1話 始まりはハッピーエンドの後だった
ーーーー静寂。
ーーーー何も聞こえない。
耳を塞いで、走る、走る。
男はただひたすら走る。
「助ッーーー」
後ろで助けを求めた女の声、しかし男はそれを無視して走る、周囲の悲鳴を無視して走る、群衆に混ざってひたすら走る。
何もかもを聴こえないふりしてただただ走る。
「うっ!!」
男が止まると、目の前に影が通り過ぎる。
ーーーガシャアッ!!
馬車が石畳を疾走し、蹄の音が響く。制御を失い、木造の建物に激突。木片が飛び散り、馬車は静止した。
それに群がる魔物、そして人の群れ、引きずり降ろされる御者、これから何が起こるのかは知りたくもない。
「走れ走れ走れ!!」
「こっちだ!!」
先で誘導する男、しかし...。
「ギャッーーーッ!!」
何かが男を押し倒す、人だ。
「やめ...まだーーー」
ーーーブチブチブチッッ!!
見た、見てしまった。
人が人を喰らう瞬間を。
「なんで...なんで!!」
その瞬間意識してしまう、自分の周囲、情景が目に入る。
それを形容するとするなら、まさしく地獄。
「やめで!!やめでぇぇぇえええ!!!」
「うわぁぁああやめろやめろ!!いだいいだいいだいいだい!!」
「パパ!!パパァァ!!」
「貴方やめて!!私達の子供をなんで!!?」
「逃げろ来るぞ来るぞ!!止まるな!!」
「どうなってるの!?何が起きてーーいぎぃぃぃいいい!!!」
「主だ!!主のお怒りが!!」
漆黒の夜空広がる王城の中庭、子供の腸を引きずり出しそれを貪る男、複数の魔物に関われ四肢を貪られる女、抵抗する事なくその身を怪物にささげる老婆、そして降り注ぐ無数の死体、舞い上がる血飛沫。
飛び交う詠唱、魔法の音、爆発音、なにかが千切れる音。
「なんで...魔王は死んだはずだろ!!」
世界は魔王の恐怖に沈み、闇がすべてを覆っていた。
王は希望を求め、魔法の儀式で勇者を召喚。この世に現れた勇者は、信頼する仲間と共に魔王の城へ旅立った。試練を協力して乗り越え、互いを支え合いながら進んだ一行は、ついに魔王と対決。壮絶な戦いの末、勇者と仲間たちは魔王を倒し、世界に光を取り戻した、彼らの奮闘により平和を取り戻した...そのはずだった。
その時背中に衝撃が走る。
「痛っ!おいアンタ何止まってんだ!!」
「す、すまなーー」
振り返った瞬間何かが背後にいた男の喉笛に喰らいつく。
「いが...いぎゃぁぁぁあああ!!」
男を襲ったのも自分と同じ人間、血塗れの顎が男の喉を力任せに引き裂く、鮮血が舞い男は激しく痙攣している。
「あぁぁあ!?」
その化け物が立ち去りさらなる生存者を求めて走り出す、残された男は痙攣し、全身から大量の体液を撒き散らしながら暴れ出す。
「ガガガガガガ!!」
起き上がった男の目は先ほどの化け物と同じ、血走った目をして他の貴族に襲いかかる。
「あぁぁああ!?」
男は恐怖しひたすら逃げた、廊下を駆け抜け目に入った扉を開ける。
「ぎゅぁぁぁぎぁぁぎゃぁぁああああ!!?」
「ひぃぃ!?」
その部屋で月の光に照らされて踊り子が城の騎士に喰い殺されていた、グチャグチャと音を立てて喉を貪る騎士、ヴェールが血で滲み失禁している様を男は見ていられなかった。
「うわぁぁぁああああ!!!」
ーーーグチャアッッ!!
目に入った本棚を倒し、踊り子もろとも騎士の頭を潰す。
「はぁ...はぁ...はぁ...!!」
すぐに本棚を引きずり扉を封鎖する、扉はドンドンと音を立てているが入ってくる気配は無い。
「くそっ...くそっ...!!」
魔王が死んで平和が戻ったはずなのに、どうして人が人を食っている。
男は頭を掻きむしりあたりを見回す、窓の外から街を覗くと至る所で炎が上がっているのが見える。
それを見て男は確信した、この国は今日滅亡すると。
「誰かいるのか...?」
声がした方向を振り返ると誰もいない、大きなベッドがあるだけ。
「ここだよここ」
ベッドの下から男が這い出る、自分よりも小柄な男だ、この王城の雰囲気に合わない見窄らしいレザーの上着と顔中シミだらけの男。
「と、盗賊か?どこから入った?」
「今それ言ってる場合かよ兄ちゃん、おまえさんもそこまで位の高い貴族じゃなさそうだけど」
「うるさい、親に言われてきただけだ」
「そんな事よりだ、兄ちゃんあんた噛まれてねぇよな?」
「何?」
ーーードンッ!ドンドンッッ!!
