変わる戦略
二式陸攻の短くなった航続距離は、九六中攻と同様の長い航続距離を元に立てられた最新版漸減作戦の変更に繋がった。
新型陸上攻撃機による大遠距離の偵察や索敵が出来なくなったことで九七大艇や二式大艇の重要度が上がっているが、中型から大型でも双発機である陸攻と違い大型四発水上機は量産できない。貴重な大型飛行艇をどう使うかも議論される。九七大艇は九六中攻同様低速な上に同様の撃たれ弱さが有ると見られ、偵察や索敵から外そうという意見もある。
遠距離攻撃も戦闘機の護衛無しではやられに行くようなものとして、護衛無しの出撃は作戦から外される。渡洋爆撃やその後の中攻の運用状態を見れば護衛無しは死にに行けといっているようなものだ。参謀達の間でも拙いという意識を持つ者達が増えてきている。
主力戦闘機である零戦三二型の航続距離も各所に影響を与える。現地での戦闘時間を入れての戦闘行動半径が増槽使用でも250海里程度であり、一一型と二一型の400海里行って戦闘をして帰ってこられる航続距離で作戦を立てるわけにはいかなくなった。空中集合や着艦待ちの時間が長い空母だと、さらに短くなるのは確実。
空母航空戦でアウトレンジ戦法など成立しないと思われた。どこかの鬼瓦がこれで悩むのであるが今はどうでもいい。
秘密兵器一号機雷も運用の狭さで効果が無いだろうという方向になっている。現に新型艦艇は一号機雷を乗り越える艦首形状ではなくなっている。
航空機の能力が低かった時代に策定された運用方法が時代に合わなくなってきている。一号機雷採用直後から一号機雷はご都合主義兵器と言われているが、艦載機の能力向上と二式陸上攻撃機の短くなった航続距離をきっかけに漸減作戦そのものがご都合主義とまで言われるようになってきていた。
参謀達は軍令部で新たな漸減作戦構築に悩むのだった。
「軍令部ではかなり悩んでいるという噂を聞くが、貴様知っとるか」
「過分にも存じません。何を悩んでいるのですか」
「漸減作戦だよ。航空機の航続距離が短くなったので複数島嶼からの大遠距離索敵や先制遠距離航空攻撃が事実上無理となってきている」
「軍令部も現実を見るようになったんでしょう」
「貴様、辛辣だな」
「これでも一年間軍令部第一課に勤務しておりました。色々軋轢があって艦隊勤務に戻れたのです」
「そういえば、貴様は色々やったと聞いたな」
「主に兵棋演習でのダメ出しですね。漸減作戦の穴ばかり指摘していたら伝統墨守派から距離を置かれるようになりました」
「ああ、永遠の日本海海戦再び派か。再びなどありようもないというのに」
「そうです。過去の栄光だけを見ている奴らです」
そんな状態で開戦を迎え初っ端から比叡・霧島という貴重な高速戦艦2隻喪失というショック。
アメリカが物量ごり押しで太平洋を渡ってくるのは必然。新漸減作戦の出番もあろうと張り切る軍令部と第一艦隊に第一航空艦隊は。
「金剛と榛名は絶対に出さん。空母機動部隊の護衛が出来る戦艦はあの2隻しかないぞ」
「何だと」
「現実を見ろ。艦載機の航続距離からして、敵艦隊に接近しないと効果ある攻撃も出来ん。マレー沖のように高速艦艇に補足されたら空母などおしまいだ」
「接近させないようにするから出せ」
「誰がそんな戯れ言信じるか」
「貴様、言わせおけば」
第一航空艦隊と軍令部に第一艦隊までがけんか腰で罵り合う事態になっていた。不利なのは軍令部と第一艦隊であった。
正規空母の翔鶴・瑞鶴、飛龍・蒼龍は逃げ切るだろう。低速の赤城・加賀と改造空母が問題だった。マレー沖では赤城と加賀が避退か発艦優先か迷走を繰り返している内にプリンス・オブ・ウェールズとレパルスに捕捉されそうになった。比叡と霧島の文字通り決死の行動で赤城と加賀は逃げることが出来たのだ。その迷走がなければ捕捉されなかったとして、迷走の主原因である南雲司令長官と草鹿参謀長に源田航空甲参謀が場末に左遷となったんだが。
連合艦隊司令長官の調停で金剛と榛名は空母護衛任務専従と決められた。ただ、「あの人は戦術眼が無いから後でコロッと変わるかも」とか陰で言われている。
漸減作戦では水雷戦隊に第三戦隊か第十一戦隊と重巡戦隊を付けて遠距離雷撃戦となるが肝心の水平線からの大遠距離雷撃も実効性は無いに等しいとされ現実的な有効射程圏まで近づくにはアメリカ海軍の巡洋艦と駆逐艦を排除しなければならない。巡洋艦の排除。その役目を担っていたのが金剛級だった。金剛と榛名を使えないとなると、重巡戦隊だけではアメリカ海軍の巡洋艦群には対抗出来ないだろう。
漸減作戦の肝である雷撃戦も怪しくなってきた。
もう無駄なこと考えるの止めろ。という外部の声に耳を傾けること無く漸減作戦を練っている軍令部だった。実際に太平洋を押し渡ってくることが確実視されており無駄ではないのだが、基本的な構想が戦艦主力の艦隊決戦で決着を付ける、という考えに固執していることが無駄だと言われた。
そんな軍令部にさらなる追い打ちがあった。
昭和十七年十一月七日の東京空襲である。
まさかの空母から陸軍の双発爆撃機を発艦させ機体はおろか搭乗員さえも回収せずにソ連や中国に搭乗員ごと乗り捨てるという常軌を逸した手段での日本空襲だ。日本も一応哨戒線は張っていたが一番薄いところだった。
十分な航続距離と空母さえあれば日本はどこからでも攻撃される。従来から指摘されていた懸念事項である。そして現実となったこの事実は従来の中部太平洋での艦隊決戦で決着を付けるという構想の下に錬られた漸減作戦が絵空事とされるに十分な衝撃をもたらした。
帝都空襲艦隊の出撃先と目されるハワイとアリューシャンのうち、アリューシャンは遠く自然環境も厳しい。アリューシャン列島のどこかを占領してという声も出たが、補給が難しく維持も困難として退けられた。敵地に近くなれば敵に有利になるという基本を忘れている。
ハワイ占領という声も同様に退けられた。要塞となっているハワイを占領など日本の国力で可能な訳もない。
両方を監視するために都合の良い位置にあるミッドウェー攻略も上がったが、同じく維持困難として却下された。
だがアメリカ海軍が近寄ってくるのを待ち構えるという基本姿勢に何ら変わりはない。艦船の性能向上と航空機の性能向上により、警戒範囲が広くなっただけだ。
軍令部は混乱の極みであったが、結局はアメリカからすれば対日戦勝利にはフィリピンが焦点でありアメリカがフィリピン奪還を行うに中部太平洋が主戦場となるのは変わらないとして新たな決戦計画の構築に邁進するのだった。戦艦主力の艦隊決戦という考えが若干後退しているのは現実に沿ってのことだろうと思いたい。
連合艦隊司令長官は戦略家でもなく戦術家でもなく軍政家なので。
東京空襲作戦は帰還を考慮しない片道作戦で、開戦したのにマリアナ以西に閉じこもっている日本を引っ張り出したいアメリカ政府が陸軍航空隊のひとりから作戦案を得て立案。海軍からのみならずショートカットされた陸軍航空隊からはパイロットを使い捨てにするとしてさらに批判が多かったが大統領権限で押し通した。
次回更新 8月5日 05:00