目標2200馬力
世間では戦争になっていた。戦争が始まったのは昭和十六年十二月十日のことだ。アメリカ合衆国東部時間十二月十日午前十時にアメリカ合衆国国務長官に手渡された宣戦布告文書によって始まった。
当初の主戦場はフィリピンとマレー半島だった。グアムは開戦後すぐに占領した。アメリカ軍の能力と士気を見誤っていた陸軍はグアム島占領作戦で想定よりも大きな損害を出していた。
フィリピンは航空撃滅戦を第一航空艦隊が実行。その後、陸軍が上陸して飛行場や港湾を占拠。現在は地上戦の最中である。敵航空戦力壊滅後なので、台湾から九六中攻が爆撃で陸軍を支援している。
マレー沖海戦は、九六中攻の索敵が及ばず所在不明となっていたイギリス東洋艦隊と索敵態勢不十分だった第一航空艦隊の不意遭遇戦となった。第一航空艦隊はフィリピン航空撃滅戦に第二航空戦隊と第五航空戦隊を分離。第一航空戦隊と龍驤という三隻の空母に第十一戦隊でマレー部隊の応援に行っていた。
第一航空艦隊では第一航空戦隊と龍驤を逃がすべく、第十一戦隊の比叡と霧島がプリンス・オブ・ウェールズとレパルスに立ちはだかる。第十一戦隊の二隻と第一航空艦隊の巡洋艦や駆逐艦は健闘したものの、第一航空艦隊の艦載機が応援に来た時には比叡沈没、霧島大破(のち沈没)という状態だった。その後の戦闘でイギリス東洋艦隊は壊滅している。戦闘態勢にある航行中の戦艦を航空攻撃で沈めた世界初の快挙であるが、それ以前に戦艦同士の砲撃戦で損傷していたということも指摘される。なお、第二戦隊と第三戦隊は位置的に間に合わなかった。
比叡と霧島の喪失という事態に海軍首脳部は慌てる。責任問題の発生である。第一航空戦隊の索敵不十分とその後の判断が主原因であるとして、南雲第一航空艦隊司令長官と草鹿参謀長と源田航空参謀の三名が職を解かれた。
マレー作戦は、イギリス東洋艦隊という最大の障害が排除されたことにより、艦砲射撃や補給路断絶などの不安が無くなり順調に進められた。
序盤での貴重な高速戦艦二隻喪失の影響は大きく、空母部隊の護衛態勢に悩むこととなる。
三菱では自社製大型18気筒発動機が陸軍のみならず海軍にも正式採用され喜んでいたが。予想の数倍という量が既に発注され生産体制を整えなければいけない。大きな負担になる。同時に今の馬力では足りないと言われ2200馬力以上を発揮出来るように改良を指示された。
いろいろな努力の末、昭和十七年春に1速公称出力で1950馬力を達成。期待の正味2000馬力発動機ハ42-22が制式化された。短時間の離昇出力なら2100馬力まで出るようになった。量産体制も突貫で工場新設を行っている最中だ。十七年秋には将来予測分を含めた必要量が確保できる見込みとなっている。対英米戦が始まり当初予測の数十倍という規模になったが。
この発動機は二式陸攻二二型と強風二二型と十六試局戦の3機種に採用された。十五試陸爆も誉からこの発動機に変更された。ほぼ採用のようだ。
面白くないのは中島と海軍誉関係者だった。現状で採用しているのはキ84と試製彩雲だけ。陸軍が一〇〇式司令部偵察機に搭載可能か三菱に問い合わせているという。
そんな中島に海軍から提案があった。あの何になるのかわからない奴に積めないかと。何になるのかわからないって、そういう機体になるような要求を出したのはあんたらだろう、という恨みを飲み込み誉搭載を行う事となる。そして思った。まさか、こんなに化けるなんて。
中島は零戦への金星搭載から栄の生産数を維持しようと各方面に働きかけた。三菱も金星の増産で瑞星の生産を絞りたかったのでこれに乗った。
キ45改の発動機が瑞星(ハ25)から栄(ハ35-21)へと変更された。キ45改はこれにより実用化が三ヶ月遅れる。
昭和十六年秋、十二試陸攻の発動機換装型が初飛行した。さすがに一発400馬力違うと性能が違う。
換装ついでに主翼や胴体などほとんどの見直しによって、発動機換装だけではなしえないような性能向上をしている。速度は防弾装備で落ちてしまった220ノットから270ノットへと大幅に上昇している。
十二試陸攻は紆余曲折の末、昭和十七年五月に二式陸上攻撃機連山として制式化された。なお、マレー沖海戦には十二試陸攻試作機(防弾装備有り火星搭載型)が数機、索敵機として参加しただけ。
連山二二型
全幅 25メートル
全長 19.5メートル
全高 6メートル
自重 8.8トン
発動機
ハ42-11
離昇出力 1900馬力
1速公称出力 1800馬力/2200メートル
2速公称出力 1600馬力/6000メートル
最高速度 260ノット/6000メートル
(480km/h)
