第一話 プロローグ
小さな声がする。
いや、これは声ではない。
小さくか細く、尚且つ人の声ではないナニカ。
洞窟に木霊し、反響せしめるナニカ。
それは目を覚ますその瞬間を、いつまでも、いつまでも待ち続けている。
Tz……Tz……Tz……Tz……Tz……Tz……Tz……Tz……Tz……Tz……Tz……Tz……
「怖い」
そう、誰かが言った。
しかしそれは明かりが灯った瞬間、別の感情に変わる。
「私でも、倒せるかも」
嘲笑と油断が混じった、濁った何かに。
それでも別に構わない。
そう、ナニカは祈っている。
ナニカを変える存在を。
一生を紙くずとして生きる定めのナニカを、根本から、それこそ骨の髄……魂さえ書き換える存在を。
ナニカは今も待ち続ける。
数多いる眷属が、一方的に屠られているのを見続けながら。
いつ、自分の番が来ても良いように。
西暦2025年
世は大波乱を極めていた。
母国は人口減少を続け、感染症や公害、災害などの問題も出てきている。
と言っても、普通の生活は続いていくが。
何をしていても大抵はお腹が空くし、感情は揺れていく。
何処に居ようが何をしようが、そういった世界の姿は変わらない。
僕は自転車のサドルから腰を浮かせて、そんな事を考えていた。
世界は、恐らく永遠に変わること無く、退屈に支配されていくと知りながら。
へルメットの中でかいた汗が、顎の上を伝っていくのさえ無視して。
別にそれは悪いことじゃない。
至って平凡で、普通の人生。
ガコンッ。
チェーンが時たま起こす不具合が、僕の体のバランスをいとも簡単に崩す。
浮かせていたはずの腰はいつの間にか頭と同じくらいの高さまで下がり……いや、これは頭が下がっただけか。
自転車の部品全部がバラバラに崩れ去っていく錯覚と、奈落に落ちたかのような絶望感。
それらが合わさって、僕に降りかかる。
「うわぁっあ」
地面が顔に向かって来るのを、僕は黙って受け入れる。
馬鹿みたいな表情を浮かべて、ほぼ真っ白な思考を抱えながら。
その時、突然隣から風がやってきた。
周りの空間をえぐり取りながら進む自転車が、僕の真横を通っていく。
僕が転ぶよりも遥かに早く、僕の自転車の横スレスレを狙って。
その風の余波で、僕は道路側へあっけなく倒れた。
「?」
雨が、目の中に入っている。
妙にうざったらしくて拭おうとしても、何も動かない。
だめだ、なにも見えない。
この理不尽なまでにあふれかえる雨が、唯一の情報さえも奪っていく。
何が、何が起きたのか。
分からない、分からない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ああ、段々と暗くなってきた。
畜生、何にも出来ない。
雨が、どうしようもなく無を押し付ける。
僕は、僕は。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
【木下朱】
種族「低級」コウモリ
HP3
目覚めて一番最初に目にしたのは、この表示だった。
正直、目を疑った。
というか、一体何のことだと思った。
しかし、それは違う。
暗闇で殆ど見えないので分かりづらいが、僕に今まであったはずの全てが無くなっている。
人並みの太さだった手足、若干痩せぎすの体。
そのどれもが、形を失っている。
代わりに、僕の視界の両端にはほんのお気持ち程度に添えられた羽が一振りずつ生えている。
そしてごくごく小さい撫でやかな体毛が、体中を覆っているのを見て、僕は戦慄した。
「え?」
発声の仕方がわからず、丸の形に開いた口から空気が零れる。




