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予知を伝える吾輩

掲載日:2026/11/05

「虫の知らせ」という言葉がある。


 何かよくないことが起こる前に、理由もなく胸騒ぎがしたり、嫌な予感がしたりすることを、人間どもはそう呼ぶらしい。


 なるほど。


 吾輩が知らせているというわけだ。


 実に重要な役目ではないか。


 まだ起きていないこと。


 目には見えない変化。


 言葉にはできない違和感。


 そうしたものを感じ取り、人間どもへ伝える。


 それが吾輩の仕事なのだ。


 ……とはいえ、人間どもは少々気づくのが遅い。


 いつもと違う音。


 妙な匂い。


 何となく落ち着かぬ感覚。


 吾輩は、そうした小さな変化を懸命に伝えている。


 だが、人間どもは言う。


「気のせいだろう」


「考えすぎではないか」


「そんなことを気にしても仕方がない」


 そうして、吾輩の知らせを簡単に片づけてしまう。


 そして何かが起きたあとになって、ようやく思い出す。


「あの時、なんとなく嫌な予感がした」


「そういえば、妙な感じがしていた」


「もしかすると、虫の知らせだったのかもしれない」


 ……そういえば、ではない。


 その時に気づいてほしかったのだ。


 吾輩は、起きる前に知らせている。


 起きたあとに思い出されても、それでは予知というより答え合わせではないか。


 しかし、たまには気づく者もいるらしい。


 信号が青になった。


 いつもなら、すぐに歩き出すところである。


 だが、その時はなぜか、一歩だけ立ち止まった。


 すると、目の前を自転車が勢いよく通り過ぎていった。


 人間どもは、あとになってこう言う。


「あの時、なぜか足が止まった」


 そうだ。


 その感覚である。


 理由はなくても、何かを感じる。


 いつもと少し違う自分に気づく。


 その時、ほんの少し立ち止まってみる。


 それだけで、見えなかったものに気づけることもある。


 毎回、何かが起きるわけではない。


 立ち止まったからといって、必ず危険を避けられるわけでもない。


 吾輩は未来を正確に言い当てているわけではないのだ。


 ただ、少し気をつけたほうがよいかもしれぬ。


 少し周囲を見たほうがよいかもしれぬ。


 そう知らせているだけである。


 それでも、人間どもは結果を求める。


「何が起こるのか、はっきり言え」


「いつ起こるのか、正確に伝えろ」


「何も起きなかったではないか」


 などと言う。


 無茶を言うな。


 吾輩の知らせは、予言書ではない。


 小さな違和感を知らせる、ささやきのようなものなのだ。


 雲の流れ。


 風の匂い。


 周囲の気配。


 いつもと違う空気。


 そうしたものが重なった時、吾輩は何かを感じる。


 人間どもは、目に見えるものばかりを信じる。


 大きな音がしてから振り返る。


 何かが壊れてから異変に気づく。


 誰かがいなくなってから、その存在の大きさを思い知る。


 だが、世の中には、形になる前の変化もある。


 はっきりした出来事になる前の、わずかな気配もある。


 吾輩は、そこに気づいている。


 だから知らせる。


 ほんの少しの胸騒ぎを。


 言葉にならぬ不安を。


 まだ姿を現していない未来の気配を。


 もちろん、毎回うまく伝わるわけではない。


 せっかく知らせても、気のせいにされる。


 せっかく気づかせようとしても、考えすぎだと笑われる。


 そして、何かが起きたあとで、


「虫の知らせだったのか」


 などと言われる。


 その時になって吾輩を思い出すくらいなら、最初から少し耳を傾けてもらいたいものだ。


 ……まあ、あとからでも思い出してもらえるだけ、まだよいか。


 吾輩の存在が、完全に忘れられているわけではないらしい。


 それに、たまにはちゃんと受け取ってもらえる。


 一歩だけ立ち止まる。


 いつもとは違う道を選ぶ。


 なぜか誰かに連絡をする。


 ふと、周囲を見回す。


 人間どもは、それを自分の判断だと思っているかもしれない。


 だが、その背後には吾輩の知らせがあるのだ。


 ……たぶん。


 まあ、すべてを吾輩の手柄にするのも、少々違う気はするが。


 人間ども自身が感じ取ったものを、吾輩がそっと後押ししている。


 そのくらいに考えておくのがよいだろう。


 信じすぎる必要はない。


 だが、何かを感じた時には、すぐに無視するのもどうかと思う。


 その感覚が正しいこともある。


 何も起きないこともある。


 それでも、ほんの少し立ち止まってみる。


 そのくらいなら、悪くはないだろう。


 吾輩は、これからも知らせ続ける。


 目に見えぬものを。


 まだ起きていない変化を。


 ほんの小さな違和感を。


 それでも受け取ってもらえぬのなら、また別の手段を考えるか。


 何しろ、虫の知らせが無視されてばかりでは、吾輩も立つ瀬がない。


 ……今のは、なかなかうまいことを言ったな。


 まあ、受け取る側にも、もう少し努力してほしいがな。

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