航続距離 1000海里 爆装時
(1800km)
爆弾槽内増槽装備時
+1400海里 (2600km)
武装
機銃 上部動力銃座 九九式一号二型20ミリ機銃 1丁
装弾数45発 予備弾倉8個
尾部銃座 九九式一号二型20ミリ機銃 1丁
装弾数45発 予備弾倉8個
前方・左・右 九二式7.7ミリ旋回機銃各1丁
装弾数97発 予備弾倉各10個
爆弾・雷装 航空魚雷 1本
六番10発、二十五番4発、五十番2発
八十番1発
混載不可
乗員 7名または8名
十六試艦戦であるが、川西は完全新設計するのは胴体や尾翼だけとし最も時間の掛かりそうな主翼翼型は試製強風の翼型をほぼ流用した。また、高翼面荷重による発着艦困難問題には高揚力装置を積極的に使うことで対応することにした。
燃料は主翼だけではなく操縦席後部に防弾装備もかねて大型燃料タンクを搭載することとした。これにより計算上は胴体内燃料だけで1000海里以上いけるはずであった。この大型燃料タンクは機体重量バランスにも重要な役目を占めてている。
そんな十六試艦戦の初飛行は昭和十七年七月。
これが強風二二型であった。一一型は原型となったとされる水上戦闘機の型番となっている。
全幅11.5メートル、全長10.5メートル、自重2.9トンの機体は木星発動機によって引っ張られ、何回かの飛行後に水平全速315ノットを発揮した。
川西設計陣は目標速度までの35ノットを機体側でどうして埋めるのか悩む。そこで排気を推力にする液冷発動機を参考に推力式単排気管を採用。15ノットの増速を得た。だが残りの20ノットがどうしても埋まらない。
機体形状は胴体が発動機外径に合わせた円形は操縦席前まで続き操縦席付近はやや円形だが下はやや下膨れの台形。操縦席後部から細くなる形状。主翼は平面形状は強風と同じ直線テーパーと部分的に層流翼断面形状を残している。内翼部と外翼部に分かれ内翼部は上反角無しの水平翼で主脚長さを短くしている。上反角無しの内翼部は副次的効果としてフィレットの小型化にも繋がった。外翼部は折りたたみ部分で分けられ、上反角が付いている。機銃は内翼部と外翼部にそれぞれ1丁が装備されている。外翼部側機銃の整備と装弾は折り畳まれた状態では出来ない。三三型からは機銃外側で折り畳まれるようになり、折り畳み寸法がその分伸びている。
高揚力装置はスロッテッドフラップと主翼前縁スラットで揚力を稼ぎ、着艦速度を低減させている。
海軍からは「速度は現状でもいいので、二二型として制式化するから早く量産に入れ」とうるさい。
川西はそれで良いのならと、少し手を入れた機体二二型の量産を十八年二月から始める。
強風二二型甲
全幅 11.5メートル 格納時7メートル
全長 10.5メートル
全高 3.75メートル
自重 3.0トン
発動機
ハ42-22
離昇出力 2100馬力
1速公称出力 1950馬力/2000メートル
2速公称出力 1750馬力/6000メートル
最高速度 330ノット/6200メートル
(611km/h)
航続距離 900海里
(1660km)
300リットル増槽装備時
+250海里 (460km)
上昇力 6000メートルまで7分20秒
武装
機銃 主翼 九九式二号三型20ミリ機銃 4丁
装弾数各100発
爆弾 左右主翼下に三番または六番を各2発計4発
胴体下に二五番を1発。ただし増槽と排他利用。
零戦三二型に較べ長くなった航続距離と20ミリ機銃2丁と4丁では威力の違いは歴然で格闘戦性能も多少悪くなっただけと好評をもって迎えられた。
問題は発艦性能から飛龍・蒼龍以下の規模の空母では扱いかねる機体であり天山と彗星の配備と共に中小型空母関係者は悩むのである。
零戦三二型
全幅 11.0メートル
全長 9.1メートル
全高 3.6メートル
自重 2.2トン
発動機
金星四八型
離昇出力 1150馬力
1速公称出力 1080馬力/2000メートル
2速公称出力 970馬力/6000メートル
最高速度 300ノット/6000メートル
(555km/h)
航続距離 600海里
(1110km)
300リットル増槽装備時
+400海里 (740km)
上昇力 6000メートルまで7分10秒
武装
機銃 主翼 九九式二号三型20ミリ機銃 2丁
装弾数各100発
主翼 九七式7.7ミリ機銃 2丁
装弾数各300発
爆弾 両翼下に三番または六番各1発
フィリピン戦は零戦の航続距離からバシー海峡超え航空撃滅戦が出来ません。空母からの攻撃となっています。空母部隊は真珠湾なんて行っている暇はありません。
いろいろな努力=謎の努力結果です。
次回更新 8月4日 05:00