「うッッ!?」
扉を叩く音、1人ではない、匂いを嗅ぎつけたのか怪物達が群がっているようだ。
「噛まれるとアイツらの仲間入りだ、呪いか疫病かわからんがね」
「か、噛まれてない...噛まれてない!!」
盗賊のナイフがチラつき必死に弁明する、盗賊は男の体を隅々確認しようやく武器を収める。
「よし」
「早くこんなところから逃げよう」
「どこに逃げるんだよ、城も街もあの有様だ」
「この王城には隠し通路がある、そこから国の外に出れる」
「...まじか?」
この王城はいざ魔物に攻められた時のために王族が逃げるための隠し通路がある、親から少しだけ聞いた事がある、そしてその場所も。
「お前を雇ってやる、俺を守ってくれるならその隠し通路まで連れてってやる、悪くないだろう」
「盗賊を雇うってか?まぁ今の状況から脱却できんならいいぜ、ただ金はたんまりもらうからな!!」
「わかってるよ(父上が生きてたらな)」
壁の上部から小窓を開け廊下を見る、眼下には人とも怪物ともわからない群れが蠢いており、天井を見ると吊られた巨大なシャンデリアが渡れる道のように並んでいる。
盗賊は壁をよじ登りシャンデリアを音も無く飛び移り手招きする。
「ッッ!!」
音を殺しよじ登り、シャンデリアの前に辿り着く。盗賊は既にさらに先のシャンデリアに飛び移っている。
「ッハ!!」
勇気を振り絞りシャンデリアに飛び移る、ギシギシと音を立てて揺れる足場。
下を覗くと群れ蠢く影、命ごと下に引きずり込まれそうな錯覚、男は恐怖を噛み殺して前を向く。
「シャアッッ!!」
再び次のシャンデリアへ、そのさらに次と順調に歩みを進める。
「筋がいいね、冒険者なんかい?」
「違う、名誉あるタイマイア家の三男だ」
「三男かよ」
「うるさい、お前こそ盗賊がなんで王城いんだよ」
「そりゃあ金品目当てよ、今日は魔王を討伐した勇者の凱旋パーティだろ、酔い潰れた貴族様からは宝石取り放題なんだ」
「勇者様達が参加してるのに随分な挑戦者だ」
「まぁ全部台無しだけどな」
「それについては同感だ」
大広間を抜け魔物や化け物のいない通路に降り角を曲がる、すると人の形をした怪物が三体、かつてはパーティでワインを嗜んでいた淑女達だ。
盗賊は持っていたシャンデリアの装飾を怪物の近くへ放り投げる。
ーーーチャッ!
「!」
「⬛︎⬛︎!」
怪物は音の鳴った方向へ振り向きのそのそ歩き、そして壁に頭を打ちつける。
「音に反応するみてぇだな」
「ところで、気になってたんだが...お前はなんで盗賊やってるんだ?」
「今聞くか?」
「前から気になってたんだ、普通大工や商人とかまともな職でも食っていけるはずだろ」
「お前あまちゃんだなァ!ぬくぬくしてるから頭もお花畑なんか?」
「うるさい」
「生まれた時から食うもんなくて、金もねぇ、生きるためには奪うしかねぇ、そうやって日々生きてるだけだ。気付けばそれが得意分野になって...その技術捨ててまともな職なんて探せるかよって話」
「なるほど」
「それに盗賊は気楽でいいぜ?貴族様みたいに変なしがらみも気にしなくていいし法も無視できる、酒、女、肉も盗り放題、盗賊程自由は家業はないと思うね俺は。...まぁ組織でやってる奴らはわからんけどな」
「そうか...」
「なんでそんな事を聞くんだ?」
「それは」
気付けば見上げる程の大きな扉が視界に入る、この国の頂点に位置する玉座の間だ。
「おっと、ここか?」
「そうだ、玉座の裏に隠し通路があるって親父が言ってた」
「いいねぇ、アンタと巡り会えてよかった」
「本気で言ってんのか?」
「たりめェよ、金の約束もしてくれるし玉座までの道案内もしてくれた、ここにはきっと金銀財宝があるに違ぇねぇ、アンタァ上客よ」
「そうか」
扉に手をかける盗賊、男はぽつりと呟いた。
「姉上が...家を出て盗賊やってるんだ」
ーーーガチャ...ゴォォォ
重い音を立てて開かれる扉、自分でも一度しか来たことのない玉座の間、王城の中でもより一層の煌びやかな装飾がされた部屋、紅いカーペットの奥に大きな黄金の玉座が聳え立つ。
「すげぇ...あの椅子いくらかな?」
「さあな、俺の家の財産全部売っても買えるかわからん」
玉座の周りを探る、床を押したり背後のカーテンをめくるもなにもない。
扉の外で足音が聞こえる、音を聞きつけた先程の化け物だろう、男の額に汗が滲み出る。
「やばいやばいやばい来てるぞ」
「わかってるわかってる!!」
男は必死に玉座の周囲を探り、赤い絨毯をめくり上げ、隙間を覗き込む。
だが何もない。焦りで手が震える。その時、背後の扉がギィ、と軋む。闇の中から、人の形をした化け物が五体、這い出してきた。
「やべぇ!!おい時間稼ぐから出口探せ!!」
「わかった...ていうかなんで閉めなかったんだよッッ!!」
「ドア重いんだよォォォ!!」
盗賊はナイフを手に群れに突っ込み、その喉元を切り裂く。しかし怪物は止まらない、まるで意趣返しの如く盗賊の喉元に喰らいつこうとするも空をきる。
「あっぶねぇ!!おいまだかよ!」
「どこに...どこにあるんだ」
盗賊が重い扉の上にしがみついて化け物と戯れている間に玉座を調べても何も仕掛けが出てこない、手に汗握り肘掛けをさすると突然玉座が光る。
「!」
突如浮かび上がる光り輝く円形の魔法陣、複数の文字列と紋章が並んでいる。
「これは...」
「いけたか!?」
...
