの白い顔を際立たせる濃い目の褐色の髪はかるいうねりを見せて豊かに流れ落ちる。褐色のまなざしが、春の花の色に塗られたふっくらと小さなくちびるが、僕を見てやさしく微笑む。それなのに、小ぶりの冠も細く華奢な首を取り巻く真珠の首飾りも、手首に巻かれた腕輪さえも、そのひとにとっては、重い枷のように見えたのは、なぜだろう。


 王妃さまといわれてつい想像してしまうような、人目を引く美女ではなかった。一幅の絵だというのに、その全身から漂う穏やかそうな雰囲気が、いつまでもそのひとの傍にいたいと思わせる。


 やさしそうな。


 おだやかそうな。


 心地好さそうな。


 このひとの傍にいたかった。


 その刹那、僕は、育ててくれた両親も兄も忘れていた。


「泣いているのか」


 目元を拭ってくれた陛下の指の感触に、僕は、我に返った。


「暫し待て。お前の屋敷に複製画を届けさせよう」


 陛下はそのことばを忘れることなく守ってくれた。


 あれから一月ほどして届けられた肖像画を、僕は、陛下が言うように寝室に掛けてもらった。


 三年、朝晩眺めているけど、やっぱり、自分の母さんだって思えない。


 髪とか瞳の色は似てるけど、でも、顔が似てるなんて思えない。


 まぁ、僕は、あまり体格がいいほうじゃないけど。うん。母親が違う二つ年下の弟に、負けてるけどな。


 だからって、女に見えるなんて云われたことない。


 オレが陛下の子供だっていう証拠は、陛下が生まれたばかりのオレの首にかけたって云うあの指輪だけなんだ。


 オレは、知ってる。


 オレが本当に陛下の息子なのかどうか、疑ってるひとがたくさんいるって云うことを。


 定住していないってことは、その国に税を落とさないってことでもあるから、どこの国でも、流れの民は、あまり、歓迎されない。


 だから、そんなのはただの嫌ごとだってわかってるけど。


 でも。


 流れの民は装飾品に目がないからな。道端で死んでいた子供の首からでも金目の物を奪って自分のものと言い張ってるんじゃないのか――――。


 聞いたとき、目の前が真っ赤になった。


 装飾品に目がないわけじゃない。普通に定住して暮らす町や村のひとと違って男も女もが少々過剰と思えるほどに装飾品をつけてるのは、それが持ち運びが簡単で換金しやすいからなんだ。そりゃあ、いつも身に着けるものだから、それなりのこだわりっていうのがあるのは事実だけど。


 オレは流れの民の生活を本当に知っているってわけじゃない。けど、そんなふうに謗られるのは、いい気持ちのするもんじゃない。


 陛下が誰よりも先にオレを自分の息子だと認めたってことで、声高に云うってわけじゃないけど、悪口って、やっぱり自然に耳に入ってくる。


 悔しかった。


 オレは、別に、王さまになんかなりたくない。


 王さまに向いてないって、知っている。


 ふさわしくなんかないんだ。


 それは、誰に言われるまでもない。自分で嫌ってくらいわかっている。


 陛下はまだ若くて元気だけど、いつかはオレがあとを継がなければならなくなる―――――なんて、絶対無理だ。


 オレは出来るかぎりはがんばった。


 今だって、がんばってる。


 でも、オレは、木切れを削ったり彫ったり、そんなことが好きなんだ。


 なのに、今のオレときたら、毎日決められた時間割に縛られてて、木切れに触れるのは、陛下と摂る夕飯の後と風呂の前までのほんのちょっとの時間だけ。それだって、勉強や剣やら弓やら馬を習った後は疲れきってしまってて、木切れを握って彫刻のための道具を取ってってやってるうちに眠ってしまってたりするんだ。情けないよな。


 こんなところにいるのは絶対間違いだって、毎日痛いくらいに感じてて、十六の男が、泣きたくなるんだ。


 十六なんて、町や村にいれば、働いててあたりまえなのにな。


 こんなんじゃ、城の外で暮らすことも無理だ。


 中途半端なんだ。


 こんなオレと比べるんだから、母親違いの弟のジュリオのほうが、よっぽど皇太子らしい。


 彼とオレとを比べる周囲の死線は冷ややかで、オレは消えてしまいたくなる。


 流れの民なんかに育てられたからだ―――皇太子らしくない振る舞いや失敗をするたびに、誰かがそんなことをつぶやく。


 オレが云われるのは、もう、仕方ないって思うけど、それは、同時に母さんたちが謗られることだから、オレにとって、とっても痛い言葉だった。


 だから、オレは、二年前に、決意したんだ。


 十四にオレがなる本当の誕生日に、なにか望みがあるかって陛下に訊かれて、お願いした。


 みんなを城から出してください―――って。


 あの懐かしい辺境に、みんなを帰してください―――――って。


 母さんと父さんとに、この城の生活が、合っていないのもわかってた。オレが失敗するたびに、流れの民を悪く言うことばが母さんや父さんの耳に入るのが、辛くてならなかった。母さんたちにごめん――って、言いたくて、でも、言えなくて。そんなオレを、ジーンが、そっと誰もいないところで、慰めてくれる。昔みたいに抱きしめてくれるんだ。


 ジーンは残ると云ってくれた。オレのためだけじゃなくって、自分が残りたいんだって。


 母さんも父さんも、そうしたらいいと、言ってくれた。


 オレを独り残すのは、辛いから―――声に出しては云わなかったけれど、オレには伝わった。


 ふたりは、いつだって本当に、ジーンと分け隔てなく、オレを愛して育ててくれたんだから。オレも、みんなのことが本当に、大好きなんだから。


 陛下は、叶えてくれた。


 みんなが一生生活に困らないように、色々と心を配ってくれた。


 だから、オレが母さんと父さんとに会ったのは、二年前が、最後だ。


 そうして、オレがふたりに会うことは、なかったんだ。


 ――――――もう、二度と、ありはしなかったんだ。






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