七
彼女が新澤美咲と連れ立っているのを見て、俺は自分の記憶を疑った。
どういうことだ、なぜ新澤美咲がここにいるんだ?
彼女と新澤美咲は友人でも何でもない、ただの同期、それだけの関係だったはずだ。
だが、今目の前にいるのは間違いなく新澤美咲だし、彼女を庇うように立つ姿は、二人が親しい関係であることを示している。俺に対する敵意も隠そうともしない。
俺のとった行動が、彼女と新澤美咲が親しくなるようなきっかけを作ったのだろうか。
うん、でもこれは良い傾向だ。俺にとってはきっと都合よく働くはず。
新澤美咲は、正義感の強い姉御肌、彼女のようなお人よしは放っておけないだろう。
彼女に何らかの不利益が生じそうになったら、きっと新澤美咲が手助けするはずだ。
そういうことなら、どうか末永く彼女と仲良くしてほしい。
彼女は優しい人だから、弱い者に冷たく振る舞うことができない。
自分の意見を抑えてでも、相手のために動く人だ。俺はそれをよく知っている。
でも、ごめんなさい。今回はそれを利用させてもらうよ。
必死になって言い募る俺を、無視できるような彼女じゃない。
体格のいい俺が、小さくなって気落ちする姿は、彼女の同情を誘うはずだ。
『友達』を隠れ蓑に、なんとか彼女と繋がりを持とうとする俺を、彼女は見捨てられない。
「それじゃ、友達、なら……」
ほら!どうだ!
彼女の言葉に、俺は快哉を叫んだ。もちろん、心の中だけで。
卑怯な真似をしていると思う。でも、仕方がなかったんだ。
彼女を幸せにするためには、どんな手段を使ってでも、彼女と繋がっている必要があった。
ストーカー?
上等だ。彼女に逃げられたあの日から、どれだけの焦燥感にかられたことか。
もちろん彼女の勤めている会社だって知っているが、本物のストーカーだと思われたらかなわない。だから、どうしてもあの場所で再会するしかなかった。
再会さえ果たせれば、あとはどんな姑息な手にでようとも、絶対に彼女を離しはしない。
彼女とメッセージのやりとりをするのは、とても楽しかった。
こんなこと、今まではどんなに願ってもできなかったから。
彼女は元々、文学少女だから、とにかく本関係の話題で攻めた。
最終的には、資格試験用の本を選んでほしいとか、勉強に必要だということをアピールすれば、休日に出掛ける約束は取り付けられるだろう。
ああ、俺が二十七だったら!
こんな遠回りしなくても、今すぐ新居を整えて、友人知人に根回しをし、さっさと彼女の両親に会いに行くのに。
お色直しは三回、美しい彼女をたくさん見たい。
新婚旅行は南の島、恥ずかしがり屋の彼女が、照れた顔で水着を披露し…………と、これはさすがに飛躍しすぎだった。我ながら気持ち悪いな。これじゃ本当に変態のストーカーだ。
はあ、なにしろ拗らせまくっているからなあ。
俺は自分で思っている以上に、彼女と『友達』になれたことに興奮しているらしい。まあそれも仕方ない。
ずっと、ずっと見てきた彼女と、やっと、やっと繋がりができたんだから。彼女の幸福への道を、俺が必ず築くのだから。
そうだ!まずは恋人らしくデートからだ。
デートは定番の映画、水族館、彼女となら動物園も楽しそうだ。プラネタリウムなんかもいいかもしれない。それから、気軽だがセンスのいいレストランで食事をして、少しアルコールなんかも飲んだりして、気分が盛り上がって離れがたくなったら、そのまま……
いや、無理だ、待て待て待て待て、まだ無理だった。俺は今、まだ十七なんだ。
そんないかにもなデートコース、彼女に断られるに決まってる。
断りにくい地味なところから攻めていかないとだめだ。
意外にも、会社帰りに送りたいという要望はすぐ受け入れられた。
正直、これすらも拒否されたらどうしようかと思っていたからほっとした。
早く着いた俺はコンビニで時間を潰す。
彼女が好きな紅茶を見つけ、思わず手にとった。
彼女はこのメーカーの、特にミルクが好きだった。今も変わってないだろうか。
自分用にはブラックのコーヒー。
レジが急に混みだして、俺は列の後ろに並ぶ。
ちらちらと外を確認していると、彼女が歩いてきていた。
失敗した!初めての待ち合わせは、俺が彼女を迎えたかったのに!
俺に向かって歩いてくる彼女を、正面から見ていたかったのに!
……悔やんでも仕方ない。次回は必ず俺が先に待とう。
当の彼女はそんなこと、気にもしていない。俺はちゃっかり今後の予約もしておく。
彼女の紅茶の好みは変わってなかった。
「いつも飲んでるから」
という彼女は、偶然にも俺がその紅茶を選んだことに、驚きつつも嬉しそうだった。
はは、偶然ね。いいや、知ってますよ。
だけど、その続きがまずかった。いや、情報収集としては成果があったというべきか。
「教育係」
あの男……!!もう彼女に目を付けたのか!
ここで俺が何か反応してしまうと、彼女はもうあの男の話題を出さないだろう。
俺はさらりと聞き流す。だが、心の中では叫んでいた。
騙されないでくれ。どうか騙されないでくれ!
見かけは優しいが、あの男はクズだ!あなたを不幸にするだけだ!
なんで俺は十七なんだ。これじゃ何もできない。
デートにも誘えない、恋人にもなれない。
こんなにも、彼女のことを想っているのに……
別れ際、抱きとめた彼女の細い体。
初心な彼女の反応に、俺は煮えたぎるような欲望を感じた。
彼女を、真正面から抱き締められるのは、いつのことなんだろう。
果たして、そんな日は来るのだろうか。
彼女は、俺を好きになってくれるのだろうか。
世間の目をひどく気にして、常識的であろうとする彼女のことだ。
たとえ俺のことを意識しだしたとしても、きっと「模範的な」回答を選ぶだろう。
大丈夫だ、時間をかければいいんだ。
せめて俺が成人すれば、法律に認められた大人になれば、「彼女の常識」の隙をつけるはずだ。
俺はまた、改めて計画を練る。
これからは、毎週水曜日の十分間は確定だ。
でもこれだけじゃ足りない。
やっぱり休日に誘える関係になりたい。
図書館もいいが、あそこはろくに話もできないのが難点だ。
やっぱり本屋か。あのでかい本屋なら、本を選んだあとに、休憩がてらお茶でもできるかもしれない。
俺を知って、俺に興味を持って、俺のことを考えるように、俺を意識するようになってもらわないといけない。
スマホのメッセージ画面を開くと、俺は彼女にメッセージを送った。
[次の土日、どちらかで本屋に行きませんか?国家資格の参考書を教えて欲しいんです。十時頃、隣駅の改札で待ち合わせでどうでしょうか]
多分、時間は午後に変更されるだろうなと思いながらも、強引な文面にしてみる。
やんわりとした誘いはことごとくスルーされているから。
そろそろ、了承してくれてもいい頃だと思うんだが、どうだろうか。
その時の俺は、彼女のことが全部わかっているつもりで、呑気にそんなことを考えていた。