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二回目





 やがて、


「これをどこで手に入れた」


 深く低い声が、僕に訊ねてきた。


 何かを堪えているかのような、声だった。


 どこでと言われても、困る。中身なんか知らないまま、ずっと、僕のものだったんだから。


「歳は」


 十三になったばかりだ。


「そうか」


 誰ひとりとして、口を挟まない。


 男の次の言葉を、周囲は固唾を呑んで、ただ待っている。


 いったいこの男は、誰なんだろう。


 それは、今更な疑問だった。


 狩猟用の膝丈の上着は、濃い葡萄色をした極端に毛並みの短い毛皮のように艶めいている。腰を絞る帯は金の刺繍も豪華で、留め金の飾りは透かし彫りもみごとな銀細工だ。膝までの長靴はやわらかそうななめし革で、膝のところにはたっぷりとした毛皮がついている。その毛皮は、羽織ったマントと同じもののようだったし、マントを肩に留めるブローチは、腰帯の留め具と同じ細工だ。


 きっと、どこかの貴族の殿さまなんだろう。


 そんなひとが、どうしてそんなに食い入るように僕を見るんだろう。


 盗んだとでも思われてるんだろうか。


 だとしたら……………。


 逃げたしたい。


 けれど、そんなことができるはずもなく。


 やがて男が動いた。それにつられて、僕の全身が情けないくらいに震える。


「カリム」


 後ろに控えている男を呼び、なにごとか指示を下す。


「しばし、つきあうよう」


 男の命令に逆らうことなんか、僕に出来るわけもなかった。


 なんともわからない空気が漂う中、連れて行かれたところは、領主さまの館だった。


 扉が開くとずらりと並ぶ召使たちの中央に立った領主さまが、男に、緊張した礼をとるのを、僕は信じられないものを見る思いで見ていた。


 こんなにも領主さまが慌てるこのひとは、いったい。


 正体が知れないことと、このあと自分が家に帰れるのか。そればかりが頭の中をぐるぐると回りつづけている。


 カリムと呼ばれていた男が進み出て、領主さまに何かを告げた。


 領主さまは始めて僕に気づいたみたいだった。そのまま召使になにかを命じている。それは、どうやら、僕に関することらしかった。なぜなら、しばらくして一人の女中が、僕を奥の湯殿まで案内してくれたからだ。


 そのまま湯を使わされた。


 呆然としている間に服を剥ぎ取られて、湯船に浸らされたのだ。


 女のひとに全身を洗われるという経験は、めちゃくちゃ衝撃的だった。茹ったようになっている僕は、からだを拭われて新しい服に着替えさせられたんだ。そのころには、もう、精神的にも肉体的にも僕はへろへろになっていた。


 断罪されるだろう人間が、なんで湯を使って服を着替えさせられるのか――なんていう疑問は、欠片も湧いてはこなかった。


 今まで着たことがない綺麗で着心地の好い服は、逆に僕の不安を掻きたてるばかりだった。


 帰りたい。


 父さんや母さんや兄さんのことばかり考えていた。


 いつもならとっくに戻って野草を洗ったり、一段落ついたら木切れをいじったりしているころだ。


 今はナイフの柄の飾り彫りの練習中だったりする。もう少しで彫り上がるのは、オオカミの頭だ。自分では結構格好良く彫れてると思うんだけど、父さんは強度も考えるべきだっていう。使ってる最中に折れると危ないって。確かにそうなんだけど。彫りすぎるのが悪い癖だってわかってるんだけど。やりすぎちゃうんだよな。父さんに合格だって言ってもらえるのはいつになるんだろう。悔しいけど、がんばるんだ。


 女中の後ろをついて歩きながら、僕はオオカミの次は何を彫ろうか――なんて考えてた。


 あからさまに現実逃避なんだって、自分でもわかってたりする。


 けど、そうでもしていないと、いたたまれないんだ。


 自分の足元と先導してくれてる女中の服の裾を睨みつけて歩いてる。


 どこまで行くのか知らないけど、なにかしら尋常じゃないことが待ち受けているっていうことだけは、感じるんだ。


 帰りたい。


 今日何度目に思ったときだろう。


 ―――こちらです。


 女中が僕を振り返った。


 女中に促されて一歩部屋に踏み込んだ僕は、


「父さん、兄さん」


 叫んでた。


 落ちつかなそうに部屋の中ほどに立っているのは、間違いなく、父さんと兄さんだった。


「テオ」


 兄さんが僕を抱きしめてくれた。


「にいさんっ」


 話しかけてくる兄さんの声に、僕は強張りついてたすべてがほぐれてゆくのを感じたんだ。


 無口な父は、


「心配した」


とだけ云って、僕の頭をくしゃりと撫でてくれた。


 それだけで、僕は泣きそうになってしまった。


「いったいこれは、どういうことなんだ」


 兄さんの青い目が、僕を見下ろす。


「ごめん」


 実は――と、説明しようとした僕は、


「アルシード国王グレンリード陛下であらせられる」


 その言葉に、言おうとしていたことを忘れてしまったんだ。


 アルシード国王グレンリード陛下。


 びっくりなんていうものじゃない。


 王さまなんて、僕らにとっては同じ人間じゃない。雲の上の神さまにも等しい存在だ。


 そんな凄く偉い人がどうして?


 それは、父さんも兄さんも、同じだったに違いない。


 ふたりがその場に這い蹲る。


 僕も彼らに倣おうとした。


 なのに。


 ゆっくりと部屋に入ってきたあのひとは、窓を背にして置いてあるすわり心地のよさそうな椅子に腰を下ろして、僕を凝視した。


 そうして、


「テオ――と、呼ばれているのか」


 味わうような口調で、僕の名前を呼んだんだ。


「近くへ」


 這い蹲ることも出来なくて、なんとも中途半端な格好をしていた僕を、国王へいかが手招いた。


 逆らえない。


 そんなこと、考えられなかった。


 もう、頭の中は、真っ白なんだ。


 ギクシャクとした不様なさまで、僕は、国王陛下の前に進み出た。


 王さまが僕を見る。


 その黒い瞳は石炭のように、奥にいこっている炎を宿しているようだった。


 視線に射すくめられた僕の顎を、王さまが、持ち上げる。


「っ」


 ひっくり返ったような情けない声が、喉の奥で詰まる。


 けど、王さまはそんなこと気にならないようだった。


 ただ、僕の顔をしつこいくらいに眺めて、そうして、


きさきによく似ている」


と、独り語ちたのだ。


 僕にはわからない。


 顎から外れた手が、もう一方の手と一緒に僕を抱きしめてくる。


 わけがわからない。


 誰か説明してほしい。


 後頭部が逆毛立つ。


 心臓が焦ってわめきたてる。


 脂汗がながれて、全身が熱いような冷たいような、なんともいいがたい感覚に捕らわれていた。


「ようやく、我が手にもどったのだな」


 静かな声が、僕の耳を射る。


「オイジュス――我が子よ」


 それは、頭から雷に貫かれたような衝撃だった。


 この日最大の、一生に何度も受けはしないだろう、超弩級の驚愕だったのだ。






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