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帝都空襲

 一部の人間を除き青天の霹靂ともいえる出来事だった。

 いきなりの空襲警報。何が何だかわからないうちに響き渡る爆発音と上がる黒煙。飛び交う飛行機。


 昭和十七年十一月七日のお昼だった。


 東京・横浜・横須賀・名古屋・神戸に現れた飛行機はアメリカ軍機だった。しかも双発の陸軍爆撃機B-25。

 兆候はあった。前日、特設監視艇から複数の空母を含む敵艦隊との遭遇と航空機と艦艇と交戦中という通信途中で通信が途絶した。特設監視艇の推定位置は銚子岬東方700海里。夕暮れ時だったので翌夜明け前に索敵機を飛ばそうという話となっていた。

 のんびりした話だが、それでも各方面へ報告後の軍令部の決定だった。空母艦載機であれば翌翌日にならないと攻撃範囲に入らないという判断の下に。ただ連合艦隊は、横須賀停泊中だった第五航空戦隊と高速発揮可能な艦艇に緊急出航と敵空母の捕捉攻撃を命令。一航戦は呉で休養と整備改装中だった。二航戦は南方で任務中。大型改造空母の準鷹と飛鷹で編成される第三航空戦隊は、長崎沖で母艦搭乗員の練成中。太平洋側で使えるのが五航戦だけ。護衛は金剛が二航戦と共にあり、五航戦の護衛が榛名となっている。



「急げよ」

「艦橋、機関室。全力発揮可能まであと2時間」

「乗員数、現在7割です」

「01:00に抜錨する。それまでにどれだけ戻ってくるか」


 半舷上陸と補給中ということもあり機関の運転率は最低レベルまで落としていた艦が多い。乗組員も上陸してしまって近傍にいるのだろうが、連絡の付かない連中もいる。

 結局、全力出撃出来たのは6割程度の船だった。補給物資が足りない。油が足りない。人が足りない。色々だった。

 

 五航戦と榛名を主力とする艦隊が野島埼をかわって太平洋に出たのは翌日の午前中になった。既に対艦攻撃装備で各機列戦に並んでいる。

 しかし、空振りであった。アメリカ艦隊はB-25発艦後直ちに回頭してハワイに帰っていったのであった。『東方洋上から接近する機体有り』横須賀から報告を受けるがこちらの電探には何も移らない。なおも東進するが先行する索敵機から発見の報無く、午後には本土制空圏への帰投を決めた。



 一方、B-25の一部はタイミングが悪かったとしか言い様がなかった。


東京の場合。

 8機のB-25が爆弾投下後に高度を下げ機銃掃射を行った頃、初めて一部で空襲警報が鳴った。軍関連施設を狙ったようだが、1機だけが成功。他の7機は民間施設を軍施設と誤認し爆撃を行った。  

 帝都全体に空襲警報が鳴ったのは敵機が去った後だった。

 対応出来た高射砲陣地から発射された高射砲弾も全くの的外れな位置で炸裂したうえ敵が見えなくなってもしばらく打ち続けた結果、破片で地上に被害を拡大させた。この破片による負傷者も出ている。

 なお、この8機には遁走を許している。他の襲撃を受け撃墜出来た地域との格差が激しい。

 帝都防空に当たる航空隊にも高射陣地へも対応が指示されておらず、空襲警報がならなかった現実も含めて関係者への厳重な聞き取りと組織全体への査察が行われた。本土、特に帝都防空は陸軍の管轄であり大騒ぎとなった。結果、日本の防空組織や防空体制が形だけで、ある意味役立たずと判明した。




横浜の場合。

 横浜航空隊が目標だったようで成功した。スロープが破壊され修理完了まで運用不能となった。ただ肝心の格納庫は直撃はなく、破片による破損のみで建家自体は無事だった。

 東京同様、爆撃されてから空襲警報が鳴った。高射砲陣地からの発砲は無し。こちらは落ち着いていたようだ、と考えたい。

 1機だったが東京同様、遁走を許している。




横須賀の場合。

 横須賀爆撃を目論み侵入したが、迎撃を受けた。

 当時強風二二型2機が飛行試験を横空で行っていたのである。襲撃の可能性を半信半疑ながらも実弾を詰め飛行審査を行っていた。

 横須賀に空襲警報が出されたのは午前十一時。午前中の飛行試験が終わり整備中のことである。直ちにといっても100リットル程度の給油をされ上空に上がった。上がれたのは1機だった。1機は発動機に問題が出、整備点検中でとても間に合わないと思われたから迎撃からは外された。実績も無い機体と発動機だ。こんなものだろう。