「...だめだ」
「は!?」
現れた魔法陣、それをみて手が震える。
「これ合言葉式だ!!」
「何ィーッッ!?」
ここに浮かぶ魔法陣は特定の術式を決まった手順に沿って紋章と文字を入れ替え正しい式を完成させると作動するものだった。
男はその手順を知らない、彼はあくまで一貴族の三男、王族のみが知りうるものを彼が知るはずもない。
「おいふざけんな!!なんのためにここまで...!!」
「くそっどうすれば...!!」
「おい一体そっち行ったぞ!」
「あ!」
迂闊、化け物の一体が男に気付き近付いて来る、涎と血が混じった体液を口から垂らし血走った目をこちらに向けている。
「...」
男は腰が抜けて動けない、そうしてる間にも血まみれの歯が徐々に近づいて来る。
「あ」
終わった、そう思った。
ーーードガァッ!!
突如天井が破壊され瓦礫が化け物を押しつぶす、床と瓦礫の板挟みになった人体が破壊され脳漿が男に降りかかる。
「なんだァ!?」
舞い上がる砂煙、その中に人影が一つ、その何かは腕を上げ...
ーーーゴゥ!!
「⬛︎!?」
その一振りで放たれる斬撃、その先に蠢く異形をまとめて両断してみせた。
「すげぇ...」
「あ、あれって...」
その一振りで同時に吹き飛ぶ砂煙、その中から現れたのは1人の男、その姿を男は、否、盗賊ですらその姿を知っている。
赤いマント、2本の角を模した蒼く煌めく長髪、非戦闘者の自分ですらわかるほどの圧倒的な威圧感。
「勇者様...」
魔王を討伐した人類の希望、その象徴が目の前に立っている。
「嘘だろ!?本物の勇者か!?本物か!?」
だが、何かがおかしい。
その後ろ姿に全く生気が感じられない。
「待て!!」
「なぁ頼むよ勇者様!俺達を連れ出してく」
男の静止を聞かず盗賊は勇者に歩み寄る、勇者はゆっくりとその顔を上げる。
「あーーー...ぁぁああッッ!?」
その顔を見て盗賊は青ざめ震え出す、その時...。
ーーーガ
「わ」
勇者は盗賊の首と肩を掴み...。
ブチブチブチブチィィッッ!!!
「ギアィァァアアアーーーーーッッ!!?」
勇者は盗賊を文字通り引きちぎった。
「あぁぁぁぁ!?」
勇者の足元に倒れる盗賊、盗賊の左半身は無く代わりに断面から何か赤いものが漏れ出ており血溜まりを使っていく。
「カ...カ...」
盗賊はそれでも生きていた、いや、死ねずにいた。勇者はそんな盗賊に目もくれず別れた左半身を無心に貪る。
クッチャクッチャ
そんな不気味な音を立てながら。
「はぁ...!!はぁ...!!」
高鳴る鼓動の中、男は心の中で静かに悟った、そんなことが...そんなことがあるのかと。
「...」
勇者は振り返る、その顔は...。
それは死人のそれだった。
「神様...」
どうしてそこまで残酷なのですか、我々は平和を手にする権利はないのですか。
そう思う男に容赦なく襲いかかる勇者、その形をした悪魔。血走った目、剥き出しの歯、血塗れの口、最期に見た男の光景。
動く屍に解体される男の断末魔、青く輝くあの月はこの地獄をただ静かに平等に見下ろしていたのだった。
今週中に次回投稿します




