予知を伝える吾輩
「虫の知らせ」という言葉がある。
何かよくないことが起こる前に、理由もなく胸騒ぎがしたり、嫌な予感がしたりすることを、人間どもはそう呼ぶらしい。
なるほど。
吾輩が知らせているというわけだ。
実に重要な役目ではないか。
まだ起きていないこと。
目には見えない変化。
言葉にはできない違和感。
そうしたものを感じ取り、人間どもへ伝える。
それが吾輩の仕事なのだ。
……とはいえ、人間どもは少々気づくのが遅い。
いつもと違う音。
妙な匂い。
何となく落ち着かぬ感覚。
吾輩は、そうした小さな変化を懸命に伝えている。
だが、人間どもは言う。
「気のせいだろう」
「考えすぎではないか」
「そんなことを気にしても仕方がない」
そうして、吾輩の知らせを簡単に片づけてしまう。
そして何かが起きたあとになって、ようやく思い出す。
「あの時、なんとなく嫌な予感がした」
「そういえば、妙な感じがしていた」
「もしかすると、虫の知らせだったのかもしれない」
……そういえば、ではない。
その時に気づいてほしかったのだ。
吾輩は、起きる前に知らせている。
起きたあとに思い出されても、それでは予知というより答え合わせではないか。
しかし、たまには気づく者もいるらしい。
信号が青になった。
いつもなら、すぐに歩き出すところである。
だが、その時はなぜか、一歩だけ立ち止まった。
すると、目の前を自転車が勢いよく通り過ぎていった。
人間どもは、あとになってこう言う。
「あの時、なぜか足が止まった」
そうだ。
その感覚である。
理由はなくても、何かを感じる。
いつもと少し違う自分に気づく。
その時、ほんの少し立ち止まってみる。
それだけで、見えなかったものに気づけることもある。
毎回、何かが起きるわけではない。
立ち止まったからといって、必ず危険を避けられるわけでもない。
吾輩は未来を正確に言い当てているわけではないのだ。
ただ、少し気をつけたほうがよいかもしれぬ。
少し周囲を見たほうがよいかもしれぬ。
そう知らせているだけである。
それでも、人間どもは結果を求める。
「何が起こるのか、はっきり言え」
「いつ起こるのか、正確に伝えろ」
「何も起きなかったではないか」
などと言う。
無茶を言うな。
吾輩の知らせは、予言書ではない。
小さな違和感を知らせる、ささやきのようなものなのだ。
雲の流れ。
風の匂い。
周囲の気配。
いつもと違う空気。
そうしたものが重なった時、吾輩は何かを感じる。
人間どもは、目に見えるものばかりを信じる。
大きな音がしてから振り返る。
何かが壊れてから異変に気づく。
誰かがいなくなってから、その存在の大きさを思い知る。
だが、世の中には、形になる前の変化もある。
はっきりした出来事になる前の、わずかな気配もある。
吾輩は、そこに気づいている。
だから知らせる。
ほんの少しの胸騒ぎを。
言葉にならぬ不安を。
まだ姿を現していない未来の気配を。
もちろん、毎回うまく伝わるわけではない。
せっかく知らせても、気のせいにされる。
せっかく気づかせようとしても、考えすぎだと笑われる。
そして、何かが起きたあとで、
「虫の知らせだったのか」
などと言われる。
その時になって吾輩を思い出すくらいなら、最初から少し耳を傾けてもらいたいものだ。
……まあ、あとからでも思い出してもらえるだけ、まだよいか。
吾輩の存在が、完全に忘れられているわけではないらしい。
それに、たまにはちゃんと受け取ってもらえる。
一歩だけ立ち止まる。
いつもとは違う道を選ぶ。
なぜか誰かに連絡をする。
ふと、周囲を見回す。
人間どもは、それを自分の判断だと思っているかもしれない。
だが、その背後には吾輩の知らせがあるのだ。
……たぶん。
まあ、すべてを吾輩の手柄にするのも、少々違う気はするが。
人間ども自身が感じ取ったものを、吾輩がそっと後押ししている。
そのくらいに考えておくのがよいだろう。
信じすぎる必要はない。
だが、何かを感じた時には、すぐに無視するのもどうかと思う。
その感覚が正しいこともある。
何も起きないこともある。
それでも、ほんの少し立ち止まってみる。
そのくらいなら、悪くはないだろう。
吾輩は、これからも知らせ続ける。
目に見えぬものを。
まだ起きていない変化を。
ほんの小さな違和感を。
それでも受け取ってもらえぬのなら、また別の手段を考えるか。
何しろ、虫の知らせが無視されてばかりでは、吾輩も立つ瀬がない。
……今のは、なかなかうまいことを言ったな。
まあ、受け取る側にも、もう少し努力してほしいがな。