 他には零戦4機が上がれた。他の機体は発動機が冷えており暖気する時間を取られ、上がった頃には間に合わなかった。

 地上からの誘導もどこから飛んでくるのかとか高度はといった情報提供も無く、上がった搭乗員達は漠然と東からだろうと考え観音埼から千葉の上空で待ち構えた。既に試射は済ませた。

 そこにのこのこやってきたのはB-25が2機だった。



 左に曳光弾の射線が見えた。7.7ミリか。見ると零戦が1機右旋回しながら降下していく。あいつが撃ったんだろうな。発見したのか。零戦に較べると動きが重い機体を操り追随すると遙か下方に双発機らしい機体が見える。あいつか?よく見えたもんだ。

 視界の隅に黒煙が上がる。何だ?火を噴いて墜落していく機体が見える。やられたのか?いや、目の前の奴に集中しろ。双発機が見える。先行する零戦は襲撃態勢に入った。後方を確認すると零戦が1機追従してくる。上部銃座からだろうか。7.7ミリには見えない太い火線が連続して撃ち上がってくる。確実に敵機だな。零戦はそのまま敵機の横を急降下して離脱していく。損傷を与えたのだろう。敵機は煙を曳いている。

 俺の番だ。後方確認で追従したままの零戦を見る。俺がしくじっても横空の手練れだ。心配いらん。

 敵機の右上方に占位しながら最終確認を行う。機銃は四丁発射よし。後方の零戦は俺よりも若干上にいる。よし、行くぞ。



 横須賀を狙った2機は撃墜された。損害は損傷1機。防弾装備がなければ確実に撃墜されていただろう被弾跡があった。




名古屋の場合。

 三菱重工名古屋航空機製作所が目標だったようだ。時間的余裕もあり迎撃態勢に入ることができ撃墜出来た。ただ墜落した場所が金山駅北東と悪く地上で建物の被害や逃げ遅れた住民などに多数の死傷者が出る。また国鉄中央線の復旧に2日程度掛かった。




神戸の場合。

 東京よりも時間的余裕があり迎撃態勢に入ることが出来た。明野飛行学校の手練れ8機が手ぐすね引いて待っていた。待っていたがどこにも見えなかった。伊良湖上空高度4000で哨戒飛行をしていたのである。一方高度1000以下で遠州灘洋上を低空侵入をしていた2機のB-25に気が付いた者はいなかった。地上から通報を受けたときには追いつけないほどに哨戒空域を通過されていた。

 2機のB-25は紀伊山脈の大台ヶ原を越えた。順調だった。そこまでだったが。さすがに目撃者が増え各地から不明機体の通報が相次ぐ。目的地は大阪あるいは神戸と思われた。

 出撃準備を整えていた泉の陸軍明野飛行学校分校から8機が迎撃に上がる。隼一型が4機と鍾馗一型甲が4機だった。

 8機は堺上空で接敵に成功。攻撃を開始する。するが、隼一型の7.7ミリ機関砲二丁では攻撃力が不足し4機で寄ってたかって攻撃するも撃墜できず海上に不時着させたのが精一杯だった。もう少しで神戸という大阪湾だった。一方の鍾馗4機も7.7ミリ機関砲二丁と13ミリ機関砲二丁と攻撃力は倍以上であるが、それでも威力不足は否めず撃破には時間が掛かった。機体は堺郊外に墜落。


 堺郊外では墜落場所から古墳が発見された。従来丘と見られていた場所だった。



 神戸手前で不時着の後沈んだ機体を引き揚げ検証した結果、機体はB-25。長距離仕様特装機体であることがわかった。機体には隼から発射された7.7ミリ機関砲と思われる弾痕が多数あったが、致命傷にはなっておらず、捕虜からの聞き取りであまりの被弾で空気抵抗の増大と揚力が不足したことで操縦困難となった。そして負傷者も出ていたので不時着を選んだとわかった。




 陸軍では南方から届く航空機関砲威力不足の報告も有り、重武装に走るのだった。それまでは、腕が悪いから重要箇所に弾が当たらんのだろうという気運もあった。が、これにより事実であるとしっかり内地でも認識された。


隼の機関砲は後方で訓練用にする機体ということでホ103に換装されていません。この事件後大慌てで後方の機体にも順次換装が始まるはず。生産力があれば。

次回更新 8月6日 05:00

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