第36話 新しい生活の始まり
アイリーンに先導されて、私たちは白亜の回廊を進んでいく。
シリウスが私の腕を取り、その後ろをシャロンとアダムが続く。
アイリーンは少し先を優雅に歩きながら、時折振り返って私に微笑みかけてくれた。
「クリスティアナ様のお部屋は、殿下のお部屋の隣に用意させていただきました。もちろん、シャロンと相談して、できる限り快適に過ごしていただけるように整えました」
「まあ、ありがとう。楽しみだわ」
回廊の壁には、竜の歴史を描いた絵画が飾られていた。古代の竜王たちが空を舞う姿、神殿で祈りを捧げる姿。
どれも荘厳で、見ているだけで竜族の誇り高い歴史が伝わってくるようだった。
やがてアイリーンが、白い扉の前で立ち止まった。扉には繊細な銀細工で、蔦と花の文様が施されている。
「こちらです」
アイリーンが扉を開けると、私は思わず息を呑んだ。
「……素敵」
目の前に広がったのは、まるで夢のような部屋だった。
天井は高く、そこには淡い青と白を基調とした美しいフレスコ画が描かれている。雲の間を舞う竜たちが、まるで本当に空を飛んでいるかのように生き生きと描かれていた。
床には柔らかな絨毯が敷かれ、その上には優雅な家具が配置されている。天蓋付きの大きなベッドは、白いレースのカーテンで覆われていて、まるでお姫様のベッドのようだ。
壁際には本棚があり、既にいくつかの本が並べられている。
小さなテーブルと椅子のセットもあって、ここでお茶を楽しむこともできそうだ。
そして何より目を引くのは、部屋の奥にある大きな窓だった。床から天井まで届くほどの大きな窓からは、柔らかな光が差し込んでいる。
「こんなに素敵な部屋を用意してくださって、本当にありがとう」
私が心から感謝を込めて言うと、アイリーンは嬉しそうに微笑んだ。
「お気に召していただけて何よりですわ。それでは、侍女長を紹介させていただきますわね」
アイリーンが手を挙げると、部屋の隅で控えていた女性が一歩前に出てきた。
「番様、初めてお目にかかります。私はグリゼル・シュタールと申します。この度、番様の侍女長を務めさせていただくことになりました」
青い髪を厳格に結い上げた女性が、深々と頭を下げた。
その青い瞳はまるで氷のように冷たく澄んでいて、整った顔立ちだけれど、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
彼女の言葉遣いは完璧で、その立ち居振る舞いにも一切の隙がない。けれど……その瞳には、どこか冷ややかな光が宿っているように見えた。
いえ、きっと気のせいよ。テオの態度で少し敏感になっているだけだわ。
「初めまして、グリゼル。これからよろしくお願いしますね」
私ができるだけ親しみを込めて言うと、グリゼルは再び頭を下げた。
「はい。番様のお世話をさせていただくことを、光栄に存じます」
その言葉は丁寧だったけれど、まる、義務として私に仕えているような、どこか機械的に聞こえた。
でも、それも仕方のないことかもしれない。
彼女にとっても、突然やってきた人族の番に仕えることは、戸惑いがあるだろうから。時間をかけて、少しずつ心を開いてもらえればいいわ。
「まあまあ。うふふ。グリゼルは長年この宮殿で働いていて、とても有能なの。きっと頼りになるわよ。分からないことがあったら、何でもグリゼルに聞いてね。もちろん私も引き続き侍女としてお仕えいたしますけれど」
グリゼルを見たシャロンが説明してくれる。確かにとても仕事ができそう。
「グリゼルに任せれば安心だ」
なるほど。シリウスにも信頼されているのね。
そのうち仲良くできたらいいんだけど、と、感情を見せないグリゼルの青い瞳を見ながら思った。
「それでは、お疲れでしょうから、少しお休みになってくださいね。私たちはこれで失礼いたします」
「ええ、ありがとう」
そう言ってアイリーンとグリゼルが退室していくのを見送ってから、私は改めて部屋を見回した。
シリウスが私の肩に手を置いて、優しく囁いた。
「気に入ってくれたか?」
「ええ、とても素敵よ。こんなに素晴らしい部屋を用意してくださって嬉しいわ」
私が微笑むと、シリウスは嬉しそうに目を細めた。
「それなら良かった。何か必要なものがあれば、遠慮なく言ってほしい」
「ありがとう、シリウス様」
シリウスとシャロン、アダムが退室してから、私は一人で部屋の中を歩き回った。
大きな窓からは、イグドラシルの街並みが一望できる。
白亜の建物が立ち並び、その向こうには三方を囲む山々がそびえている。
そして空を見上げると、そこには雲海の中に浮かぶ、浮島。
ここからだと、さらによく見える。
蔦に覆われた塔、崩れかけた壁。それでもなお、かつての荘厳さを感じさせる佇まい。
私はそっと、窓ガラスに手を当てて、冷たいガラス越しに、浮島を見つめる。
そこには、初代竜王の墓標がある。シリウスが、いつか連れて行ってくれると約束してくれた場所。
いつか――シリウスの番として、あの場所に立つ日が来るだろうか。この地に根を下ろした証として。
私は、胸元の白銀の鱗にそっと触れた。
王国で、最後の罠を受けたあの夜も――この鱗の温もりが、私を守ってくれた。
そして、母が遺したアキテーヌの指輪。
奪われて、踏みにじられても、手元に戻ってきた『星』。
この二つが、私の道しるべになる。
もう、過去には戻らない。
誇り高きアキテーヌの名に恥じないように。
そしていつか、番として――シリウスと並んで歩けるように。
大丈夫。きっと、ここで幸せになれる。
そう信じて、私はドラゴラム帝国での新しい生活を始めた。




