表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

約束の水曜日、舞は朝からそわそわしていた。

相手は高校生で、舞に恋愛感情はないとはいえ、初めての異性との待ち合わせである。


待ち合わせ場所は、舞が働くビルの前、道路を挟んだ向こう側にあるコンビニだ。

その場所を提案してきたのは慎だが、舞にとっても都合が良かった。


車通りの多い道路なので、目的がなければコンビニの方まで注視することはないし、駅までの往来で待ち合わせるよりはよほど目立たないだろう。

そのままいつもと反対側の歩道を歩いていけば、会社の人と遭遇する可能性も低い。


退勤時間がせまってくると、いよいよ落ち着かなくなってきた舞は、それが外にも出ていたのだろう、安川に心配されてしまった。


「藤野さん、何か問題あった?」

「え?いえ、何も問題ありません」

「そう?何か様子が変だから」


んー、と言いながら舞を観察する安川に、舞は申し訳ない気持ちになる。


「いえあの、仕事は大丈夫ですので」

「じゃ、プライベート?」

「え?」


さらりと訊かれたが、まさか安川に慎のことを説明するわけにはいかないし、また説明するつもりもなかった。それに、ただ単に初めての待ち合わせで緊張しているなどと、こんなくだらないことを言えるわけがない。


──そうだ、こんな、たいしたことないのに、動揺してる私がいけないんだわ


そんなふうに結論を出している間に、安川が穏やかに言った。


「ごめん、これってセクハラだよね。ごめん。ま、でも、話せることなら何でも聞くからさ、藤野さんが困ったときは、頼りにしてよ」


にこにこと微笑む安川に、舞は気持ちが温かくなる。


──仕事もできて、指導もうまくて、部下にも優しいとか、教育係が安川さんで本当に良かった


安川の穏やかな空気にあてられて、舞も落ち着きを取り戻した。


「ありがとうございます。その時は、相談させていただきます」

「うん。あー、じゃあ、そろそろ上がっていいよ。また明日」

「はい、お先に失礼します」


舞はさっとデスクを片付けて会社を出た。


歩道橋を渡って待ち合わせのコンビニ前まで行ったが、慎はまだ来ていないようだった。

時計を見ると、十七時四十分。よく考えれば、慎は駅の向こうからここまで歩き、またここから駅まで戻っていくことになる。なんという無駄なのだろう、と思いながらも、


──そこまでして、私と帰りたいのかな……


ついそんなことを考えてしまい、ハッと我に返って、舞は自分が恥ずかしくなった。

だが、そんな自惚れが、時折、舞の胸をゆるく締め付けてきて、何ともいえない気持ちにさせてくるのだ。


交際経験がない舞は、異性から好意を向けられた経験もない。慎のメッセージを見ていると、人に好かれるとはこういうことなのかと、くすぐったくも楽しい気持ちになる時がある。そしてすぐに我に返り、さっきのように自分を恥じる、この繰り返しだった。

恋愛のときめきも切なさも知らないが、もし自分が恋愛をしたら、もっと甘酸っぱく、幸せな気持ちになるのだろうか、と思いふけってしまうこともある。


ただし、十七歳の男の子相手に、そんな感情になることはない。それだけはわかっていた。


舞が、慎が来るであろう駅の方を窺っていると、コンビニの中から慎が現れた。


「藤野さん、すみません、お待たせしました」

「あ、中にいたのね」


ほんの一分くらいしか待っていないが、慎はやけに申し訳なさそうに舞に謝る。


「あの、全然待ってないから」

「でも俺から誘ったのに。あの、これに懲りて、来週はもうナシ!とか言わないでください」

「ふふ、大丈夫だよ」

「良かった!じゃあ、来週も同じ時間で」


さらりと来週の約束をさせられてしまったことに、舞はその時気付いた。だが、にこにこと嬉しそうな慎を見ると、今回限りで、とは言えなかった。


二人はゆっくり歩きだした。


「あ、これ、よかったら」


慎はコンビニの袋から紅茶のボトルを出すと、舞に手渡した。


「え?あ、ありがとう」


慌ててバッグを探り財布を出すと、慎に止められる。


「いいですよ、ジュースくらい」

「だめよ!高校生から貰えない!」


舞は百五十円を無理矢理慎に押し付けて、ぎゅっと握らせた。

慎はばつの悪そうな顔をしていたが、頑なな舞に折れ、「ありがとうございます」とポケットにしまった。


「かえって、気を遣わせちゃいましたね」

「そんなことない。これ、私が好きなメーカーなの。いつも飲んでるから嬉しい。ありがとね」


慎は舞の言葉に嬉しそうに笑った。そして、

「      」

何か呟いたようだったが、舞には聞こえなかった。


そういえば、こんなことが以前にもあったな、と舞は思う。


──あの時も、安川さんが紅茶をくれて


安川と慎、全く関わりのない二人なのに、同じようなやりとりをしたな、と思うと、舞から、ふふ、と笑いが漏れた。


「どうしたんですか?なんか楽しいこと?」

「うん、あのね、会社でも同じようなことがあったなーって思って」

「へえ、どんなことです?」


舞は「教育係の人が、紅茶の」と言ってから、あれ?これって話しても大丈夫だっけ?と思い、言葉をのんだ。


──私に好意を持ってくれている人に対して、会社の男性社員から飲み物を貰ったなんて、自慢でもしてるみたいじゃない?


だが、もう途中まで喋ってしまった。ここでやめたら余計あやしいだろう。仕方なく続きを話す。


「紅茶のボトルをくれてね、同じように財布をだしたら止められたなーって」

「へぇ~、同じ状況ですね」

「うん、そうなの」


慎は特に気にしていない様子だった。舞は、自分の考えすぎだったな、と安心した。


「ところで、新澤さんとは会社で話したりするんですか?」

「もちろん。だいたい二人でランチするかな。実は市倉くんと会った時、あの日初めて美咲とちゃんと喋ったの」

「へぇ、そうなんですか。二人はずっと以前からの友人みたいでしたよ」

「不思議よね、私もそんな気がしちゃうのよね。あれがなかったら、美咲と親しくしてなかっただろうな」

「じゃあ、俺のおかげですね」

「え、まあ、そうかな」


会う前は不安で仕方なかったが、会話は一度も途切れることなく、沈黙に気まずくなるようなこともなかった。

慎は聞き上手で、舞からうまく話を引き出す。意外にも慎と話が合うことに、舞は内心驚いていた。たわいない話をしているうちに、あっという間に駅に到着した。


「話しながらだとすぐですね」

「ほんと。楽しかった、ありがとう。じゃあ、私こっちだから。市倉くんも気を付けて帰ってね」


慎は舞とは反対方面なので、改札を入ったところで別れることにする。


「そうですね、じゃあまた来週」

「じゃ、さよなら」


ちょこんと手を振ると、舞は自分のホームへ続く階段に向かって歩き出した。

だがすぐに、慎に呼び止められる。


「藤野さん」


舞は腕をぐっと引かれ、慎の方に引き寄せられた。

びっくりしてバランスを崩し、その拍子にヒール部分が床で滑ってしまった。


「「あっ」」


よろけた舞は、そのまま慎の胸に支えられる。


「ごめん、そんな強く引いたつもりなかったんだけど」


慌てた様子の声が、舞の頭上から降ってくる。

舞は抱き締められていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